義を信じ、愛を求めた



「あ、はじ、め……さんだっ」
「……」


先日の池田屋で重傷を負い、刀すら持つことが叶わなくなった彼女は俺に弱々しい笑顔を向ける。彼女は新撰組唯一の女隊士でありながら、腕は幹部に引けをとらない実力者であった。

俺にとっては欠かせない大切な存在だ。無論、女として。


「どうした、んですか……?」
「何故、あの時命令を無視して俺の前に出た」


腕のたつ彼女がここまでの深手を負ったのには理由があった。俺の隊に属し、平隊士として池田屋に乗り込んだ際、決して俺より前に出るな、と言ったにも関わらず、彼女は俺の前に出て、そして無残にも斬り捨てられた。


『隊長っ!』
『──姫っ』


思い出しただけで握った拳に力が入る。倒れ込んだ彼女からは、鮮血が留まることなく溢れ出て、体温が徐々に失われていき、青白い顔に血の気が引く思いがした。


「条件反射、ってやつ……です」
「あの時、お前が前に出なくとも──」
「一さん、私のこと気にしてたじゃないですか」


彼女があまりにも軽い調子で言うものだから、俺が身を乗り出し抗議しようと上げた声は、彼女の声が被さる形で遮られた。だが、彼女の言い分がどうにも自分の中で咀嚼できない。気にするのは当然のことだ。俺にとって彼女は、絶対に失うわけにはいかない、将来をも誓った存在なのだから。

この手で守り抜くと決めた、唯一無二の存在だ。


「斬り合いの場になれば、私情は持ち込むな」


口癖のようにおっしゃっていたのは、貴方です、と額に汗を浮かべながらも笑顔を作り、皮肉をぶつける彼女に言葉を詰まらせる。確かに常々そのようなことを言っている覚えはある。だが、それとこれは話が別だ。


「一さん、私のこと大切に想ってくれるのは嬉しい、ですけど」
「───」
「それで相手に隙を見せて、そこをつかれてはおしまいです」


足手まといは御免です。そう言ってから、覚えていますか?と俺を見上げ、右手をあげて小指を立てて見せた彼女は、黒曜石を思わせる漆黒の双眸をこちらに向けた。曇りのないその瞳は、出逢ったばかりの頃を思い出させる。


『隊長、一人で突っ切らないでと、何度も言ってるじゃないですか!』
『──そうでもしなければ取り逃がしていた。そうなってからでは遅い』


──俺の隊に配属されてすぐから、よく自分の意見を主張してくる奴だった。正直、俺は彼女に苦手意識しか持っていなかった。


『あー! また怪我増えてる!』
『このくらい何でもない。与えられた職務に戻れ』
『えーっと、予備の包帯はー……』
『おい、聞いているのか』


──隊長である俺の指示は全く聞かず、自分が思うままに行動し、俺に世話をやくお前が煩わしいと思ったこともあった。


『隊長、小指出してください』
『突然何だ』
『いいから、はい!』
『だから何だ──!』
『指切りです。何があっても、隊長は隊長でいて下さい。誰より誠の武士で在って下さい』
『───』


──約束、そう言って笑ったお前の笑顔は今でも鮮明に思い出せる。彼女は、無茶ばかりする俺の制御役だと、総司がよく言っていたような気がする。

思えばこの時からお前は、いつか自分がこうなることを予期していたのかもしれんな。


「俺は約束した覚えはない」


頭の中で昔の事を回想して、漸く我に還った俺は、じっとこちらを見つめる双眸を見つめ返すと、少し強めの口調でそう言った。

あの約束を受諾すれば、お前は俺の前から姿を消すつもりなのだろう。二度と手の届かぬ処へ逝くつもりなのだろう。

それだけは何があっても許さん。


「針千本飲ませますよ……っ」
「お前の為ならば、耐えてやる」


少し涙を滲ませて、キッと睨みつける彼女だったが、俺の言葉を受けて、困惑したような顔をして見せた。俺なら本当にやってのけそうだとでも思ったのだろうか。流石に針を千本飲み込める自信はないのだが、それで彼女が少しでも永くここに留まってくれるというなら、何だって出来る。

無理に起き上がろうとした彼女の身体をそのまま自分の腕の中に引っぱりこむ。


「一さ…っ」
「お前こそ、俺との約束を忘れているのではないか?」


え、と驚いたような声を上げる彼女の身体をきつく抱きしめる。以前より増して細身になった身体が、常温よりやや高めの体温が、俺の胸を握り潰すかの様に締め付けた。


「一さん……っ、苦しい」
「あ、ああ、すまない」


いつの間にかきつい抱擁をしていたらしい自分に気が付き、慌てて彼女の身体を離せば、先ほどと変わりない漆黒の双眸が俺を見上げていた。


「私、ここにいますよ」
「ああ、分かっている」
「貴方の傍に、います」
「──ああ」


お前は守れない約束を口にはしない。ならば、あの日交わした約束が果たされる日はいつか来てしまうのだろうか。


──『いつか、平穏な世が訪れた時には、一介の剣客としてではなく、一人の女として俺と共に生きて欲しい』
『──はい、一さん』──



あの日の眩しいくらいの笑顔を俺は守れなかった。



願わくば、君と


11.07.04
編集20.01.12