『ねぇ、名前ちゃんって、洋平くんの幼馴染なのよね』
『ま、まあ腐れ縁ですね』
『じゃあ、名前ちゃんも実は喧嘩強かったりするの?』

 それは偶然だった。偶々通り掛けに耳に届いた些細な会話。大楠は、洋平に必要以上に近づくなと言われている名前が喧嘩の話題を振られて何と答えるのか、単純に興味があった。

 壁に背を預け聞き耳を立てていた大楠の耳に届いたのは、何かを耐えるような声音だった。

『……やめた』
『え……?』

 喧嘩なんてするわけないと突っぱねるかと思ったが、名前はそうしなかった。それが大楠にはとても意外だったのだ。

『私、晴子ちゃんみたいに可愛い女の子になりたいの。恋も勉強も楽しんで青春を謳歌したい。――背中を預けるんじゃなくて、隣で支えられる一番になりたいの』

 どこかで聞いた話だと思った。この時、大楠の頭を過っていたのは、中学の卒業式の日、喧嘩は引退する、なんて笑顔で爆弾発言をかました女の横でどこか寂しそうにしていた洋平の顔だ。

 背中を預けられる女は、アイツだけだと言っていた洋平が、背中が駄目なら隣に立って支える役目だけは誰にも譲れないとこぼしていたその言葉と妙にシンクロして聞こえてきたのだった。

『その相手って、洋平くんでしょ』
『し、知らない!』
『もう、可愛いんだからぁ!』

 この会話を聞いて、何も理解できない程大楠は馬鹿でも鈍感でもない。

 幼馴染という関係性でお互いに想いあっていても口にできない所謂、両片思いというやつを自分の仲間内でしている二人がいたという衝撃的な事実を。

 それにしても、羨ましい話である。喧嘩も強くて顔もいい。黙っていれば二人とも誰もが振り返るいいものを持っていた。

 そんな二人が恋人同士になってしまうのも、友として祝福してやりたい半分、邪魔してやりたくなる気持ち半分というやつで。

 これまで大楠がその会話を誰かにすることはしなかった。増してや当人たちの耳になど決して入れるものかと思っていたのだが。






「おーい、洋平」
「…………」

 話せというから話してやったというのに、話し終わればその場に屈みこんで盛大な溜息をもらす洋平に少しビビりつつ声をかけてみる。その姿勢のまま顔を上げた洋平は、大楠を睨み上げていた。

「何でこのタイミングでそんなカミングアウトすんだよ」
「いや、話せって言ったの洋平だろ」
「……ま、知っちまったところで何が変わるわけでもねぇけど」
「いや、告れよ!」
「なんで」
「何でって……絶対振られないの分かってて、何で言ってやんねぇんだよ」
「言えねぇよ」

 そう言って立ち上がった洋平は、どこか切なげに目を細めると、帰るぞ、と大楠を促した。

「洋平!」
「――俺が今アイツに告っちまったら、アイツの送りたい青春とやらは全部台無しになっちまうからな」
「――…」

 そう言われてしまえば、これ以上何を言えようか。結局、大楠はそれ以上何も言えないまま、いつもより小さく見える洋平の背を見ながら帰路についた。







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