「巻ちゃん!!」

「よぉ、東堂」

「どうしよう!巻ちゃん!名前は可愛いんだ!ものすっごく可愛いのだよ!」

「お、落ち着けッショ」

「落ち着いてなどいられるか!こうしている間にも、どこの馬の骨ともわからん男に掴まっていないか、不安でたまらんよ!」


ゆらゆらゆすぶられている巻島を憐れんだ目で見守る総北のメンバーたちは、ひそひそと言葉を交わしていた。


「なんすか、あのカチューシャの人」

「ああ。アイツは、東堂だ。箱根学園、エースクライマー。山神とも言われる登りの東堂甚八」

「普段、ちゃらいふざけた野郎だが、登りは、巻島と互角に張り合う奴だぜ、アイツ」

「あの人、クライマーなんですね!巻島さんのライバルですか!」

「小野田くん。何目キラキラさせてんや」

「クライマーってだけで、尊敬の念を抱いてるんじゃないのか?」

「あかんて!小野田くん!あのひと、どっからどう見ても、普通やない!変な人やろ!」


「そこ!聞き捨てならんな!この東堂甚八をつかまえて変人呼ばわりとは、失敬な!」

「おまけに地獄耳や」

「東堂、それより、名前チャンッショ。電話は、繋がんねぇのか?」

「出てくれないんだ」


憤慨する東堂を宥めるように口を挟んだ巻島は、携帯をゆらゆら揺らす。それにしょんぼりと肩を落とす東堂。先ほどとのギャップに東堂の人となりがつかめない総北メンバーは、捜し人らしい、名前という人物に少なからず興味をもった。


「ちょっと貸せ」

「何をする!」

「げっ。お前、これ、名前チャンには見せんなよ」

「何故だ!天使みたいだろう!」


東堂から取り上げた携帯。
液晶に映るのは、確かに東堂が言うような天使の寝顔をした可愛らしい少女。これが、この男の片想いを成就させた何も知らない天然少女だという。

可愛い、可愛い、と耳にタコが出来るほど聞かされていた巻島は、確かに、と頷いた。だが、これを本人に見せるのは全力で止める。


「盗撮したんだろーが、これ。見たら、引くッショ!」

「そんなことはない!名前はそんなに心の狭い女子ではないぞ!」


そうなのだ。
明らかにこれは本人に許可を取って撮影できるものではない。ぐっすり熟睡しているようだし、本人は知らないところで撮影されたのだろう。許可なく、この目の前の男に。

心狭い云々の前に、いくら彼女でも、これを許容できるほど人間出来ているだろうか。


「これ一枚か?」

「何がだ」

「盗撮だよ」

「そんなもの数えきれんな!」


何を胸をはっているんだ、コイツは。と頭を抱えたくなった巻島であるが、それはその場で事の成り行きを見守っている総北メンバーにも言える事だった。


「なあ、小野田くん。あれ、尊敬できんのか?」

「う、うーん。ちょっと、変わった人、だね」

「寧ろ、ストーカーだろ。警察突き出されてもおかしくないぞ、あれ」





***

「荒北君ってば、一方的に怒鳴って、電話切っちゃうし…」


もう、と頬を膨らませて再び静かな空間に一人。後ろにそびえるのは巨大な坂。ここをのぼるのは、ちょっと、と足は動きを止めたまま動かない。

人通りは多くはないけど少なくない。

でも、無闇に動くとかえって迷う気がして。


「あの、こんなとこで何してるんですか?」

「練習中なはずだから、こんなところに居たら、ひかれますよ」


ぱちくり。
頭上からした声に顔を上げれば、天然パーマだろうか、髪がくるくるしているのをひとつに束ねて、スーパーか何かの袋を手に下げた男の子と、片目が隠れた茶髪の男の子がこちらを心配そうに見下ろしていた。


何かの買い出しの帰りかな。とぼんやりそんなことを考えながら、彼らが私にかけた言葉をふと疑問に思う。

ひかれるって何?

車?
坂のそばにいたら、ひかれちゃうかもって心配かな。でも、結構隅に寄ってるし、車だってちゃんとよけていくと思うけど。


「車ならちゃんと注意して、隅に寄ってるつもりです、けど……」

「ここの人じゃないんですか?」

「ここは、自転車競技部で練習に使う坂なんです」


二人顔を見合わせて苦笑しながらそう言ってくれた彼らに頭を過ったのは、尽八君と千葉に行こうという話をしていた時に彼が言っていた言葉だった。


―『巻ちゃんはな、千葉の総北高校にいるんだ!』


「あ、あの!ここで練習してる自転車競技部の人に、巻ちゃ――えっと、巻島さんっていますか?」


いきなり立ち上がって詰め寄った私に彼らはぎょっとして一歩引いたが、構わず私は声をあげた。私が会いたいと願った、巻島裕介、その人の名前を。


「巻島さんとお知り合いですか?」

「この裏門坂は、総北高校の練習場です。巻島さんなら、まだ学校に残ってますよ」


二人の言葉にほっと胸をなで下ろす。
どうやら彼らは、総北高校の人たちらしい。ちょっと後回しになったが自己紹介をすれば、二人も自分の名前を名乗ってくれた。


くるくるの子が、二年生で、手嶋純太君。茶髪の子が、同じく二年生の青八木一君。彼らは、今年のインハイに出る総北メンバーの補佐を任されているらしい。

手にあるそれは、差し入れだそうだ。


「俺たちも今から行くんで、一緒に行きましょう」

「あ、ありがとうございます!」


手嶋君のありがたい申し出に全力で頷いたその時、再び振動した携帯。液晶に視線を落とせば、見慣れない番号。登録されていないそれに眉をしかめるが、尽八君ではないので、取り敢えず出よう。

と、手島君たちに謝って電話に出た。


「もしもし…?」

『……あー、名前チャン、であってるか?』

「どうして私の名前――」

『何!?繋がったのか!巻ちゃん、その電話を俺に!』

『なっ!?待て、東堂!携帯落ちるっショ!』


聞こえてきたもう一つの声と、その名前。
気づけば、通話を終了させていた。


「名前さん?」

「ううん。何でもない、です」


これはもしかしなくても、尽八君が巻島さんの傍にいる可能性高い?いやいや、あの声を聞き間違えるはずがない。しかも、確かに電話口で、東堂って聞こえた。

彼がここから直ぐ近くにいるんだ。


ど、どうしよう。





―迷子の子猫ちゃん
  犬のおまわりさんだあれ?―

『子猫ちゃん保護』

靖友!ついたぞ、千葉
うるせぇな!んなこと言われなくてもわかってんだよ!
福富さん、総北までどうやって行くんです?
こっちだ
おいこら!フクちゃん!俺は、名前を探さなきゃなんねぇんだけどォ!?
捜すのは大勢の方がいいだろう。
いやいやいや、総北に頼みにわざわざ出向くのかよ!
何か問題あるか
大ありだろ!!







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