「尽八君なんて、もう知らないから!!」 「ま、待て!名前っ!」 事の発端は些細な事だった。 真夏の照り付ける太陽の下、言い逃げるようにその場から逃れた私は、人ごみに紛れるようにして彼から逃げた。 追いかけてきているのは分かっていた。後ろから私を呼ぶ声も。 それでもふり返れなかったの。 だって、そうしたら、私は貴方の言葉に頷くことになるもの。それだけは絶対に嫌だったから。それだけは曲げられないことだったから。 でも、少し考えなしだったかもしれない。 知らない土地、知らない場所。頼ることのできる人なんていないこんな場所で、私、一体どうやって箱根まで帰るんだろう。 折角、小旅行に来たのに。 こんなところで何やってるんだろう。 「どこ……」 方向音痴も伊達ではない。 迷子だと自覚しないまま、迷子になった私の前には、山?坂? え、と思うよね。 市街地にいたはずなのに。 どこまで走ってきたのか、と自分でも頭を抱えたくなった。 「?」 ブー、ブー、と震えているスマートフォン。着信相手など確認するまでもなく、彼なのだけれど、何の意地からきたのか、その電話に出ることはできなかった。 漸く振動が止んで、液晶に映るのは、私と笑顔でこちらを向く尽八君の顔。とっても優しいその顔に青筋を立てさせたのは私なんだ。 「尽八君……」 呼んでも、振り返ってくれる貴方はいない。抱きしめてくれる腕はない。途端に不安と悲しみに沈む心は、ぽっきりと折れてしまった。 気が付いたら、道の隅にうずくまって、スマートフォンを耳にあてていた。 3コールの後、繋がった電話の先からは気だるい声が聞こえて来る。 『ああ?お前、今デートだろーが』 「迷子になっちゃった」 『………東堂はどうした?』 「……喧嘩しちゃった」 『ったく、めんどくせー。……今、どこ?』 「山?」 『何で、疑問形なんだよ!!』 キーンと鳴るスマホを耳から離す。 もう、そんなに怒鳴らなくたっていいじゃないか。流石わが校が誇る不良だ。根はとっても優しいのに口がとっても悪い荒北君は、私のよき友であり、よき相談相手なのだ。 *** 「何で繋がらんのだ!!名前っ!」 途中見失った後ろ姿。 人に揉まれて、人の波から外れ、喧嘩を勃発させてしまった公園に戻り、何度も電話をかけるも、当人は一向に電話に出ようとしない。 意地でも出ないつもりだろうか。 苛立ちと、焦燥。 かき乱される心は、こんな時でも、お前の為なら構わないと思える。それほどまでに俺は、名前が愛おしくてたまらない。 俺は、俺の為に名前を縛ろうとしたんじゃない。少し、危機感というものをもって、もっと自分の魅力を自覚してほしかっただけだ。 もっと、自分に自信を持ってほしかっただけだ。 ぐっと携帯を握りしめる。 とにかく今は、後悔より先に名前を見つけることが最優先事項だ。 電話帳から最もよく利用する名前を引っ張り出す。今日これから、会いに行こうと思っていた人物へかけた電話は、数コールの後、繋がった。 「巻ちゃん」 『……どうした?』 「名前がいなくなってしまった。おそらく、迷子になっている。千葉の土地勘は俺にはない。力を貸してくれないか」 『しょうがねぇ。……取り敢えず、総北まで来い』 「すまない」 ぷつり、と切れた電話。 俯けていた顔をあげる。 待っていろ、名前。必ず、俺が見つけてやる。 *** 「あれ、荒北さん、どこか行くんですか?」 「どっかの迷子の子猫ちゃん助けになァ」 「犬のおまわりさんですね!」 「うるせぇよ、バーカ。フクちゃん、ちょと行ってくるわ」 「待て、荒北」 「なんだよ」 「俺も行く」 「はぁ?」 フクちゃんに付き合って練習していた俺とインハイメンバー(東堂除く)は、フクちゃんの言葉に呆けた顔で練習ストップした。 だらだら流れる汗を拭ったフクちゃんが、練習は切り上げる、と言葉を残すと、すたすた、と俺の横を通り過ぎ、シャワールームに向かった。 「寿一が行くなら、俺も行こうかな。千葉か。たまには、小旅行もいい」 「なんでオメェまでついてくんだよ!!」 「あ、僕も行きます!坂道くん、元気にしてるかな?」 「おい!」 「皆さん行くなら、僕もお供します!」 「待てこら!人の話を聞け!」 まあまあ、と肩を叩かれても苛々は募るばかりで、握った拳を掲げて震えていれば、最後には、「何をしている、荒北。行くぞ」と、先陣を切って飛び出す鉄仮面の声が響いて何かが切れた。 「俺が行くんだよ!!」 遠足じゃねぇーっつんだ畜生め! ―迷子の子猫ちゃん 犬のおまわりさんはだあれ?― 『迷子の子猫』 巻島、何かあったのか? いんや。ちょっと、箱根のお姫さんが迷子なんだと 箱根のお姫さんって、誰っすか、巻島さん あ、あああの!そのお姫様って、女神さまですか!? 小野田、言ってる意味がわからないっショ 電話の相手は、箱学の人ですか?というか、千葉に来てるんですか、今 ああ、そうだ。もうじき、ここに来るぜぇ ありゃ、東堂じゃねぇか! …ショ |