御礼が言えなかった。
この後悔がどうにも頭から離れなくて、荒北君に相談を持ち掛けてみたが、何だか機嫌が悪くて突っぱねられてしまった。


何だっていうの。
東堂君の名前を出した途端、「アイツの考えてることがさっぱりなんだよ!」と怒鳴られてしまった。


何だかんだ三年間同じクラスで、不良の頃からの彼を知っている私は、他のクラスメイト達よりは何だかんだ仲良しだと思っていたのだけど。

まあ、自転車競技部の人たちには負けるかもしれないけど。


あ、もう一人、いた。


「あの、新開くんいますか?」

「新開なら、学食行ったよー」

「ありがとう!」


お昼休み、もう一人相談できる友達に会いに教室へ出向けば、本人は食堂にいるとのこと。まだお昼をすませてなかったので、ちょうどいい、とそのままお弁当を手に学食まで走った。


で、中に入って彼を見つけたはいいが、そのまま足は止まってしまう。


「お、名前じゃないか。久しぶりだな」

「そんなとこ突っ立って何してんだよ」


捜し人と、私の相談を突っぱねた人。

二人が私を見つけて声をかけてくれたのは嬉しいのだが、一緒にいるのが彼では私がここまで新開君を捜しに来た意味がない。


「どうした、名前。ここで一緒に食べればいい」

「で、でも……」

「尽八、構わないだろ」


私の視線が東堂君に向いたことに気が付いた新開君が、前座席に座る東堂君に確認を取る。顔を上げた、彼は、私の方を見上げて笑ってくれた。


「一緒に食べるのに許可などいらんではないか!」

「けっ(一緒に食いたいのはてめぇだろーが」

「ほら、こっちあいてるからさ(さっきまで名前、名前、言ってたのは誰だったかな」


二人の心境など知らず、東堂君に笑顔で迎えられたことにときめいた胸を何とかごまかして、少し緊張しながらも新開君の隣に腰を下ろす。目の前には東堂君がいて、私が座ると食事の手を完全に止めた。


「学食ではないのか?」

「あ、うん。あ、あのね!東堂君!」


こんなチャンスもうないかも。
思わず声を張り上げた私に、彼は驚いたように声をもらし、なんだ、と聞き返してくれた。隣にいた新開くんも、斜め前にいた荒北君も、何事かと私を見ている。


スカートの裾をぎゅっと握って、一度俯けた顔を再びあげると、真っ直ぐに東堂君を見つめて、震える口を開いた。


「この間、お礼言いそびれちゃって…、あの、数学、助けてくれてありがとう!」

「・・・」



脈絡のない話。
私が畏まったようにして口にしたそれに、目の前の彼はきょとん、とした顔をしており、新開君は私の葛藤が分かったのか、くすくすと肩を震わせて笑っていた。

荒北君に至っては、あきれ顔である。


「ごめん、い、今更だよね……」


おずおずとそう言い出せば、東堂君は弾かれた様に笑い出した。それはもう、お腹を抱えるように。

え、私そんな変なこと言った!?
へ、変な子だって思われたらどうしよう!


「本当に律儀な女子だな!俺は、そういう女子は好きだぞ」

「え、あ……っ」


好き、好きって。
そ、そんなキラキラした笑顔で、そんなストレートに。


「顔が赤いな。どうかしたか?もしや熱があるのではあるまいな!?」

「な、ない!ないから!」


ぐっと近くなった東堂君の顔。思わず腰を引いて、両手を前に突き出した。真っ赤な顔なんて見られたくない。彼の発言一つにこんな意識していることを知られたくない。

深い意味で、私とおんなじ気もちで言った言葉じゃないって分かってるのに、なのに、どうしてこんなに顔が熱いの。こんなに、心が苦しいの。


「こら、尽八。あんまり名前を困らせるなよ」

「む。そんなつもりはなかったのだが。すまない、名前」

「っ!?」

「おい、東堂。オメェいつから、名前のこと名前で呼ぶようになったんだよ」


どくん、と心臓が一際大きくなった。
彼が、大好きな東堂君が、私のことを名前で呼んだ。


荒北君の責めるような声にけろっとしたような彼の声が耳に届く。


「呼んではまずかったか?」

「そんなに親しくねぇだろーが。こいつがお前の面倒くせぇファンに絡まれたらどうしてくれんだよ!?」

「靖友の言うことも一理あるな」


東堂君は本当にアイドル並みに人気の高い人だ。確かに、彼と必要以上に親しくしていると、ファンの子たちからいらないやっかみをかうかもしれない。

でも、それでも、彼が私の名前を呼んでくれたことが、本当にうれしくて。


「大丈夫だ。俺のすることに文句をつける心の狭いファンなどいない!もしもの時は、俺が守るから何も心配ないぞ!」

「!……うんっ」


焦ったように私に声をかける東堂君。思わず頷いていた私の表情はどんなだろう。顔はまだきっと赤い。彼を真っ直ぐ見つめるのもとても気恥ずかしい。

でも、彼は私を見て安心したように笑ってくれた。


だからきっと、私、笑えていたよね?





***

夕暮れの教室。委員会で遅くなって戻ってきたそこには誰もいなくて、窓際の彼の席が夕日に照らされて見えた。


ただ、何となくだった。


いつも彼が見ている景色を見てみたかっただけ。それだけだった。


椅子を引いて、そっと席に着く。そこから窓の外を見下ろせば、グラウンドで部活にいそしむ生徒が何人もまだ残っていた。

残念ながら自転車競技部はここからじゃ見ることは出来ないけれど、彼がいつも見ている景色を同じ場所から見ることが出来た。


「綺麗……」

「そうだな。陽が沈む時ほど美しい光景はないな」

「うん、そうね」

「ところで、名前。何故、俺の席についてるのだ?」

「え……」


一人ぼやいた言葉に返事があった時点で気づくべきだった。かけられた声で振り返るべきだった。


見上げた先にいた彼は、こてり、と首を傾げてこちらを見下ろしている。


「東堂君、部活は……」

「ああ、今は休憩中だ。教室に忘れ物をして取りに来たんだ」

「そ、そうなんだ……」


い、言い訳が思いつかない。
汗を滴らせている姿もまた、カッコいいな、と見上げている場合ではないのだ。

好きな人のいつも見ている景色を見てみたかった、などと本当のことを言えるはずもなく、固まった私を見て、何を思ったのか、彼は、私の前座席に腰を下ろした。椅子の背を前に座って、こちらを向く彼は、ニッと笑う。


「ここは特等席だからな!座りたくなる気持ちも分かるぞ!」

「ご、ごめんね。勝手に座っちゃって!すぐ、どくから!」

「ああっ!いい!そのままでいいから、ちょっと休憩に付き合ってくれないか」


慌てて立ち上がろうとした私に制止の声をかけた東堂君は何を考えているのか。言われた通り腰を落ち着ければ、ほっとしたような安堵の息が彼からもれた。


「この間は、煩い奴らが一緒だったからゆっくり話も出来なかっただろう」

「えっと……」

「一度、名前と落ち着いて話してみたかったんだ。まあ、直ぐに戻らねばならんが、折角の機会だしな!」


本当にこの人は、この間の授業の時といい、学食の時といい、私の心を掴むのが上手い人だ。これ以上、私をアナタで夢中にさせないでほしい。

諦めなきゃならないって、見てるだけでって、そう思っていたのに。もっと、もっと、て欲張りになっちゃうから。


「東堂君が、女の子にモテる理由よくわかるかも」

「なに!?一体今の流れのどこにそれを感じたんだ!」

「ふふっ。それは内緒」

「む、そうか。……だがな、本当に好かれたい相手を魅了できなければ、何の意味もないのだよ」


切な気に伏せられた顔。揺れる瞳に映る女の子がとても羨ましい。彼の心を占めるその子が、とても……。

ずきり、と痛んだ胸を押さえるように両手を胸の前で握る。鼻の奥がつん、とした気がしたが、この場で自分の心を晒してはいけない。


「東堂君」

「ん?」

「貴方の魅力に気づかない人なんて、きっといないよ。真っ直ぐぶつかれば、その子もきっと東堂君の事好きになると思う」

「!……そうだと、いいな」


柔らかい表情。慈しむような笑顔。いつだったか、私に向けられたそれをこの人はまた、こんな場面で私に向ける。

私じゃない誰かを想って。

勘違いしちゃうんだから。お願いだから、そんな甘い顔で、私を見つめないでよ。





―放課後の教室で想い人の席に
  勝手に座ってみたところ
      本人に目撃された―

なあ、東堂。それ、絶対名前誤解してんぞ
なに!?何故だ!?
オメェさん、名前が、好きな女がいると告白されてそれを自分だと思えるような子に見えるのかい
はっ!?しまった!そういうつもりでいったのではなかったのに!
あーあー。俺しーらね







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