その日一日とても穏やかに過ぎていった。変わっている事といえば、教室のアイドル様が今日は大人しい事だけで。


「ねね、荒北君」

「ああ?」

「東堂君、おとなしいね」

「そうかぁ?いつも通り、うるせぇだろ」


まあ、笑顔振りまいて、女の子たちからの声援はいつもと変わらないように見えるけど、どこか元気がないように見えるのは気のせいだろうか。

私は別に彼とそれほど仲がいいわけでも、彼や、前の席に座る荒北君のようにロードに詳しいわけでも、ましてや、自転車競技部に所属しているわけでもない。

でも、密かに彼を想っていたりするのだ。


ちらり、と東堂君の方に視線を向ければ、頬杖をついていた彼がふいに顔を上げた。ばっちりとぶつかった視線に思わず息を呑む。彼は少し驚いた顔を見せたかと思うと、柔らかな笑みを向けたのだ。


思わずばっと視線をそらしてしまう。え、だって、東堂君て、いっつもキラキラしてて、余裕ある顔してて、かっこよくて、調子いいように見えるけど、実はすっごく裏で努力してたりしてて、でも全然そういうの表に出さない人で。

どっちかっていうと、ナルシストみたいな、自分に自信持った笑顔しか見せない人……だと思うのに。


今のは何。
今の笑顔は、何。


まるで、慈しむような、温かい笑顔。心をぎゅうっと掴まれるような感覚。

自分の頬を両手で覆う。
だって、きっと、私、今、顔真っ赤だ。


「んー?どうした?お前、何か、顔赤くね?」

「や、やだ。そ、そんなことないもん!」

「いや、絶対赤いし!!」

「ちょっと!声大きいよ!!」

「あ、わり……」


荒北君のせいで注目を浴びてしまった私は、そのまま机に突っ伏してその場をやり過ごした。もう最悪だ。今の声、絶対、東堂君にも届いていたに違いない。

彼にこの気持ちを知られたら、私――。


その日一日穏やかに過ぎているはずだった。こんな些細な出来事一つでこうも乱されてしまう私の心は、心臓が激しくなっており、とてもじゃないが、もう一度彼の顔を見ることなんてできそうになかった。

それなのに、こんな日に限って……。


「よし、次は出席番号14番で行こう。誰だ?」


日付と出席番号を照らし合わせて授業中に生徒を指す先生。正直出席番号でない日は、この人の授業は全く聞かなくてもなんとかなる。

ああ、今日は厄日だろうか。
今日って、14日?


「はい……」


返事をして立ち上がれば、破顔した先生が、次の問題だが…、と続ける。私、数学は大嫌いだ。というより、こんな数式大人になって役に立つなんてこれっぽっちも思えないから、学ばなきゃいけない義務に疑問しか抱けない。

つまるところ、数学が大の苦手分野なのである。


教科書に視線を落とす。
先生が指した問いの答えは白紙。

途中式すらたてられない私に、この問題を解くのは不可能です、先生。


「どうした?つまづくところがあるなら、ヒントをやろう。取り敢えず、黒板出て書いて見なさい」

「は、はい……」

「よし、じゃあ、この大問当ったものは、全員黒板で解答するように。残り、18番、22番、26番前へ出て」


少しほっとした。
一人で黒板出て、解答するより、誰かがいてくれた方が心強い。たとえ、分からなくてもだ。


黒板に進み出て、取り敢えず、問題の数式を教科書を見ながら映していると、隣に誰かが立った気配を感じて、ただ何となく顔を上げた。


「教科書を見せてもらってもいいか?」

「え?」

「すまんね。今日は忘れたんだ」

「あ、うん……」


ぐっと近寄る距離。香ってくる清潔な香り。とくん、と心臓が鳴る。教科書を持つ手が震えた。


「数学が苦手なのだな」

「え……?」

「一つヒントをやろう。教科書の礼だ」


思わず、彼、東堂君を見上げれば、先生や後ろにいるクラスメイトの死角になる場所にこっそり、途中式を記して見せてくれた。その式を見て、解答までの道筋が頭の中に立つ。

私の表情に何か勘付いたのか、黒板消しでヒントを消し去ると、自分の問題に取り掛かる彼を一瞥して、距離を開けると、チョークを手に解答への道筋をたて、問題を解く。


「何だ。解けたじゃないか。席に戻っていいぞ」

「あ、はい……」


後ろで解き終わるのを見守っていた先生が満足げに頷いたのを見て、少し抱いた罪悪感は、彼に助け舟を出してもらえた事で、解けたという事実を私と彼の他に誰も知らないからだ。

俯きがちに自分の席に戻って、すとん、と腰をおろす。東堂君は、と顔を上げれば、難なく解き終わって、余裕の笑顔で自分の席へと戻っていった。

女の子の目がハートになっている。


御礼、言えなかった。
答えでなく、道筋という名のヒントを与えてくれた彼は、私が自力で解答できる手助けをしてくれたのだ。最初から答えを教えないで、助けてくれた彼の優しさは、たぶんきっと、私のプライドを傷つけてしまわないように、何にでも頼るような人間にならないように。

後で、罪悪感に胸が潰されないように、配慮してくれた優しさなんだって、そう思ったら……。


どうしよう。
凄く、嬉しいの。





―授業中に
  指されて戸惑っていたら
        助けてくれた―

おい、東堂
なんだー?
お前、教科書忘れたとか嘘だろ
盗み聞きとは感心しないな、荒北
名前から聞いたんだよ!
……前々から思っていたんだが、何でお前は彼女を名前で呼んでいるのだ?
あ?別に、理由とかねーけど
ならば、俺が名前で呼んでも問題ないな!
だーかーらー、何考えてんだって、お前!
さて、何だろうな







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