「はい、大丈夫?」 「あ、あなたこそ!」 おろおろする女の子に大丈夫だよって笑いかけても、彼女は泣き出しそうになってしまっていた。ああ、助けてもこれじゃあ、私がこの子を泣かせてるみたいだ。 「こんなとこにいた!名前!」 「あ、さくちゃん」 「アンタはまたそんな傷を作って!」 「大丈夫。かすり傷だよ」 「保健室行くわよ!ほら!」 私が女の子を宥めつつ、この状況をどうすべきか悩んでいれば、後方から聞き知った声が私を呼んで近づいてくる。親友のさくちゃんだった。最近は、松岡先生との補習で中々一緒に帰れていない彼女は、私のボロボロな状態を見て鬼のような形相で声を張り上げた。 あ、ほら、吃驚しちゃってるよ。 私の前でおろおろしていた女の子がかちんと固まってしまった。 ずるずる私を引きずっていこうとするさくちゃんを何とか留めて、女の子に大丈夫だから気にしないでね、と一声かけてその場を後にした。 *** 「いって。さくちゃん、それ乱暴っ」 「黙ってじっとする」 「しみる〜っ」 「自業自得だバカ」 ちょっと手荒な治療ながら慣れたものでてきぱきと処置してくれる彼女にはいつも助けられている。 口は悪いけど、根はとってもいい子なんだ。 「松岡のとこ行くっていってたのに、寄り道なんかしてるからよ」 「……ほっとけないでしょ」 「アンタが怪我するくらいならほっときな」 「それが出来たら、さくちゃんと友達になってないね」 「!……お人よし」 「ありがとう」 「褒めてないわ」 私の日常ともいえるこの怪我。 女子高につきものともいえる、女同士の諍いは時に暴力へと走る。口で言い負かすだけならまだ優しいけれど、暴力に走れば、たとえ女の力でも消えない傷として残ってしまうことがある。 喧嘩が好きなわけでも、イジメ防止推進委員会でもないけれど、私自身負わされた暴力で夢を捨てることになった過去の傷からか、どうしても見過ごせずにこうやって首を突っ込んでは、軽い傷を体中に貰うことが多かった。 偽善者。 そう言われればそこまでだけどね。 さくちゃんもまた、私がおせっかいやいて助けたこのひとりだった。彼女の場合は、私なんかよりずっと強くて一匹狼だったんだけど、何も知らずに飛び込んだ私が怪我したのを見て、買わなくていい喧嘩を買わせてしまった。 私なんて足手まといがいなければ、彼女はきっと誰より強い女の子なんだろうけどね。 「おせっかいもほどほどにしないと、いい加減見捨てるわよ」 「さくちゃんに限ってそんなことないもーん」 「最近は松岡に夢中で大人しかったのに、調子にのんな」 「いひゃいってばぁ」 孤高を生きるのもいいだろう。 だけど、時には誰かに寄りかかってもいいと思うよ。 さくちゃんは、私のおもりしてるくらいがちょうどいいの。 ______ 「お前、その傷どうした?」 「あ、ちょっと転んだ」 「……」 転んだ? 転んだだけで、そんなに青あざ出来るのか。思わず眉間によったしわに気が付いたらしい名前は、つん、と俺の眉間を小突いて笑っていやがるが、女が顔に、服に隠れない、目立った場所にこんな大傷を負うことを黙って見過ごすことはできなかった。 イジメかとも思ったが、コイツに限ってそれはない。学園での生活態度を見ていても、友達との交流を見ていてもそれは明らかで。 「悩みがあんなら、聞いてやるぞ」 「ないよ」 「オイ」 「ないもん。まあ、しいて言えば、凛ちゃんの好きな女の子のタイプかな?」 「それは悩みじゃねぇだろーが」 このお調子者は。 駄目だ。ここでコイツのペースに乗せられたら、それこそコイツの思う壺。話を逸らそうったってそうはいかねぇ。 「朝あった時はなかったろ。昼休み、俺に会いに来なかったのは、何かに巻き込まれたからか」 「会いに来てほしかったんだ」 「話の腰をおってんじゃねぇよ」 「巻き込まれに行ったの。女子高はね、先生が思ってるほどお淑やかで綺麗なとこじゃないんだよ」 スッと細められた瞳が酷く濁って見えたのは気のせいだろうか。いつもどこかおちゃらけているくせに、妙に大人びて見えるのは、何でだ。 つーか、生徒を女として見てる俺が何だ。 「女は怖い生き物だよ。平気で人の夢、ぶち壊してくんだから」 「?……お前の夢って何だよ」 「水泳界の頂点だよ」 「!――」 一瞬息が止まるかと思うほどの衝撃をうけた。それと同時に、底冷えするような冷たい気にあてられて、ごくりと生唾をのんだ。 「ねえ、先生はさ。泳げなくなった時のこと考えたことある?」 「……ああ」 何度もある。 何度もぶつかった壁だ。 でもそれはきっと、お前の求めているそれとは似て非なるものだ。 「私ね。考えたこともなかった」 笑うな。 そんな顔して笑わなくていい。 「だからね、正直先生って、私にしてみたら嫉妬の対象なの。どうしたって憎んで羨やんじゃう人なの」 ああ。そうだろう。 逆の立場だったとしたら、俺はお前と同じ目をしてるかもしれねぇ。 「でも、それ以上にね。かっこいいなあって思うんだ」 名前の言葉に嘘はなかった。 それは、顔を、目を見ればわかった。 だから驚いた。 「泳いでる姿見たことなんてないのに、先生と向き合ってたら、何か分かるの。何に対しても真剣でいる人って、自分が必死で打ち込むことには、それ以上に努力を惜しまないだろうなって」 ―私の夢が壊れたのはね。 ―結局は私の心が折れたからなんだよ。 そう言って笑う名前の顔は、どこか吹っ切れたように見えた。こいつもこいつなりに、悩んでぶつかって、進もうとして、それでも断念したのには、言葉以上につらい経験をしたんだろう。 練習のし過ぎで故障したならまだしも、他人によってもたらされた傷で諦めなければならなかった。 どんなに悔しいかなんて、経験した奴にしかわかんねぇだろうし、俺には理解してやることはきっとできない。 「ねえ、先生。先生は、夢を叶えてね」 「ああ」 (彼の日常わたしの日常) わたしの日常から消えた色 彼の日常には輝く色 わたしの日常から消えた夢 彼の日常には目指す夢 交差しない二つの日常が 少しだけ絡み合った時間 |