「凛ちゃん」

「先生つけろっつてんだろ」

「いてっ」


ドスッと鈍い音を立てて頭の上に落ちてきたのは、出席簿。両手で頭を押さえながら痛みを与えた張本人を見上げれば、むすっとした顔で見下ろされる。

なんだよー。
いいじゃん別に。

愛称呼びは、慕われてる証拠なんだから。


「凛ちゃんって可愛くていいね。ほら、先生のお友達も呼んでたでしょ?あのかわいい人」

「渚のこといってんのか?」

「うわ、女の子みたいな名前なんだね」

「あの場にいた奴ら皆、そーだな」

「それってある意味凄い!ちなみに?」

「真琴、遙、怜、渚、で、俺」

「類は類を呼ぶっていうもんね」


うんうん、と頷きながら話を聞いていれば、何とも言えないような顔で睨まれた。あ、これって地雷だったのかな。

でも、凛って、響きがいいと思う。
澄んでいてとても綺麗。


「先生の名前私好きだなぁ」

「はぁ?」

「先生にぴったりだよ。凛としてて、真っ直ぐ目標に向かって突き進んでいく生きざまっていうか、カッコいいよね」

「!――…」


素直に感じたままを言っただけだった。でも、それにこんな風に反応されると、私、バカだから、期待しちゃうよ。先生が誰にも踏み込ませなかった境界線の向こう側に飛び込んじゃうよ。


口元を隠してフイッと顔を逸らした先生の耳は赤かった。隠しきれていないその反応にきゅんと胸が高鳴る。


「大人をからかうんじゃねぇ」

「素直に思ったこといっただけだもーん」

「……お前の名前も」

「え?」

「名前って、お前らしいよな」

「っ!?」


だから、この人は!
無神経なんだか無自覚なんだか知らないけど、女の子のドストライクを狙わないでほしい。

名前を呼んでくれるだけで、こんなに嬉しいだなんて、心臓が煩く鳴ってるだなんて、絶対に言えない。


「照れてるなんてレアな反応じゃねぇか」

「照れてなんかないっ!」

「顔赤いぞー」

「うるさいっ!自分だってさっき赤くなってたくせに!」

「なってねぇ」

「なってた!」


不毛な言い合いの終焉は、始業チャイムが鳴ったところで。次の授業に向かう先生の後ろ姿を見送りながら、私は自分の教室へと踵を返した。

自分の席についてほっと一息つけば、肝心なことを先生に伝え忘れていたことに気が付いた。


そもそも私が先生を呼び止めたのは、彼に用があったからだ。くだらない言い合いをしていたせいですっかり忘れていたが、結構急ぎだったんだけど。


まあ、昼休みにでも職員室覗きに行くか。と自己完結して、次の授業の準備をする。





***

「あれ、いない」

「おう、どうした」

「あの、り、……松岡先生は?」

「松岡なら、泳いでるぞ」

「は?」

「昼飯食ってすぐ、次の時間空きだから、プール使ってもいいかって」

「……教育実習生に甘くないですか?」

「わはは。まあ、固いこと言うな。アイツも、大会近いからな」

「へえ……」

「そういや、お前も水泳得意だったろ。ちょっと覗いてきたらどうだ」

「……じゃ、おどかしてきます!」

「おう、行って来い」


先生に敬礼してさっと身を翻す。何とも自由奔放な教師だが、あれでもウチの担任だ。女子高に数少ない男性職員でありながら、女子からの人気は松岡先生とは違う意味で絶大。

信頼も厚い人で、かくいう私も常日頃から頼りにしまくっております。


てゆーかね、先生。
そもそも女子高の屋内プールを男性職員に貸し出すのもどうかと思うよ。松岡先生になら誰も文句言わないだろうけどね。


そそくさと職員室を後にして屋内プールへと続く西の校舎に渡る為の連絡橋をのんびりと歩きながら、ふと下を見下ろせば、何だか人だかりができていた。

何となく目についただけ。
何となく気になっただけ。


そこに見えた光景に私は踵を返して走り出した。


ああ、もう、結局放課後もう一回捕まえなきゃだめかもしれない、なんて頭の片隅で考えながら、急いで階段を駆け下りた。





(先生と呼びなさい)
おう、松岡。
あ、どもッス。助かりました
それより、名前と会えたか?
?アイツがどうしたんすか?
あり?入れ違いだったか。名前がお前捜してたからプールにいるって教えてやったんだけどな
誰も来なかったっすけど。
補習のことじゃないのか?放課後ちょっと付き合ってやれ
ウス







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