攪拌する夕暮れ

 少年は惑っていた。眼前に広がるのは確かに見慣れた校内のはずなのに、全く違う世界のように感じられるのだ。事実、どこまで歩いても景色は変わらなかったし、窓の外は気分が悪くなりそうな程濃い橙色が続いていた。恐らく、夢でも見ているのだろう。そう少年は結論付けた。そうでもしないと、この世界を肯定することは出来そうに無かったからだ。少年はひたすら代わり映えのしない廊下を歩く。教室の扉はどこもぴたりと固く閉ざされている。少年が歩く度に擦れる音以外、生じる音は無い。一体どこへ向かうのだろう。或いは、どこに向かっているのだろう。少年はぼんやりと思考する他無かった。
 不意に、目前にある教室の扉が一つ開いた。遂に起こった世界の異変。少年は息を飲んで開いた隙間を見守った。切り取られた空間から顔を出したのは、見知らぬ少年の姿だった。否、どこか見覚えのある――だがどうしても思い出せない、そんな顔立ちと雰囲気の少年。不思議な少年はにっこりと笑んで手招きする。それに引き寄せられるように、惑う少年はそちらへ歩いていた。
 足を踏み入れた教室内は、まさに橙色の空間だった。夕暮れに染められて、上下も左右も不安定な世界。思わず目を細めた少年に、招き入れた少年は相変わらず笑みを浮かべながら、歪な空間からぽつりと浮いた机と椅子を指し示す。
「まあ、座りなよ」
 若いはずなのに、どこか老いた響きのある声が鳴る。少年は不承不承に椅子へと腰掛ける。少年が不服そうに椅子へ座るのを見届けてから、不可解な少年は机に腰掛けた。
「君は、どう思っているかな、この世界について?」
 違和感のある語調で少年は訊ねる。
「どうもこうも、気味が悪いんだが」
 少年はありのままにそう答える。
「『君』が悪い? 僕が悪いって言うのかな、君は? 僕は害したよ、気分を!」
 少年は歌うように狼狽する。演技染みたそれを少年は怪訝そうに眺めてから、否、と口にする。
「この世界自体が、気持ち悪いって言ってるんだよ」
 少年がそう吐き捨てると、項垂れた少年は嘆くような論調で見下す。
「世界自体を否定するのか、君は! 随分大それた傲慢さをお持ちのようだね、君は」
 奇妙な少年は遂にからからと口を開けて笑い出す。哄笑は室内で幾度か反響してから霧散した。そんな相手についていけない少年は、憔悴し切った顔で頭を掻きむしる。
「とにかく気持ち悪いんだよ、この世界は……どこまで行っても出口は無いし、景色は変わらないし、やっと出会えた人間がお前だし……」
 独り言のようにそこまで呟いたところで、少年はある推論に思い至る。
「……そもそも、お前は人間なのか?」
 そこで初めて、少年は稀代な少年の目を真正面から見据えた。少年の目は、夕焼けを反射して鈍く輝いていた。
「その答えに僕は肯(うん)と答えるべきなのかは測りかねるね。何故なら、この世界は此れだけしか存在しないのだから」
 少年は要領を得ない答えを提示する。当然、少年は明確な答えを求めて問い質す。
「どういうことだ?」
 不明な少年は叫ぶ。
「如何もこうも、僕と君と校舎と夕暮れしか存在し得ないのさ、此処は!」
 少年は、絶句する以外に何も出来なかった。代わりに無名の少年が笑った。世界を満たすように。

 何分だか何秒だか何時間だか経って、絶望に臥していた少年は顔を上げた。
「……どうすれば、元の世界に帰れるんだ?」
 必死に光を見出だそうと、微かな声を絞り出して少年は目前の少年に訊いた。
「不知(さあ)? 何せ僕は此れだけの世界しか知らないからさ、困るよ、聞かれても」
 希薄な少年は大仰に首を振り、希望を打ち砕く。為す術も無い少年は力無く頭を垂れた。橙の少年は追い詰めるが如くひたすらに、無情で鋭利な言葉を紡いでいく。
「そもそも、君がいた『元の世界』って、なんだ? それは本当にこの次元に存在し得たのか? それは本当に『君の世界』だったのか? 本当は――」
 その時、少年は気付いた。
「全て『君の妄想』だったんじゃないかな」
 少年は顔を上げる。そこには、空虚な空間しか存在しなかった。遂に世界は、少年だけのものと成り果てた。

 夕暮れは攪拌する。今日も、全ての世界を飲み込んで――

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