心象風景A或いはB

 ポタリ、と滴が足元に落ちた。それが自身の汗だということに気付いたのは、目の前に広がる景色が地平の彼方まで続く黄色い砂漠だということを認識した時だった。首元は汗で大分ぬめっている。拭うことにも嫌気がさして、眼前の状況を見張る。太陽を遮る物は何も無く、灼熱に浮かされた空気がユラユラと漂っていた。地面を覆い尽くす物は、砂、何万年もかけて細かくなった生物の死骸、その他。足の指を動かすと、サラサラとした感覚が走る。ここは一体何処なんだ、と考えても、自分一人では到底答えに辿り着けそうにも無い。ぼうっと立ち尽くしていると、あることに気が付いた。足が、段々と砂の中に埋まってきている。ぞっと背筋に冷たいものが走り、瞬間、右足を前へと突き動かしていた。こんなところで一人生き埋めになるなんて、悲嘆以外の何物でも無い。僕は諦めが悪いようだった。そこでふと、思い至る。僕には家族がいたか? 友人はいたか? 恋人はいたか? こんなところで生き埋めになった事実を知って、悲しみに暮れるような人はいたか? そもそも僕は誰だ? 何をしていた? 何故こんなところに立ち尽くすような事になってしまったのか? 僕は何者なんだ? 様々な問いが僕を突き立てたが、そのいずれにも、僕は答えることが出来なかった。ならば、こんなところで生き埋まっても、誰も――僕自身でさえも、悲しむことは無いのではないか? そんな結論に達しそうになった時、足先にコツリ、と何かが当たった感触がした。結論を宙に投げてそちらに意識を移すと――そこには、人間の死骸があった。もうすっかり肉は朽ち果て、骨だけとなった体に、一匹の蠍が這っていた。人間は死んで、蠍は生きている。憐れな現実に直面して、僕は笑いを堪え切れなかった。人間とは、なんて弱い生き物だろう! 温室栽培された豊かな国の人間をここに放り込んだら、きっとこの人間と同じ結末を迎えるだろう。熱に焼かれ、水を渇望し、食物に餓え、結果蠍に這われて終わりだ。滑稽だ、浅ましい。僕は笑いながら乾いた骸をグシャグシャに踏み潰した。人間の残骸は粉々になっていく。蠍は僕の行為に戦いて、さっさと逃げ出してしまっていた。散々尊厳を踏み躙った後、僕は気付く。足が鮮血に染まっている。当然最期の反撃として、骨が僕を傷付けたのだろう。くだらない。そして、僕ははっと正気に返る。僕だって、人間じゃないか。二足歩行をして、ものを考えて、言語を発して。僕は人間じゃないか。寧ろ、人間だからこそ、だろうか。ボロボロになっているであろう死骸を恐る恐る見遣る。しかしそこに骨は無く――代わりに、まだ人間の形を保っている屍が、転がっていた。僕は驚愕のあまり腰を抜かす。突いた掌が砂で焼けるような感触を覚えたが、そんなことに構っていられるほどの余裕は無かった。死体の眼は見開かれていて、そこにあったはずの眼球は無い。そのただ黒いばかりの空間から一匹の蠍が這い出ていた。僕は咄嗟に足を見遣る。鮮血に塗れていたはずのそこは、傷一つ存在していなかった。先程までのあれは……幻覚か? 確かに骨を割る感覚はあったはずなのに。おかしいのは僕の脳か? 汗で濡れた頭をグシャグシャと掻き回す。そうだ、これは夢だ。僕は夢を見ているんだ。なら、この暑さは、感覚は。いっそ考えることを放棄した方が楽なのではないか? 僕が再び亡骸を見た時――僕は気付いてしまった。そこに転がる身体が、僕自身のものである、ということに。そうだ、僕はここで死んだのだ。僕は理解してしまった。自身のことを、何一つわからないままに。そうして僕は目を閉じた。
 一瞬の後、再び目を開いた。僕は違和感を覚える。右目が少し砂に埋もれている。どうやら横たわっているようだが、そんな動作をした覚えは無かった。気を失ったわけでも無い筈だ。起き上がろうと身を捩るが、身体は石化してしまったかのように、一つも動かない。何かがおかしい。そう感じて空の方へと視線を向ける。そこにはひたすらに青い空と、僕に向けて振り上げられた『僕』の足があった。

B或いはA

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