夢現∞パラレル

 緩やかな微睡みの中から不意に目を覚ます。こぽり、と音がして、口から気泡が三つ程飛び出した。ここは、どこだろう。僕は、一体何をしていたんだっけ。身体はまるで鉛のようで、動かすための些細な電気信号さえも拒絶している。僕には瞳を凝らして目の前の景色を眺めることしか出来ない。こぽり。また一つ、気泡は立ち上る。その向こう側に焦点を合わせる。薄暗い室内には、何だかよくわからない機械が散在していて、異質な空気を醸し出していた。映画とかでよく見る、秘密組織の研究所のようだ。差し詰め、僕は危ない研究の実験台だろうな、と笑えない妄想を繰り広げたところで、部屋の一角にある扉が音も無く開いた。その向こうから現れたのは、白衣を纏った人物。その男は僕に近付くなり、口元に僅かな笑みを浮かべる。そして何事か呟くように口を動かしたが、僕にはその音声が聞き取れない。一体何なんだと訝りながら、男の顔を不躾に眺める。そこで、僕は驚愕した。その男の顔は――あまりにも、見慣れすぎたものだった。……僕と同じ造りをした顔が、そこにあった。僕に一卵性双生児の兄弟などいない。そもそも、兄弟自体がいなかった。僕と同様の顔を持つ男は、僕の側にあった機械を操作する。すると、僕の耳に段々と雑音が届き始めた。
「聞こえるか?」
 僕と同じ声が、耳に流れ込んでくる。僕は何かしら反応しようとしたが、身体は依然、硬直を保ったままで動かせない。するとまた、男の声が鼓膜を揺らし出す。
「反応を返さなくて構わない。そちらの思考情報は、全てこちらに逐一表示されている」
 そう言って、男はパソコンのモニタらしきものを指で示す。僕は了解と思考する。男はモニタを横目で見つつ、頷いた。意志疎通は問題無いようだ。だが、と僕は考える。こちらの思考が筒抜けだなんて。すると、それがしっかり伝わってしまったようで、男は一変して不思議そうな表情を浮かべる。
「そんなこと、普通だろう? この世界のプライバシーなんて、全体主義が一般化した時に消え失せただろう。もしかして、『そちらの世界』では、まだ個人主義が優勢なのか?」
 プライバシー筒抜けが普通? 『こちらの世界』? こいつは一体、どれだけ誇大な妄想をしてるっていうんだ。いや……僕と同じ顔した人間が目の前に立っている時点で、これ自体が僕の見ている夢なんだろう。僕は深層でこんなことを考えていたのか。なんならとっとと夢から覚まさせてくれ。そう僕が念じると同時に、男はまた笑い出す。今度は音声も付いていた。
「僕の生きている世界を、『妄想』や『夢』で片付けられるとはね……そちらの文明はまだ発展途上のようだな。或いは、君が偏った思想の持ち主なのか? または知識の欠けた馬鹿なのか」
 男は腕を組み、僕を見据える。その瞳は僕よりも遥かに長い年月を生きているようで、人としての温もりが一切感じられなかった。見た目は僕と何一つ変わらないというのに。それよりも、『そちらの文明は発展途上』? こいつは、一体何を知っているんだ? ――パラレルワールド……ふと、そんな単語が頭に過った。
「そう、パラレルワールド」
 男は頷く。まさか、ちゃちな小説の無意味に豪奢な設定でもあるまいし。そうして一笑に付してやろうとしたところで、男は呆れた顔になる。
「そちらの世界では未だ妄想話に過ぎないのだろうが……この世界では、パラレルワールド、所謂平行世界の存在は衆知の常識だ。誰もが一度は平行世界に干渉しようと考える。そして違う世界線へ移る方法も存在する」
 到底ありえない話だが……この男が妄言を口にしている風には見えなかった。男は言葉を続ける。
「この世界はそちらの『僕』にとってのパラレルワールドであり、またそちらの『世界』は僕にとってのパラレルワールドである……そういうことだ」
 ならば、僕は何らかの拍子でこちらの世界――パラレルワールドにやってきてしまったということか。僕はそう考えを纏めて『僕』を見遣るが、『僕』は首を左右に振った。この結論に、穴など無いはずだが。僕はもう一度この状況を見直そうとする。その時、『僕』が口を開いた。
「君は偶発的にこの世界へやって来てしまったわけでは無い。――そういうケースも幾つかあるようだが、君の場合、僕がこの世界に呼び寄せたんだ」
 偶然僕が平行世界への扉を開けてしまったのではなく、こいつが何らかの手段で、意図的に僕をこちらの世界に引き込んだ、ということか? 僕が問い質すような視線を送ると、『僕』は、そうだ、と頷いた。
「この世界では、生物の意識は既に精密に解析され尽くされて、意識をデータ化することも容易い。その弊害で人々のプライバシーは消えた。意識をデータ化して収集し、世界を統べる者が管理するようになったからだ。平行世界上に存在する、他世界の生物の意識も同様だ。多少複雑な作業を必要とするが、データにすることが出来る。故に、僕は平行世界上にある数多の『僕』の意識から、よりデータを取りやすい意識を選別し、そして僕の細胞から作り上げたクローンへ、選び取った『僕』の意識を同期させたわけだ」
 何だかややこしい話だが、つまりこの身体は僕自身のものでは無く、こいつのクローンというわけか。おおよそ理解出来ない現象だ。僕の仮初めの身体は動かせないので確認出来ないが、本来の僕と瓜二つの構造をしているに違いない。ならば、この身体は僕自身の身体と言えなくも無いのかもしれない。そんなことを考えている内に、ある疑問が脳裏に浮かぶ。……『本来の』僕の身体は、今どうなっているんだ? 感情の見えない『僕』の瞳を見つめる。『僕』は一瞬の躊躇いの後、口を開いた。
「今――君の意識が無くなってしまった君の身体は、生死の境を漂っている」
 その意味を理解するのは難くなかった。しかし、僕の意識は理解することを拒んだ。それは、つまり――
「意識不明、というだけだ。そちらの世界でもよく耳にするだろう。あれはつまるところ、意識と身体が別々になっている状況のことだ」
 僕はほんの少しだけ安堵する。元の世界に戻れる可能性は存在するということだ。
「いや」
 『僕』は僕の思考に口を挟む。何故だ? 僕は怪訝にならざるを得ない。
「身体が回復しても、意識が元の身体に戻る可能性は半分くらいだ。回復した身体に、別の身体から離れた意識が入ってしまうこともある」
 その場合、僕は――僕のこの意識は、どこへ行ってしまうんだ?
「その時は、別の身体に入り込むか或いは――消えてしまうか、だろう」
 僕じゃない別の人間になるか。死ぬか。それらが半分の可能性を持って、実行されてしまうというのか。
「しかし、今君はその身体に同期している――まだ完全では無いが、それが完全に一致すれば、君はこの世界の住人となる。とりあえずまだ死なないし、身体も本来の君のものと変わらない。君は運が良い方だよ」
 僕は普通に過ごしていたはずだ。それなのに、どうしてこんなことに巻き込まれる運命になってしまったんだ。僕は『僕』に問い掛ける。……なあ、なんで『こんなこと』をしたんだ? 『僕』は躊躇うこと無く、冷たい笑みを浮かべて言った。
「ただの知的好奇心の一環だよ」
 僕は唖然として『僕』を見据えた。そんな好奇心で、一人の『僕』を世界から切り離したというのか? 僕は許せなかった。今すぐここから抜け出して、『僕』を殴ってやりたかった。しかし、それは出来ないことだった。僕は心中で歯を噛み締める。
「君は、その身に何が起こったか知らないから、そんなことが言えるんだ。仕方無いから馬鹿な『僕』に、何が起きたのか見せてあげるよ」
 そう言って、機械を操作する『僕』。その動きが止まったと同時に、僕の意識に鮮烈なイメージが叩き付けられる。
 ――その日、僕はバイトだった。うっかり寝坊して、慌てて自転車を走らせていた。スピードを緩めること無く角を曲がった途端、目前に巨大なトラックが現れて――
「個人番号、J26−378−519035。『平行世界接触法』に違反したため、その存在を削除する」
 映像が突然途切れたかと思うと、扉から荒々しく数人の集団が入ってきて、『僕』を取り押さえた。『僕』は必死に抵抗していたが、――やがて、一つの銃声が鳴り響き、『僕』の抵抗も無くなってしまった。
「J26−378−51903、削除」
 『僕』を取り押さえた内の一人がそう言い、『僕』の身体に掌を押し付けると、『僕』の身体は散り散りになって跡形も無く消えてしまった。常識から逸脱したその光景に、僕がひたすら目を見開いていると、『僕』を消した三人が一斉にこちらを振り向いた。僕に過ったものは――死。僕も、『僕』のように消されてしまうのか? 一人が僕に銃口を向ける。僕は瞬きも出来ないまま、それを見守る。そして、引き金が引かれた――。

 はっと僕は瞼を開ける。目に飛び込んできたのは、白い天井。身体中、汗まみれだった。視界の端に人影が映る。それを確認しようとして、顔を動かす。その途端、全身に激痛が走った。あまりの痛みに、僕はみっともない呻きを上げる。すると、それに気付いた人影は、この上無く嬉々とした声を上げた。ようやく顔が僕の視界に入り込む。よく見知った母親の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。
 その後、呼ばれて入ってきた医者に診察された。医者は僕を診て、『奇跡』だと称した。僕の意識はもう戻らない、と言われていたらしい。どうやら、僕は元の世界に戻ってこれたようだった。僕はそっと胸を撫で下ろす。いや、そもそもあれは夢だったんだろう。『平行世界』なんて、所詮フィクションに添えるスパイスに過ぎない。親族や友人達が次々と入ってきては、僕の意識が戻ったことを喜んだ。その中に、何人か見知らぬ顔が紛れていたように思ったが、多分記憶が混濁しているせいだろう。その内、新たな見舞い客がまた一人、病室に入ってくる。今度は僕より年下の女の子だ。彼女は僕の姿を見るなり涙を流したが、僕はその顔に心当たりが無い。彼女は母親に支えられながら、僕の側にやってくる。近くで見ても、やはりわからない。彼女は、僕の手を握るなり言った。
「お兄ちゃん……!」
 僕は目を丸くする。僕に妹なんて、存在しただろうか?

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