世界からの逃亡

 この世界は完璧に創られている。僕がそう感じたのは二週間程前のことだ。世界史の授業で旧世界の悲惨さを聞いた僕は、漠然とそんなことを思った。今、僕が生きている世界は正しく『理想郷』と言えるものだ。人々は争いを起こさず平和に過ごし、無意味な産業開発で自然環境が汚染されることも無い。旧世界の理不尽な汚さの無い、クリーンな世界。それが、今の世界だ。しかし、そんな『完璧な』世界が僕にはどこか気持ち悪く見える。意図的に『創り上げられた』世界。そんな感想を抱くようになってしまった。空を見上げる。どこまでも続く青色が、この世界の真実を隠しているようで、薄気味悪かった。
 細い道を擦り抜けて、街の果てに辿り着く。僕は未だにこの街から出たことが無かった。街と街の境目にはゲートが敷かれている。そこで身分証明や身体検査を行って、ようやく街から出ることが出来る、というシステムだ。一度、知人が街から出ようとして、許可が下りなかったと愚痴を漏らしていたことを思い出す。一般市民は街から出ることが叶わないらしい。そもそも、普通の市民はこの居心地の良い街から出ようという気すら起きないらしいのだが。僕はゲート沿いに延々と続く壁へ近付く。透明でどこまでも高いそれを見上げる。青い空の中央に、柔らかな光を放つ太陽が煌めく。僕は目を細めてそれを見遣ってから、透明な壁に立ち向かう。うっすらと、僕の姿が反射している。僕は隠し持っていた金槌を取り出して、大きく振りかぶった。透明な壁の一部が、粉々に砕け散る。その穴の向こうから、街の外の空気が流れ込む。少々埃っぽい、くすんだ臭い。僕は出来上がった隙間に身体を滑らせ、街の外へと飛び出した。僕の胸はいつになく高揚していた。初めて街の外に出たのだ。こんな犯罪紛いのことまでして、僕は『完璧な世界』から逃げ出したのだ。僕は瞼を上げて、街の外の風景を見渡す。そして、目を見張った。
 灰色の荒廃した建物がいくつも崩れ落ちている。銃声や、悲鳴や、何かが潰れる鈍い音がひっきりなしに響き渡っている。僕の正面で、誰かが倒れる。その身体からは、赤い液体が滾々と湧き出ている。僕は立っていられなくなり、その場にへたりこんだ。これは、教科書に載っていた、旧世界そのものじゃないか? 僕の全身ががくがくと震え出す。街の外側が、まさかこんなことになっていたとは。透明だと思っていた壁は、透明では無かったのだ。空を見上げると、そこに青空は無く、灰色の雲が空を覆っていた。なんだ、これは。僕は慌てて背後を振り返る。自身が破った穴から脱出しようとしたのだ。しかし、そこには穴なんて無く、煤がこびりついたコンクリートが存在しているだけだった。なんで、どうして、戻れないんだ? 僕は必死で壁を叩く。しかし、己の拳に血が滲む以外に何も起こらなかった。僕は嗚咽する。完璧な世界に疑いを持たずに生きていれば、良かったんだ。世界から飛び出そうなんて、考えなければ――。ふと右手を見つめる。金槌を握り締めていたはずの掌には、いつの間にか黒々とした銃が握り締められていた。

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