水口は友達がいなかった

「君って狡猾だよね」

 缶コーヒーを一口流し込んでから、隣に立つ水口は突然にそんなことを吐かした。

「いきなり酷くないか、それ」

 対して、俺は空っぽになったペットボトルをべこりと凹ましながら、不服を唱える。

「いや事実じゃん」

 当の本人にそんなことを言うお前の方がよっぽど狡猾だと思うが。そう反論しそうになったが、こいつの場合は狡猾なんかじゃなくて、ただ性格が悪いだけだと思い直して口を噤む。

「誰とでも分け隔てなく接してさ、深くつるむような相手を作らないだろ」

 それは事実であったから、軽く相槌を打つ。しかし、その事実に何か不都合でもあるのか。俺にはさっぱりわからなかった。

「そういう人間関係ってさ、虚しくないか」

 灰色の空を眺めながら、水口はぽっかりと呟く。口調は驚くほどはっきりしていたが、何故だかどこかへ消えてしまいそうな不安が漂っていた。

「そんなの、俺だけじゃないだろ」

 べこり、とまたペットボトルの凹む音。俺達の向かいのホームに電車が止まる。人の行き来は疎らで、ここが片田舎の寂れた駅であることを暗に示していた。
 水口を横目で見遣る。どこを見ているのか判然としない黒い瞳は、暗く深い水底のようだった。

「皆、諍いを起こさないように、空気を読んで、本音を隠して、生きている」

 俺は独り言のようにぽつりと口に出す。すると水口はずるずるとしゃがみ込んでしまった。

「……そんな、表面だけの人間関係なんて、心底気持ち悪いよ」

 まだ中身が残っている缶コーヒーを、水口は指先で転がす。とぷりとぷりと飛び出してくる茶色い液体が、薄ぼけたアスファルトを濡らす。そこで不意に、俺は気付いた。こいつはただ性格が悪いんじゃない、正直過ぎるだけなんだと。だから俺に狡猾だなんて面と向かって言うし、誰もが行っている処世術を気持ち悪いなんて一蹴してしまうんだ。下にある黒い頭を一瞥する。水口はまだ飽きもせずに缶を転がし続けていた。風がゆらゆらと水口の黒い髪を揺らす。その頭に向けて、俺はペットボトルを降り下ろした。こつりと軽い音が響く。

「何すんだよ」

 水口がぎろりと睨んでくる。俺はそれを無視してもう二、三回程水口の頭を叩く。

「別に、俺がいるんだからいいだろ」

 水口はきょとんとした目を向けてくる。転がった缶の入り口からは、もう何も出てはいない。

「俺とお前は、そんな人間関係じゃないだろ」

 自分で言っておいて、なんだか気恥ずかしくなってしまったので、水口の頭を最後に強く叩いた。仕返しのつもりなのか、水口は俺の脛を殴ってから立ち上がる。

「それは気持ち悪いな」

 水口はそう口にしながら笑い出す。俺もつられて笑っていた。
 閑散としたホームに電車が滑り込んでくる。ふと、空を見上げた。いつの間にか、雲の隙間か青空が覗き込んでいた。

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