窓の向こう側

 その窓の向こうには、いつもあの人がいた。亜麻色の髪をしなやかに垂れ流し、少し日本人離れした目鼻立ちの、美しい人。僕は、その人のことについて、これ以上のことを知らない。学校の行き帰りに、いつもその窓に佇んでいる姿をひっそりと眺めているだけだ。その人に話し掛けたことも無ければ話し掛けられたことも無い。ただ、どこか違う世界を見ているその人を、見つめることしか僕には出来なかった。最初は、それだけでも良かった。その人の姿を視認出来たという事実だけで、僕の胸は喜びに満ち溢れた。しかし、それも続くと段々と見つめるだけでは物足りなくなってきた。もっと、もっと近くに行きたい。そう僕の本能が喧しく騒ぎ立ててきたのだ。この感情を抑え込むのも、そろそろ限界かもしれない。そう思い、行動に移そうと考え始めたその日。ある事件が僕の耳に飛び込んできた。あの人が住む家の住人が、同居人を殺害した、と。僕の頭は瞬時に真っ白になった。あの人が、殺されたのかもしれない……。最悪のパターンを真っ先に想像してしまった僕は、夜が更けるのを待って、家を飛び出した。深夜二時過ぎ。警察や報道陣はすっかりいなくなっていた。昼間のあの騒がしさがすっかり遠いことのように思われる。黄色いテープを掻い潜り、あの人がいる家の玄関の前に立つ。そこで、突然僕の頭は冷静になる。あの人が殺されたとしても、そうで無かったとしても、もうこの家にはいないんじゃないか? 僕の心身が冷や水を掛けられたかのように冷たくなっていく。こんなことをしても、意味なんて無いんじゃないか。僕は溜め息を吐いて踵を返そうとした。その時、あの人の姿を思い出した。思い出してしまった。僕の妄想の中で笑うあの人。僕の脳内で助けを求めて泣くあの人。気付けば僕は、その家の中へと足を踏み入れていた。真っ暗で、何の音もしない内部に、僕の足音と息遣いだけが響く。僕は勘だけを頼りに、あの人がいつもいた部屋へ向かう。身体中がやけに熱くなっていた。あの人を助けるんだという使命感や、その後のストーリーだとか、そんな妄想だけを糧にして、僕は足を進めていた。幾つかの扉を開け、中を探るが誰もいない。当然だ。僕の心も段々と冷めていく。暗闇の中でもわかる程、重厚で豪奢な目の前に現れる。これが、最後の扉だ。僕は意を決して、扉を開いた。そして、僕は驚愕した。中には無数の人形が鎮座していたのだ。そのどれもが、僕の方を見ている。僕は叫び声を上げて、逃げ出しそうになったてでも、それは出来なかった。僕の目に、見覚えのある亜麻色が飛び込んできたからだ。僕は引き寄せられるように、無意識の内に、その亜麻色に向かって歩いていた。近付いていく内に確信する。あの人だ、と。あの、と震える声で僕は声を掛ける。しかし、反応は無い。もう一度、今度ははっきりと、僕は声を掛けた。しかし、それにも反応は無い。僕は恐る恐るその人の肩に手を掛けた。ふわりとした布の向こうに、固く、冷たい感触が確かに存在した。僕は思いきってその人の肩を引いて、こちらに向かせた。振り向いたその人の目は――綺麗な紅玉色の硝子玉だった。その人は、精巧に作られた人形だったのだ。僕の脳内は真に真っ白になる。僕が恋い焦がれていた存在は、人形だったのか。あまりに滑稽な現実に、笑いが込み上げてくる。窓の向こうを眺める。そこからは、雑多な住宅街を望むことしか出来なかった。

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -