彼の仕事

 ぬかるんだ泥が彼の足元で滑る。彼が歩く世界は、真っ白な霧で覆われていた。一メートル先も見えない程深い霧。足下を彩る道は整備されておらず、雨に濡らされた草と土が泥々になって延々と続いていた。彼はひたすらにぺたぺたと歩いていた。真っ黒なコートに身を包んで黙々と。大きな足を包む黒い靴は、土と草がこびりついて随分と汚くなっていた。
 彼は同じ歩幅で静かに歩き続けていたが、不意に立ち止まった。目前には小さな家。穏やかな灯りが、窓の向こうから漏れていた。彼はそれをじっと眺めてから、頭に乗せていた大きな黒い帽子を目深に被り直す。彼は先程と同じように静かな足取りで目前の家へと歩き出した。近付くにつれて、段々とその家の中が彼の目にも見えてくる。小汚いベッドの周りに四人の人間が立っている。皆暗い顔をして、ベッドか中を覗き込んでいた。ベッドに眠っているのは年老いた女。安らかな顔をして、周りの人間を見つめていた。彼は瞬きをする。すると彼の目には、老女の身体から薄ぼんやりとした光の塊が抜け出ようとしているのが見えた。彼は、真っ黒な手袋を右手から外す。現れた漆黒の右の掌を、老女の輝く塊に向けて翳した。彼が一つ呟いた途端、光の塊が彼の闇色の掌に吸い込まれていく。周りがそれに当てられて、白く輝いた。数秒の後、彼の周囲は元の薄暗さに戻った。小さな家の窓を覗く。四人の人間は、先程よりも一層激しく泣いていた。ベッドに横たわる老女は、瞼を閉じていてもう誰も見ていなかった。彼はそれを見届けると、彼らに背を向けて、二度と振り返らなかった。
 彼の周囲はまた白い霧に覆われる。きんと冷えた空気に向けて、彼は息を吐き出す真似をする。細かい雨粒が、彼の存在を消し去るように降り始めた。

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