アイソレーション・タンク

 …………。
 何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。目を開けているのか閉じているのかもわからない。腕や脚がどこにあるのかもわからない。どこに身体を預ければいいのかもわからない。しかし不思議と不安は無く、ただ安穏とした安堵感に満ちていた。
 僕は、重力さえも彼方に消えた、闇の中に漂っていた。
 ここはどこだろう。
 思考を巡らすが、心地好い浮遊感に惑わされて、考えは纏まらない。この闇の中では、自分の存在でさえも不確かになる。意識だけが闇の中に浮かんでいるようで、奇妙な気分だった。このまま身を任せてしまおうか。僕は瞼を閉じる。しかし、光の無いこの場所では、本当に瞼を閉じたのかどうかさえ、確かでは無かった。
 何も考えずに、ただその身を闇に任せる。生温い安心感に包まれる。僕の意識と身体が、段々と分離していく。このまま、どこまでも遠くへ。辿り着く先には、何があるのだろう。途方も無い疑問。答えなど、恐らく僕には見つけられないのだろう。
 意識の行く末を求めるのは諦めて、僕自身について思考し始める。この広い世界で、僕は一体何が出来るのだろう。答えは無数に広がっている。どれを手に取っても、失敗や成功、その他様々な経験を味わうことになるのだろう。僕は自身の心と向き合う。僕はどれを選べばいいのだろう。深々と広がる暗闇の中で、僕の心は様々な世界へ分散していく。

「時間です。お疲れ様でした」
 機械的な女性の声が響き、僕の頭上から光の筋が差し込む。タンクの入り口が開いたのだ。僕の五感がいつも通りに働き出す。意識も、すっかり僕の内側に帰って来ていた。僕はタンクから這い出る。温い液体が僕の全身を濡らしていた。側にあった白いタオルで、全身を隈無く拭く。清潔感のある、石鹸の香りが僕を包み込んだ。
 僕は改めて、さっきまで入っていたタンクの全体を見遣る。白く艶のある表面が、僕の姿を照り返していた。このタンクは、本当に不思議な空間だった。悩んでいた僕の心も、少しは落ち着けた。
 僕は、これからどう生きていくか。ぼんやりながらも、確かに歩んで行こうと思う。

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