にこにこ
適当に発掘したグラスにペットボトルのお茶を注いで突き出せば、いきなり乗り込んで大声あげたそいつは一気にそれを飲み干した。
作業台にもなっているテーブルには、仕事道具が乱雑に散らばっている。
こいつ、適当に移動させやがった。
中身を飲み干したグラスを机に静かに置いたそいつは、白いリボンがたくさん着いた上着の襟を緩めていた。
そのまま居座るつもりかこいつ。
「セージ、俺はずっとお前が番いを見つけないから心配していたんだよ」
「待て、何の話だ」
至極真面目な表情で口を開くから何事かと思えば。
絶対このガキの話になると踏んでたら、俺の番い?
にこりと軽やかに笑みを浮かべた野郎は、そっと眦を指で払う。
涙なんか欠片もこぼれてないだろ。何演技してんだ。
「お前ももう、三十路近いものね……
年の差にちょっと問題はあるけれど、そこに愛があればきっと障害なんて乗り越えられるさ」
「分かったぞ?お前さては遊んでるな?」
「バレた?」
バレないわけないだろ。
いったい何年のつき合いだと思ってるんだ。
へらへらと他人事のように……実際こいつにとっては他人事だが。
笑っているこいつは、ノアはけらけらと笑い声をあげながら、俺の腰にへばり付いている固まりを指さした。
「ところでお前はいつまでそれくっつけてるの?」
「好きでくっつけてんじゃない」
何でか知らないがこのガキ、泣き出した直後から俺にへばり付いて離れない。
突然現れたノアに警戒でもしてんのか、俺の服の裾握って離れない。
ガキを盗み見れば、窺うようにノアを半ば睨んでいたが、笑顔で手を振られると俺の腰にぐりぐりと頭を擦りつけている。
地味に痛い。
お前分かる?骨に骨擦りつけてんの。
お前は痛くないのか、そんなに思いっきりぐりぐりして。
石頭か。
これならまだ腹の方がダメージが少ないんだろうか……。
そう思って抱き上げて腹側にガキを落とせば、一瞬きょとんとした顔をして俺を見上げてきた。
何かにやにやしてるノアにはとりあえず拳をプレゼントしておこう。
落とされたこのガキは、何故か嬉しそうに俺に抱きついていた。
……お前は刷り込みされたコアルヒーか。
「あんた名前は?」
「……」
「あ、名前聞くならまず自分からって?
俺はノア、あんたが抱きついてるもさいのはセージだよ」
「……」
人をもさいとか言いやがったこいつ。
密かにむかついてると、向かい側に座ってるやつもいらっとした顔してた。
顔は笑ってるが、目が何とかしろって言ってやがる。
何で俺に振るんだめんどくさい。
気づかないフリしてたらこいつ、俺の脛蹴ってきやがった。ふざけんな。
「……お前、名前は」
仕方なしにへばり付いてるガキを引きはがして聞けば、ガキはそのでかい目を瞬かせた。
俺から見て右側に首を傾げる。
なんだ、そんな凝視すんな。
「ない」
「は?」
「なまえ、ないの」
事も無げに言ってのけたガキは、変わらず俺をでっかい目で見上げていた。
あんまりな事実に思わず固まってガキを見下ろす。
ちっとも悲しそうじゃない様子にこっちが困惑するばかりだ。
困りきってノアの方を見れば、こともあろうか奴は親指を立てていた。
所謂、サムズアップというやつだ。
……ここでこのジェスチャーとか、こいついったい何考えてやがる。
「そっかそっか、名前がないのか
じゃああんた行くとこもないんじゃないか?」
「……」
にこにこと笑みを浮かべるノアに、ガキは小さく小さく頷いた。
……こいつ、何でこんなにノアに警戒心剥き出しにしてんだ。
ノアがガキの頭撫でようとしたら、全力で避けてる。
おい止めろ、ムキになるな。
お前らの足やら手やらが当たってんだよ。
「じゃあお前、セージの家に住み着いちゃいな」
「!!」
「はあ!?」
何でそうなった。
ノアの言葉にガキは無駄に嬉しそうな顔してる。
だからお前はどこで刷り込みしてきたんだ。
「何で俺んちなんだ、お前が持って帰ればいいだろ」
「何で俺なの、こいつが出現したのはお前の部屋だろ?
しかも俺にはさっぱり懐かないしお前から離れないしかわいくないし」
「懐かなくてかわいくないからちょっとずつ距離詰めて懐柔する気か」
「よく分かってらっしゃる」
こいつ、俺がどういう性格か分かった上で引き取れって言ってんのか。
言ってんだよな。こいつだし。
膝元ではしきりにかいじゅーってなに?って声がするが答える気はない。
知りたきゃ自分で調べろ。
「それにさあ、もしかしたらその子、お前のせいでここにいるかもしれないじゃんか?」
「……」
「だったらちゃんと面倒見なきゃだよねー」
なきにしもあらず……いや、むしろ可能性としては充分に考えられることだ。
だが、どうせこいつの考えでそのことが占めているのはほんの数%だ。
思わず頭を抱えて、口からため息を吐き出す。
目の前の男はにっこにっこと笑みを輝かせていた。
「……どうせ、ガキにてんやわんやする俺が見たいだけだろ」
「さすがセージ、よく分かってる」
きらきらした笑みでこっちを見てるこいつを友人枠から蹴り落としても誰も文句は言わないと思うんだが、どうだろうか。
同じようにきらきらした目で見上げてくるガキの頭を、とりあえず押さえつけておいた。