嘲笑 | ナノ

笑劇はこれにておしまい


そして彼は静かに幕を引く。

苛立つ雰囲気を隠しもせず、警察官はいつもの場所へ足を進めた。
その足下にはヘルガーが二匹、ぴたりとくっついていた。
一匹は楽しげに、一匹は無表情に。
目的の場所につくと、相手は既に警察官を待っていた。


「てめえ、また犯罪者の記憶かき混ぜやがったな」


掴みかかる勢いで言葉を吐き出した警察官に、相手は惚けたように肩を竦めた。
痛んだ黒色の髪に藤色の瞳。
会うたび髪の色も目の色も異なっているため、警察官にはどれが彼の本来の色なのか分からない。
それ以前に興味すら沸かなかったが。


「酷いなあ……ゲーチスが心を病んで頭おかしくなっちゃったんじゃないの?」

「てめえに関わって頭おかしくなった人間が何人いると思ってる
身内にまで手出しやがって」

「怒ってる?」

「面倒なことしてくれたことに対してな、これじゃまともな調書も取れやしない」


同僚に手を出されたことに対しては微塵も心を痛めもしない警察官を、シンは割と気に入っていた。
眉間に深く刻まれた皺に、お世辞にもいいとは言えない素行。
目的のためならば手段を選ばない潔さ。
犯罪者と平気で手を組む狡猾さ。
警察官にしておくにはもったいなく、そこは酷く生き辛いだろうと、シンにしては珍しく同情していた。


「取引は守ったよ?ちゃんと親玉をきみにあげたでしょう?」

「その代わりに俺はお前を見逃す……いい加減素面で犯罪者引き渡せクソ野郎」

「どっちにしたって適当に罪状でっち上げちゃうくせにー」


くすくすと笑い声をあげると、警察官は眉間の皺を更に深くした。
この警察官は犯罪者を潔癖なほどに嫌う。
その矛盾も更に愉快だった。


「そう言えばきみ、また新しくヘルガー飼い始めたの?」


普段であればそこにいるのは無表情で警察官に寄り添うヘルガーが一匹だけのはず。
しかし今日は珍しく、もう一匹ヘルガーを連れていた。
シンと目が合うと優しげに眦を細めた。
警察官が嫌いそうな性格だ、と彼は思った。


「ああ……こいつはな、」

「きみに用があって彼に頼んで連れてきて貰ったのさ」


警察官の言葉を遮り、ヘルガーが口を挟んだ。
流暢に人語を操り、ポケモンらしくない笑みを浮かべる。
にいっと引き上げられた唇の間から、鋭い牙が覗いた。


「気が付かなかったかな?リュウラセンの塔できみ達を追いかけたのもわたしだよ」


シンが珍しく驚いたように目を見開き、そして、ゆっくりと唇を釣り上げた。
今までにない獰猛な笑み。
漸く目の前に垂らされた餌に手が届いた猛獣のように、シンは瞳をギラつかせた。


「はは……どうしてきみが彼といるのかとか、そんなの今はどうでもいいや……
会いたかったよ、神」

「そうかい?それは嬉しいことを言ってくれるじゃないか……あの一瞬しか会っていないというのに」

「そうだよ、あの一瞬で俺の人生は180度変わったんだよ、お前のせいでな!」


唐突に激昂したシンは本能のままに両手を伸ばし、未だヘルガーのままそこにいるそれの首を掴んだ。
ぎりぎりと締めつけるが、引き倒したヘルガーの姿をしたそれはゆったりと笑みを浮かべる。
それが相手の余裕を表すようで、シンは更に両腕に力を込めた。


「さあ、お前を捕まえたぞ……殺されたくなければ俺を元の世界に帰して貰おうか」


なおも笑みを浮かべようと唇を引き上げるシンだったが、その表情はとても笑みとは言えないようなものだった。
首を絞められている相手よりもよっぽど、シンの方が追いつめられているように見える。
口調も荒くなったシンに呆然と事態を見送っていたシンの手持ち達は、その言葉に困惑したように目を見開いた。


「はは、もう遅いよ……きみはもう、この世界に馴染み過ぎた」


ふわりとヘルガーの姿で無邪気な笑みを浮かべた神に、シンは目の前が真っ赤になったのを感じた。
もはや折り、砕く勢いで地面に相手の首を叩きつけ、締め上げる。
力を入れすぎた手は真っ白に染め上げられていた。
手持ち達は一切事情は把握出来なかったが、ただ一つ、分かったことがあった。


「ふざけるなよ神……本当に殺してやろうか」

「ははは、神殺しなんてしてしまったら本当にどうなるか分からないよ?きみ
それよりほら、後ろよく見ないと危ないよ」

「はあ?そんなことで気が逸らせると思うな、」


シンの言葉が途切れ、彼の体はふわりと宙に浮いた。
足が着くか着かないか。そのぎりぎりのところで見えない力で締め上げられる。
何度も目の前で見てきたこの力の持ち主を、シンは振り返った。


「ナキ……、いったい、どういうつもり…?」


片手を振るだけでシンの動きをいとも簡単に封じてみせたナキは、いっそ包み込むような暖かな笑みでシンを見つめた。
シンの目線の高さまでふわりと浮くと、その頬を片手で撫で上げる。
ちかちかと点滅する手の先の光が、今までに見たことのない速度で瞬いていた。


『サヨ、アナタ、シンの足を食べたくはないデスカ?』

『!』


原型で語られる言葉はシンにも警察官にも分からない。
しかし敢えてこの状況で、撫で上げるような優しい声色で話すナキに、シンは初めて恐怖した。
ぶらりぶらりと、誘うようにシンの片足をサヨの目の前で振る。
振られた片足から靴が投げ落とされた。
柔らかい肉が、サヨの前で誘う。
ふらふらと誘われたサヨは、シンの細く引き締まった足へ鼻面をこすりつける。
甘い、魅惑的な匂いがサヨの理性を折った。


「なん、の…つもり……サヨ、うああああああああああああ!!」


ぶちりぶちりと。
神経ごと引きちぎるように。
サヨの鋭い牙がシンの足の、柔らかい肉を引きちぎる。
呼吸をするたびに吹き出す赤い赤い温かな血に、サヨは恍惚とした表情を浮かべた。


『ああ……こんなに血が……止めないと死んでしまいますわ』


ずくりずくりと疼く傷口に、今度は刺すような冷気がシンを襲った。
ヒメが、自身の技で傷口を凍らせたとシンが気づいたのはそのずっと後だった。
突然のポケモン達の凶行に、シンはがたがたと体を震えさせた。
それは恐怖からだったのか、痛みだったのか、それとも貧血による痙攣か。
それは彼にしか分からなかった。


『逃がさないよ、シン』


そう言ったのは、いったい誰だったのか。






「そういや言い忘れてたな、あのヘルガー、肉が好きなんだよ」


ぼうっと目の前の暴力行為を見ていた警察官は、それすらなかったかのように平常時の口調でそう言った。
そんな警察官にヘルガーは笑みをこぼす。


「ははは、きみはとても肝が据わっているね?」

「ああ?そうか?」

「うんうん、普通こんなの見たら精神病むよ?」

「犯罪者がどうなろうと俺の知ったことじゃねえな」


オーベムを中心に何かを話しあっているシンのポケモン達は、全員どこか憑き物が落ちたように清々しかった。
その腕に血まみれのトレーナーさえいなければ至って普通の光景だろう。
不意に警察官とサヨの目があった。
サヨはしっかりと警察官を見据えると、一度深くお辞儀をした。
感謝します、と言ったところか。


「ああ、そうだ……俺とお前の取引の内容」

「んん?わたしがきみの手持ちとして少しの間きみのお世話になるってあれかい?」

「そうだ、まだ俺にテイクがなかったからな」

「うーん……きみの見返りはちょっと怖いかなあ」


ちゃかすようにそう言ったそれに、警察官は鼻で笑った。
そして、自分にとって最も優良となる願いを口にする。


「お前、しばらくシンの姿で牢屋にぶち込まれてろ」


あっさりと、神を逮捕すると言って見せた警察官に彼はきょとりと表情を固めた。
そんな珍しい姿を見た警察官は特に感慨もなくその表情を見下ろす。
いくら待っても反故にしない願いに、彼は哄笑した。


「あっはは……最終的にきみが一番得をしたねえ?わたしは神様だよ?」

「だからどうした、取引は取引だろ」


しばらくの間、彼の美しい笑い声が辺りに響いていた。

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