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pansy

太陽が真上から少し傾いた頃。茹だるような暑さの中、少しだけ客足が途絶えた。こう炎天下の中では外に出るのも一苦労だ。もう少し日が落ちて涼しくなれば、買い物に出る人も増えて売れる花も出てくるだろうか。クーラーを効かせた涼しい店内には、私が持つ鋏でしなびれ始めた花や葉を切り落とす鈍い音が響いている。こうした裁断作業も花を美しく見せるために必要なことだが、どうにも心苦しく思ってしまう。

そういえば今日も花は届いていなかった。この真夏日だし、しかも昨日彼は何も言わずに帰ってしまった。名前も聞いてないし、花のお礼もまだ言えていない。今度はいつ来てくれるだろうか。それとももう来てくれないだろうか。

幸也君と心花ちゃんが言うには、今日のわたしはそわそわして落ち着きがないのだとか。ドアが開く度に一喜一憂しているのがよくわかると。傍から見るとそんなに落ち着きがないとは……。なんだか恥ずかしい。鋏を持ちながら考え事なんて、また怪我を作る口実になってしまうな。いい加減集中しないと。気合をいれるように拳をにぎって、ふと顔を上げる。すると、昨日と同じようにガラスの扉の向こう側に立っている彼を見つけた。


「あっ!!」

「わっ!?」


思わずまた大きな声を出してしまって、彼の肩がびくりとはねる。何故か手に鉢植えを持っていて昨日より逃げ足はおそい。今日は捕まえられそうだ。


「あーー!まって!まってください!!」


少々乱暴に鋏をテーブルに置いて、急いで扉の前まで走る。ドアにつけている、来客を告げるためのベルがガチャガチャガラガラと壊れたような音をたてた。嫌になるくらいの暑さの中で響くけたたましい音はたいそう聞き苦しいだろうに、彼は律儀にこちらを振り返ってくれた。


「今日も来てくれたんですね、よかった。昨日は急に帰ってしまったからもう来てくれないのかと思っちゃった」


安心したからかいつも店先で浮かべている笑顔とは違うものが浮かぶのが自分でも分かる。まるで花の世話をしてる時の私のような、気の抜けたそんな表情。情けなくてだらしないそんな私の表情に、彼はどこか慌てたように首を何度も横に振った。幼い仕草がなんともかわいい。


「僕こそ、もう来るなと言われるかと思ってました」

「まさか!さっきもちょうど君のこと考えてたのに」


笑いかけながらそう言えば、彼はきょとんとした後に一瞬で頬を薔薇色に染めた。ぶわっと効果音が出るほどに一瞬のことで、こっちも面食らってしまう。かわいそうなほど頬は赤いのに、どこか嬉しそうな彼の態度がどこか気恥ずかしい。


「えっ、えっそれどういう」

「毎日お花届けてくれてありがとう!昨日はちゃんとお礼言えなかったから気になってたんだ」

「あ、そ、そっち……」


かと思えば一瞬で、それこそ効果音が聞こえてくるくらい分かりやすく肩を落とした。素直な子だなあ。もう私の態度が完全にお客様に対するものじゃなくなってるけど、彼は全く気にしていないようだ。


「そう言えばお互い名乗ってもいないよね。私はカズミ。ここの店長さんです」

「カズミ……さん」

「そう、君は?」


噛み締めるようにわたしの名前を呟く彼。手に持っていた鉢植えをぎゅっと抱きしめている。

「僕は花織です。花に織物の織るで、はなおり」


にこにこと幸せそうに笑う彼、花織君。素直に自分の気持ちが表情に出る花織君だからこそ、私もつられて笑顔になる。そんな花織君は思い出したように声をあげると、いそいそと腕に抱いていた鉢植えを私に差し出した。

受け取ってくださいという言葉と共に渡されたのは、鉢植えに咲く一輪のパンジー。


「今日は鉢植えごと持ってきてくれたの?

「あ、はい……その花はなんだか切花より土に咲いてる姿の方がカズミさんらしいなって」

「ん?私らしい?」


私もパンジーは土に咲いてるすがたが一番綺麗だと思うけど、私らしいってどういうことなんだろう。花織君はにこにこ笑いながら何度も頷いている。


「はい、カズミさんらしいです」

「わたしこんなに可憐じゃないよー」

「そんなことないです!カズミさんはすてきです!だって僕、ひっくちゅん」


昨日に引き続き、まるで花織君の言葉を遮るようにくしゃみが飛び出た。口元を抑えて何度もくしゃみをこぼした花織君は、やっと落ち着いたのか気まずそうに頬を掻いていた。


「花織君、もしかして風邪?」

「ち、違うんです……僕アレルギーで……その、花粉の」


なんとまあ、自分で育てる程花が好きだろうに花粉症とは。不憫だ。とても不憫だ。わたしが花粉症になったら一週間は塞ぎ込む自信がある。そうだ、今度彼が来てくれたときはプレゼントをしよう。いつもお花をくれる優しい彼にほんのささやかなプレゼントを。

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