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その日、お店はありがたいことに大繁盛していた。花の種類に目移りするお客さんに声をかけ、購入を決意していただいた花を美しく飾り、店内の花の様子に気をかける。目が回るほど忙しいけれど、視界をどこに移しても大好きな花がまるで励ましてくれているようで、もう少し頑張ろうと思える。きれいねと、ここで花を選んでよかったと、パートナーに喜んでもらえると、そんなうれしい言葉ばかりかけられるとどうしたって頑張ってしまうじゃないか。
「心花ちゃん、そろそろお昼行ってきていいよ」
時計の針も十二を過ぎて、そろそろお腹も空いてくる頃だろう。ただでさえ朝から働きっぱなしなんだ。食べ盛りの心花ちゃんと幸也君にはつらいに決まっている。ちょうど客足も少し止みそうだし、一人ずつ抜ける分には問題ない。
そう思って声をかけると、優しい心花ちゃんは窺うように私と幸也君をちらりと見上げた。
「でもまだ……」
「僕なら大丈夫だよはなちゃん。先に休憩してきて?レディーファーストだよ!」
「そうそう、か弱いレディーは優先しなきゃね!」
「そういうこと!」
にぱっと明るい笑顔でさらりと口説き文句紛いのことを言う幸也君は、ほんとに私より年下なんだろうか。私なんかこの年になってもそんな甘い台詞言ってもらった記憶がない。
思わず幸也君に乗っかって心花ちゃんを促せば、心花ちゃんは顔を真っ赤に染めてばかじゃないのと怒鳴りながら奥へ引っ込んでしまった。心花ちゃんの素直じゃない照れ隠しは本当に分かりやすくて可愛いなあ。微笑ましく思って、心花ちゃんが少々乱暴に閉めた扉を見つめる。ふと隣を見てみれば、なんとも優しく愛おしそうな瞳の幸也君がいた。うーん、なんとも、応援したくなる二人だなあ。
軽口なように見えて、真剣に心花ちゃんに恋をしているんだとよく分かる表情だった。なんだか甘酸っぱい。
「幸也君、幸也君」
「あ、なーに?カズミちゃん」
ちょいちょいと手招きして、店の一角に幸也君を呼ぶ。素直にとことこと歩いてやってきた幸也君の目の前に満開の花達を差し出す。面食らったように大きな瞳を更に見開いた幸也君はぱちぱちと数度瞬きをした。
「このお花ね、今日が一番よく咲いてるんだけど、売り切れないかもしれないの。よかったらもらって?」
「いいの?」
「女の子はたまにもらうプレゼントに弱いからね」
にっと笑えば、幸也君もいたずらっ子のような笑みを浮かべた。私の両腕からそっと花を受け取ると、香りを確かめるように顔を近づけている。私が一から育てた花だ。もう店に置けないからと言っても自信をもっておすすめできる。
「じゃー、遠慮なく!いただきまーす!」
「はいはいどうぞ」
素直に受け取って、屈託なく笑ってお礼を言ってくれる。そんなかわいらしい様子が、また甘やかしてしまう原因なんだろうなあ。大きい帽子を被っている幸也君の頭をぽふぽふ叩いていると、幸也君は思い出したように顔をあげた。
「そーいえば、今日はまだ届いてないね?花」
「そういえばそうだね。忙しくて忘れた」
一日一輪、必ず届けられるあの花。そういえば今日はまだ見ていないな。思い出してみると、なんだかちょっと寂しい気がしてきた。なんだかんだであの花を楽しみにしてたんだと気づく。
届かないなら仕方ない。そんな日もあるかと、気を取り直して店に並ぶ花の手入れをしようと顔をあげる。するとちょうどお店のガラスの扉の向こうにぽつんと誰かが立っていた。お客さんだろうか。目元が隠れるほどに長い前髪の細身の男性は、私と目が会うと凍ってしまったかのように動きを止めた。男性の手元には一輪の花。茎がドアの隙間に挟まっていて、男性が手を離しても落ちる事はなさそうだ。
外の風を受けて花弁が揺れている、一輪のクルクマ。
「……あ!?もしかしていつも一輪だけ花をくれる人!?」
「ひっ!?」
失礼だとは思うが、思わず興奮して男性を指さしてしまった。驚いたのから大げさに肩を跳ねさせた男性はうろうろと落ち着きなく視線を揺らしている。目元は見えないからおそらくがつくが、何故か仕草からそうとはっきり伝わってくる。
「あ、あの、あの、僕、」
おろおろと両手を上げ下げしている男性を、とりあえず店の中へ迎え入れようと店のドアを開け放つ。花の香りと外の匂いが混ざって溶ける。
ドアを開けたことで落ちそうになった花は、彼が空中でしっかりキャッチした。やっぱり、いきいきとしてたくましくて、美しい花だ。
「それ、私に?」
「は、い……っ」
語尾を飲み込むようにして、それでも精一杯頷いた彼が、なんだか可愛らしく見えてくる。前髪のせいで正確な歳は分からないが、私と同じくらいか少し下くらいだろうか。
「これは、僕があなたを思って育てました」
「えっすごい!?こんなきれいな花をあなたが?え、でもなんで私?」
単純に、純粋に驚く。確かに育てた人に会ってみたいとは思っていたが、こんなに早く叶うとは。しかも思った通り、純粋そうで優しそうな人だ。軽率かもしれないけども、きれいな花を作る人に悪い人はいないと思う。
私が訪ねれば、彼は耳まで真っ赤にして、落ち着きなく両手で花を触っている。それでも何かを決心したのか、私の瞳をじっと見つめ、口を開く。
「それは、それは、僕があなたにひと……っくしゅん!」
肝心の最後の一言がくしゃみに飲み込まれた。一度出てしまったそれにつられるように二度三度と繰り返しくしゃみが飛び出す。思い返せば、彼の声は少し鼻声だったかもしれない。風邪でも引いているんだろうか。この時期の風邪は治りにくいものなあ。
なんてぼんやりと考えていれば、ようやくくしゃみの収まった彼は、ふるふると震えてうつむいていた。手に持っていたクルクマを押し付けるように私の手に握らせると、脱兎の如く走り去ってしまった。
「えっ、あっ、また来てくださいね!!」
逃げる背に慌てて声をかけるが、ちゃんと聞こえただろうか。私の手の中で、クルクマが涼やかに揺れていた。
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