海月の腹底 | ナノ

あのこが消した道しるべ

あのこからにげ出した。まってというあのこからただひたすら。いえをとび出て、町をぬけて、森をかけて。ひにくなことに、成長したからだはぼくがにげるのをただただ助けてくれていた。からだが軽い。こんなことはじめてだ。視界もひろい。遠くまで見わたせる。

草木が目の奥でみどりの線になってつらなる。目の前にきれいな湖があらわれた。この湖は、シンセイなものなんだよ。おねがいしたら君のそのキョウフシンもけしてくれるよ。そういったのはあのこだった。シンセイとかキョウフシンとか、むずかしい言葉はよくわからない。でも、あのこが言うことなら、きっとそうなんだろう。

ちがう、あのこはいやだ。ぼくはあのこがいやなんだ。そう、いやだ。そうだよね。確認するように言いきかせれば、湖がすこしだけ、いろを変えたように見えた。

あのこが追いかけてくる声がきこえる。がさがさと草をかきわけて、ぼくのなまえを大きな声でよんでいる。いま、あのこに会うのはいやだなあ。どこか、どこかかくれるところはないかな。ぐるりと見わたしてみても、ぼくより背が低い草しか見つからない。あのこの声がどんどん近づく。ぼくの目の前にあるのはひろいひろい湖。いっそ水に溶けてしまえば見つからなくなるのかな。


「ああ……もしも、ぼくがこわくなければとびこむのに」


足先を水面に少しひたすだけで、ぶるりと肌があわだった。こわいなあ。こわい。湖のまんなかで、ちかり、とさそうようにひかりが跳ねる。ちかり、ちかり。すうっと水底に消えていく。まって、まって。さっきまでこわいと思っていた水に足をつける。こわくない。からだがしずむ。息ができる。くるしくない。

とぷり。目の前が青く染まった。ゆらりとゆれるひかりがおどる。からだがかるい。くるりと回れば水はぼくを歓迎した。まるで水とひとつになったみたい。こぽりと吐いたあわがゆらゆらと水面にのぼって、きえる。


「あのこの言ったとおりだ。おねがいしたら、かなった」


それならこのまま見つからないように。隠れていたい。もうすこし。もうすこしだけ。おねがい。

すうっと吐き出した息が、とぎれた。はいてもはいても、あわがでない。あれ、おかしいな、さっきまで感じてた、水の抵抗がうすらいでいる。水をかく感覚がなくなっていく。きえていく。何が起こっているの。そっとかかげた手の向こうが透けている。するり。手が、みえなく、なって、


これが、ぼくがもどれなくなった、おはなし。

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