Lip! | ナノ

06


ざわざわと耳を打つ声がする。さくりと踏みしめた地面に足が埋まる。ひやりと首筋を撫でた氷の粒に思わず肩が跳ねた。


「つめた……って、え?」


一気に浮上した意識に、わたしは目を丸くして固まった。一面の銀世界。舞い降りる、なんてかわいい表現が似合わない、吹き付けるような雪はわたしの肌にぶつかって体温を奪う。

認識したと同時に、ぶるりと体が震える。寒い。それもそうだ。わたしの今の格好は、学校の制服に焦げ茶のローファー。防寒着の一つ、身につけていないのだから。


「なに、ここ、雪山?」


積もり積もった雪から僅かに覗く岩肌に、何となくそう検討をつける。空気も少しだけ薄いような気もする。あまりの寒さに歯がカチカチと音を立てた。指先の感覚がもうない。わたしはここにどれくらいいたんだろう。悴む指先に息を吐いてもちっとも温まる気がしない。雪にずぶすぶと沈み込んだ足先が、指すような痛みを訴えている。


「さむい、なんでわたし、こんなとこ」


自分で自分を抱きしめるように、強く強く体に腕を巻き付ける。てのひらで二の腕を擦ってみても熱はどんどん逃げていく。どこか、どこか。せめてこの吹雪を防げるところはないか。

ぐるりと周りを見渡してみても、白い世界が広がるだけだ。雪の中に、わたしがひとり、ぽつんと立っている。このままここでじっとしていたら、凍死してしまうんじゃないか。でも下手に動くのも危険だと、テレビか何かで聞いたような。

ガチガチと歯がなる。鼻がツンと痛む。指先の感覚が消えていく。ひとりぼっちで寂しくて、訳の分からない状況に思わず涙が溢れ出る。きっと今、わたしは誰にも見せられないような酷い顔をしてるだろう。


「しんじゃ、う」


耐えきれずに一歩足を踏み出せば、氷のような雪の冷たさが刺すように感じられた。どこへ向かって行けばいいのかなんて、さっぱりわからない。けれども、こうして歩いていれば、少なくとも霞んだ視界は留めることができるような気がした。

何かのタガが外れてしまったのか。ぼろぼろこぼれる涙を止めることが出来ない。頬を滑るよりも先にまつ毛やまぶたにくっついて凍ってしまいそう。啜り上げるように鼻を鳴らせば、鼻水が逆流していった。

寒くて痛くて。どうにも夢とは思えない感覚がしっかりとするから、またどうしようもなくてわたしは泣いた。


「あ、」


そうして半ばヤケのように歩き進めて行けば、前方にぽっかりと穴を開けた洞窟が見えた。中は暗く、風が通っているためか唸るような不気味な音がしている。

普段なら絶対立ち入らないようなところだが、今のわたしにはまるで天からの恵みに感じられた。そもそも普段ならこんな山にはこないのだけれど。


「あった、かい」


転びそうになりながらも洞窟の中に足を踏み入れれば、今まで吹き付けていた雪と風がぴたりと止んだ。凍えるような寒さは変わらないはずなのに、温かく感じるから不思議だ。

涙とその他いろんなもので汚れている顔を制服の袖で乱暴に拭う。鈍い指先にはあ、と吐息を吹き付ければ、じんと痺れるような感覚が襲う。まるで今まで血が流れていなかったかのようだ。


「奥に行ったら、もう少しあったかいかな」


入口付近にいたため、背中に吹き付ける風が冷たく感じる。これ以上体温を奪われるのもまずいだろう。もう手遅れかもしれないけど、それでも少しでも温かいところに行きたい。

ずり、と引きずるように足を踏み出す。気づけばローファーは片方どこかへ行ってしまっていた。雪に取られてしまったのかな。黒い靴下が水気を吸って、冷えて、凍りかけていた。脱ぐのはしばらく諦めた方が良さそうだ。

岩肌に手をつくようにして奥へと進む。意外と深い洞窟みたいだ。真っ暗で先が見えない。


「せめて明かりがあればいいんだけど」


髪に絡まっていた氷が、体温で溶けて滑り落ちてくる。首筋を流れ落ちて来るのが不快だ。ああ、どうしてわたしは身一つでこんなところにいるのか。

吹雪に晒されているときより大分余裕が出てきたからか、今置かれている状況に思考が逸れていく。どうしてこんなところにいるのか。わたしにはどうやってここに来たのか記憶がない。誰かに連れてこられたのか。だいたいせめて防寒具くらいくれてもいいのではないか。

後半は誰に向けるでもない文句のようになってしまっていたわたしの思考を止めたのは、ひとつの鳴き声。その鳴き声は狭い洞窟内に反響するように響いている。多少視界が暗闇に慣れたとはいえ、周りを見渡してみても、何も見えない。鳴き声はまるで会話するようにいくつも響いている。低い声と高い声。そろりと足を後退させれば、踵が何かを蹴りあげた。

カツンと甲高い音が響き渡った。


「ひっ!」


思わず上がりそうになった声を両手を使って押さえ込む。それでも短く悲鳴はあがってしまって、わたしは更に混乱した。

どうしよう、どうしよう、どうしよう!この先にいるのは、絶対に、絶対に人間ではない。何かの動物だ。逃げなくては、襲われてしまう。

がくがくと震える足を叱咤するも、うまく動いてくれない。わたしの足なのに。


「あ、あ、」


奥の、溶けるような闇の中から顔出したのは、大きな大きな熊だった。つり上がった瞳と、鋭い爪、お腹に丸い輪っかがあって、何故だかどこかで見たことがある気がした。

熊は、震えて突っ立っているわたしを認識すると、一際大きなうなり声をあげて爪を振りかぶる。苛立ったような、邪魔をするなと言われているような。低い鳴き声はびりびりと洞窟を震わせた。


「あ、ああ、ああああ!!」


目の前に迫る鋭い爪が右肩から左腰へと走る。寒さで震えていた体は、瞬間燃えるように熱くなった。言う事を聞かなかった足がずるずると崩れていく。じりじりと焼けるような痛みを放つ胸を押さえれば、手はぬるりと滑った。

顔をあげる。熊は叫ぶように声をあげて爪を振り上げている。その熊の後ろに、小さな二つの三日月が見えた気がした。

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