01
賑やかな街並みに映えるようにそびえ立つ建物を前に、ミナトは一つ息を吐いた。女性特有の細やかさというのだろうか。あるいは趣味の行き過ぎか。これまで訪れたジムとは違い、扉にはさりげなく飾られたピンクのポケモンのモチーフが揺れている。先ほど窓からちらりと覗けた内装は桃色一色。きらびやかな装飾と建物の中から響く黄色い声に、ミナトは眩しそうに目を細めた。
「……今、お時間宜しいですか」
ぎ、と軽い音を立ててドアを押し開けば、先程まで楽しげに声を上げていた女性達の視線が一度に向けられた。興味深そうに、遠慮なくぶつけられる数々の瞳に居心地が悪くなる。半歩後ろに控える世羅が、気遣わしげにミナトを見ていた。
「ジム戦をしにきました。挑戦者のミナトです」
水を打ったように静まり返っていた部屋中にミナトのそれほど大きくない声が響き渡る。思ったよりも反響音が大きいこと気がつくが、瞬間わっと沸いた声に、先程聞こえた賑やかさはジムの作りのせいだけではないことが分かった。
ミナトよりも多少年上に見える、綺麗に染め上げた金の髪が印象の女性に声をかけられる。素直に女性に着いていった先には、広いバトルフィールドが広がっていた。鮮やかな薔薇色の髪の毛が、ミナトと対峙する位置で揺れている。彼女が、このコガネジムのジムリーダーのアカネなのだろう。自信満々に、勝気な笑みを浮かべている。
「あんたやね?うちに挑戦するっていうんは」
最近になって聞き慣れた訛りがするりと耳に飛び込んできた。にっと吊り上げられた唇が可愛らしく笑みを形作る。ジムトレーナーも観戦するつもりなのか、ちっとも人の数も声も減らない。この熱狂的な空気の中、バトルするのは骨が折れそうだ。ミナトはまた小さくため息をついた。傍に控えていた世羅は、今は壁際で大人しくこちらを見ている。
「言うとくけど、うちめっちゃ強いでー!負けて泣いても知らへんで!」
「……泣きません、負けたくらいじゃ」
挑発ともとれる言葉に返した返事はとても小さく、歓声で溢れるジム内で聞き取れたのはミナトのボールに入っている仲間達のみだった。
先ほど案内をしてくれた女性が審判を務めるのか、彼女は両手に色の違う旗を持っている。口を開いた女性の、高く綺麗な声が高らかにフィールドに響いた。
「それではこれより、ジムリーダー・アカネ対チャレンジャー・ミナトによるジム戦を始めます!使用ポケモンは二体、ポケモンの入れ替えはチャレンジャーのみ認められます」
お決まりの文句を聞き流しながら、ミナトはベルトに付けたボールに手を這わせた。四つあるボールの内の一つがかたりと揺れる。昨晩、今日のバトルについて話した時から、瞳を闘志で燃やしていたのを思い出す。爛々と輝く灰の両目に、少しだけ珍しいと感じていた。
ミナトがそのボールを片手で掴むと、対峙していたアカネは既にボールを放り投げていた。中から飛び出してきたのは、桃色の容姿が愛らしいピッピだ。可愛らしく鳴き声を上げたピッピは、真っ直ぐこちらを見ていた。
「いって、天凛」
『よっしゃ!任しとき!』
手に持ったボールを軽く放れば、やはりいつもよりやる気に満ちた声が返ってきた。好戦的、とでもいうのだろうか。普段温和な彼はぴりりと張り詰めた空気を纏っていた。
審判が両手に持った旗を振り上げた。女性特有の高く、けれども威厳を伴った声がバトル開始を告げる。
「ピッピ、“おうふくビンタ”や!」
「“りゅうのいかり”で牽制して」
アカネの指示に従い、勢いよくフィールドを蹴ったのはピッピだった。短い手足を懸命に振り、それでも素早く迫ってくる。自信満々に告げた、先程の言葉は嘘ではないのだろう。ジムリーダーの名に恥じない鍛え方をされていた。
素早いピッピを足止めするように、天凛はフィールドの四方八方にばら撒くように衝撃波を放つ。まるで雨のように降り注ぐ青く澄んだ衝撃波に、ピッピはたじろくように足を止めた。隙を狙うかのように、天凛がゆらりとそのしなやかな体躯をくねらす。
「“アクアテール”!」
ミナトの声を合図に、今まで一歩もその場から動かなかった天凛が勢いよく飛び出す。勢いそのままに長い尾を振り抜けば、意表をつかれたピッピは避けることも出来ずフィールドから吹っ飛ばされた。
地面に叩きつけられた形になったピッピだが、すぐに体勢を整えた。ふるふると頭を数度振ると、アカネに向かって鳴き声をあげる。大丈夫だと伝えられたその言葉の意味を、アカネは寸分違わず理解したようだった。整った唇が、快活そうな笑みを浮かべている。
「やるなあんた!でも次はこっちの番やで!ピッピ、あんたの歌聞かせてやり!」
アカネの言葉ににっこりと笑みを浮かべたピッピは、すうと大きく息を吸う。開かれたその口からこぼれるのは、高く美しい旋律。とろりとした微睡みを誘うような、甘く優しい歌だった。
『う、お……?なんか急にねむく、』
「しまった、天凛その歌は」
ピッピのフィールド上に響き渡る歌の正体はは、相手の眠気を誘う“うたう”だ。ミナトはとっさに耳を両手で覆って歌を遮るが、ミニリュウの天凛はその方法を使って回避する術がない。耳を覆う手も足もない天凛は、流れる歌を直に聞いてしまった。
ふらりと体が揺れ、まぶたは重く落ちそうだ。必死に抗っているのか、天凛はしきりに瞬きを繰り返している。そんな天凛にピッピはチャンスとばかりに迫る。
「今やピッピ!“めざましビンタ”!」
「天凛!」
短い手を思い切り振りかぶった、ピッピの強烈な一撃が天凛を捉えた。“めざましビンタ”は、眠り状態の相手に対して放った際、通常以上の威力となる。ピッピよりも軽い天凛の体は、簡単にフィールドに叩きつけられた。
先程とは全く真逆の展開に、ミナトは天凛の名を叫んだ。ふるりと首を振って体を起こした天凛の瞳はしっかりとピッピを捉えている。どうやら技の衝撃で意識は取り戻したようだ。
「大丈夫?」
『問題あらへん!次はくらわんで!』
宣言するように声をあげた天凛に、ミナトは同意するように小さく頷く。しっかりとアカネとピッピを両目に写す天凛に、アカネはにっと笑みを浮かべた。
「まだまだやる気やね?ええやんええやん!うちめっちゃ燃えてきたわ!」
ぐっと拳を作って声をあげたアカネに同調するように、ピッピも愛らしい鳴き声をあげる。バトルが楽しくて仕方ないのだろう。こぼれる笑みから、仕草から、余すとこなく読み取れる。
「ピッピ、もう一回“うたう”や!」
再度コンボを決めようと言うのだろう。ぴんと指を差して、アカネは声高々に指示を出した。ピッピが大きく息を吸い込み、綻ぶように唇を開く。
同時に、天凛の姿がかき消えた。
「天凛、“しんそく”」
目を見開いたピッピの目の前に、高速で移動した天凛が先制攻撃を繰り出す。眠らされる前にこちらから攻撃をしてしまう。力技ではあるが効果は充分あったようだ。
「とどめの“アクアテール”!」
ダメ押しとばかりに水流を纏ったかのような激しい一撃を与えれば、ピッピは堪らずフィールドに倒れ込んだ。審判がピッピを見やれば、そこには目を回して伸びているピッピの姿が。
「ピッピ戦闘不能!ミニリュウの勝ち!」
審判の言葉と共に、ギャラリーの声がわっと沸いた。アカネは悔しそうにボールにピッピを戻すと、一言労りの声をかけている。そっとボールの表面を撫でれば、ピッピは答えるように一度かたりとボールを揺らした。
ピッピのボールを戻したアカネは、次のボールに手をかける。使い込まれた、けれど光沢を失っていないモンスターボールを片手に、自信満々に笑みを浮かべる。
「やるなああんた。うちに挑むだけはあるわ」
「……どうも」
「でも次は負けへんで!この子はうちの切り札やからな!頼んだでミルタンク!」
アカネが勢いよく投げたボールから飛び出したのは、ちちうしポケモンのミルタンク。ピッピよりも体重も重く、見るからにタフそうだ。ジムリーダー自ら切り札と謳うポケモンだ。手強いと見て間違いないだろう。
ミナトはそわそわと落ち着かない天凛を戻すと、真新しいモンスターボールに手を伸ばした。
「出番だよ、柘黒」
放たれたエーフィは、ゆるりと瞳を細めた。
top