花曇りの空 | ナノ

10


遙か頭上から降り注ぐ雨は、傘に弾け軽快な音楽を奏でていた。
安物のビニール傘は無色透明で、傘の中からでもどんよりと落ちた空がよく見える。
爪先で水たまりを蹴り上げたミナトは、靴が湿る不快感にそっと顔を歪めた。
飛び出していった天凛の天色の髪は割とすぐに見つけることが出来た。
頻りに辺りを見渡す天凛の背後まで近寄り、傘を差し出す。
脇のすぐ横から伸びてきた、ミナトと同じビニール傘に、天凛は分かりやすく肩を跳ねさせた。


「お、おお……びっくりしたで、ミナト」

「ポケモンの後ろを取れるとはね、そんなに真剣に探してたんだ」


ミナトの差し出した傘を受け取った天凛は、不満そうに当たり前だと肯定を示した。
彼女が天凛を連れ戻しに来たとでも思っているのだろうか。
彼を送り出したのはミナトであると言うのに。
その証拠に、ポケモンセンターと逆の方向に傘を翻したミナトに天凛は目を見開いた。


「ボクはあっちを探すから、キミはあっちね」

「え、ちょい待ち!」

「……何、早く見つけて朝ご飯食べたいんだけど」


呼び止めた天凛を横目で見れば、彼は片手を所在なさげに宙に漂わせていた。
雨を吸い少しだけ重くなった天凛の髪から、頬を滑って水滴が流れ落ちる。
乱暴にそれを拭いとった天凛は、どこか嬉しそうに笑みを浮かべた。


「……なんでもあらへん。おおきにミナト」


受け取った傘を翻し、天凛は軽快に駆けていく。
広い背中が小さくなるのを見送り、ミナトは天凛とは逆の方向へ足を進めるのだった。

朝早いからか、雨が降っているからか。
コガネシティのレンガ道を歩く姿は、ミナトの痩せっぽっちな後ろ姿だけだった。
くるりと傘を回せば、雨粒が宙に踊る。
建物の間を縫うようにしてしばらく歩けば、見覚えのある紅藤色の髪が視界の端に止まった。
こちらに背を向けて立っているため、柘黒の表情を伺うことは出来ない。
彼の纏う黒色の服が、雨を吸って重くまとわりついていた。


「俺は、もう、いらない、ですか」


一歩踏み出した足が地に縫い付けられたようだった。
水煙によって遮られた視界の向こう側に、誰かいる。
よくよく耳をすませば、傘が雨を弾く音がもう一人分だけ聞こえた。


「お前も頭が悪いよな。普通目の前でボール壊されたら気がつかない?」


苛立ちを含んだその声に、少し先にいる柘黒の肩が少しだけ跳ねた。
爪先が水溜りを蹴りあげる音が鈍く響く。
柘黒の目の前で足を止めたその彼は、にんまりと唇を三日月型に釣り上げた。


「何度言っても分からないなら何度でも言ってやるよ。いらないよ、俺にはもう、エーフィがいるから」


ぽんと、軽く放ったモンスターボールから飛び出したのは、柘黒と同じ紅藤色のエーフィ。
理知的なアーモンド型の瞳が、困惑したように柘黒とトレーナーを見つめている。
トレーナーの彼は、まるで見せつけるようにエーフィの頭を愛おしそうに撫でていた。


「ほらもう住処に帰りな?お前の帰る場所はここじゃないよ」


迷子の子どもを諌めるような、そんな声音で柘黒に語りかけた彼の表情は、いっそじあいに満ち溢れていた。
それが慈愛なのか自愛なのかは、彼のみが知る事実だろう。
トレーナーとエーフィがその場を立ち去ってからも、柘黒はただただぼうとその場に立ち竦んでいた。


「これからどうするの」


柘黒の頬を滑り落ちる雫が、少しだけ勢いを止めた。
背伸びしたミナトが差し出した傘の中には、体中どこを見渡してもずぶ濡れの柘黒がぽつんと収まっている。
ゆるゆると振り返った菫色の瞳が、少しだけ濡れているように感じたのは気のせいか。


「……どうしましょうねえ。困りました」


小首を傾げて微笑みを浮かべた柘黒は、戯るように肩を竦める。
じっと自身を見つめる赤い片目から、柘黒はそっと目を逸らした。


「私は、どうやらブラッキーにならなければいけなかったようです。そのために育ててきたのだと。彼は何に進化してもいいと言ったのに。あれは嘘だったのです」


ぽつりぽつりと。
独り言と聞き間違うような小ささで、告げる。
唇は微笑みを携え、一辺も崩れる様子は見せない。


「ブラッキーではない私は、もう必要がないと、彼はそう言いました」


それでもその虹彩はあちらへこちらへ揺れ動き、動揺を隠せてはいない。
いつまでも、その柘黒の虹彩を見上げ続けるミナトに居心地が悪くなったのか。
柘黒は初めて目を逸らした。
今更ながら、ミナトは柘黒が身に纏うものに目を止める。
エーフィというには些か黒の主張が強めなその服は、彼のブラッキーへの憧れを表したものなのだろうか。
問いかけないミナトに真偽を確かめる術は持ち得なかった。


「あなたには、迷惑をかけましたね。わざわざこんなところにまで踏み込んでくるなんて思いもしませんでした」

「天凛が酷く気にしてたから。ボクはその付き添い」


柘黒にとってもミナトにとっても、彼らはコガネシティまでの付き合い。
それ以上でもそれ以下でもない。
むしろ踏み込んでくるなと言わんばかりの態度であった柘黒を気に掛けるとは。
柘黒は天色の青年を少しだけ羨んだ。


「付き添い、ですか。……では、付き添いついでにお願いを一つ、いいですか?」

「なに?」

「私を、あなたのポケモンにしてくれませんか?私にはもう、行く宛てがないのです」


また、打算から始まる関係。
この場にあのロコンがいないという事実に、柘黒はほくそ笑んだ。
目の前の彼女が渋っても、押し通してしまえばこちらのもの。
主人がイエスと言えば、相棒でもない日の浅い付き合いの吏焔に意見を突っぱねることは出来ないのだ。
この、見た目以上に頑固な性格の彼女ならば特に。


「いいよ」


しかしミナトは、特に拒否の意向を示さず、ただ頷いた。
あれほど我関せずを貫いていた彼女ならば、どこへなりとも暮らしていけばいいと言われると柘黒は思っていた。
その返事に対する問答も、いくつか考えていたというのに。
ただあなたを利用すると言った相手に、ミナトは一つ頷いただけだった。


「ただし、ボクはキミを愛してあげられないよ。それでもいいならおいで」


ああ、そういうことかと、柘黒は理解した。
結局は、彼女も柘黒も利害の一致で手を取るのだ。


「構いません。私も、誰かをあいするのは疲れました」


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