咎無くて死す | ナノ




 隣であたしの手を撫でながら楽しそうに笑う男の歳は確か、あたしより一回りか其れ以上、上だと聞いた。



 男が猪口を空にする度にあたしは慌てて酒を注いだ。
 散々教えられた筈の作法も役に立たず、優雅と言うには程遠い仕草にあたしは何度も居たたまれない思いをした。けれど男は終始上機嫌で、あたしが目を伏せると優しく微笑って頬を撫でてくれた。

 粗相の無いようにと姐様に釘を刺されていたのに、想像していたのよりずっと楽しくて、あたしは多分何度も歯を見せて笑った。





 見送りには姐様方も出た。

 鈴様は床に臥せっておられるからいらっしゃらなかったけれど、見た事の無い格子さんが何人も居た。皆あたしを見ては一瞬眉をひそめ、値踏みでもするかのように目を遣った。





「また来てもいいかい?」



 帰り際、男は真っ直ぐあたしを見据えてそう尋ね、あたしは一も二も無く頷いた。
 だって楽しかった。



「浦原隊長に取られちゃうのイヤだしねえ」



 隊長と聞いて頭に浮かぶ人はあたしには一人だけだ。
 彼を知っていると云うだけで、親しげにその名を呼んだと云うだけで、あたしは男がまた来てくれたら良いと思った。
 けれどあたしは其れを言葉にする術を持たないから、代わりに男の着物の袖を探り、乾いた大きな手に触れた。この半日程で男はあたしの指に慣れてくれたようで、掌を天に向けて差し出した。





 ――行ってらっしゃい





 待って居たいのだと想いを込めた最後の文字が、男に引き寄せられた所為で空に流れて行く。



「うん…――また、来るね」



 掌に口を付ける優しい感触が、彼の人を思い出させた。





咎無くて死す





 翌日の夜は声が掛からなかった。

 だから姐様の代わりに何度か座敷へ出て、姐様を待つ客の暫しの話相手をしたり細々とした雑用をしたりと、此れまでと同じような時間を過ごして居た。
 そんな折、あたしは突然姐様に呼び出された。



「何て格好してるの!」



 此処へ来た時からあたしの世話を焼いてくれる姐様は、戸口に立つあたしを振り向いて素っ頓狂な声を上げた。



 楼の裏から続く、幾らか年季の入った此の大きな建物はあたしたちの住処だ。

 楼に居るのとは違って化粧っ気の無い姐様は、薄い眉を寄せ厭そうにあたしを上から下まで何度も眺め、忙しなく人の行き交う廊下を振り返って何事かを大声で叫んだ。
 ばたばたと階上を駆ける音が頭上を通過して、戸口の目の前の階段から禿の子が何人か降りて来る。たまにあたしを手伝ってくれる子達だった。



「早よう支度おし、」



 姐様はひらひら手を振って奥へと追い立てる。
 あたしは何が何だか良く判らなくて押される背中を何度も振り返った。





「一番さん来てはるんよ!」





 後ろから飛んできた姐様の声が、あたしには随分とはっきり聴こえた。
 あの人だと思い至って、五月蝿くなる心臓が、早く準備をとあたしを急かす。



 重い着物を抱えて小走りになりながら座敷の前に着いた時、中からは既にあの人の気配がしていた。



 着崩れぬよう丁寧に膝を付いてあたしはこつんと一つ、戸に手を当てた。





「――?」





 あたしが襖に手を掛けるより速く。





「良かった」





 あたしは喜助さんに包まれた。



 何時もと違う匂いがする。視界一杯に広がる布地は、――此れが所謂死霸装と云う物なのだろうか、不思議な感触がした。
 其れにしても可笑しい、見る限り死神の仕事をしたままで此処へ来たようだったから。


「…、――…っ」


 あたしの頭を抱え込んでいる大きな手に何とか逆らって顔を上げ、見慣れぬ布を引っ張りながら訴える。喜助さんは苦そうに少しだけ笑った。


「京楽サンが…貴女に会ったと言ったから、」


 話し辛そうに目を泳がせるのは何故だろう。

 じっと其の様を見つめていれば、喜助さんは大きく息を吐いてあたしの腋を持ち上げ、膝に降ろした。





「取られたと思って、――来てしまいました」





 未だ、話が見えない。あたしは喜助さんの手を引き剥がし、何がと一言指で書いた。



「?」



「貴女がです」



 首を傾げるあたしに身を屈めて唇を寄せた喜助さんは、そのままつう、と鼻先で首筋を辿り、あたしの襟に口付けた。

 其れで漸く気付く。



 あたしの襟の事だって。



「――取られた、かと、」



 鈴屋は、其処らの遊女屋とは格が違う。金も時間も掛かるけれど其れで買えるモノの価値は確かだ。水揚げを任せられればお客だって当然、鼻が高いから、そうと判るように鈴屋の遊女は同意の客と水揚げが済むまで、色付きの半襟を付ける事になって居る。


 喜助さんがあたしの水揚げを望んでくれるなんて、あたしは夢にも思わなかった。

 ただ、誰かの匂いのするままで喜助さんの前に出るのが嫌だったのだ。





 あたしの襟は、薄桃のままだ。









「今日は、帰りません」









 喜助さんの優しい瞳がきらりと瞬いて、誓いのように爪先に寄せられた唇が嬉しくて、あたしはひとつ頷いた。









だいぶ間があいてしまいましたが、第三話でした。
ついに女郎となった?ちゃんと、?ちゃんが可愛くて可愛くてついでに心配でたまらない喜助さん。そして?ちゃんのことを風の噂で知った京楽さん。
ちなみに京楽さんは元から鈴屋の馴染み、という裏設定。
今さらですが、諸々の用語は意味を調べた上で使用していますが姐女郎の京ことばに関してはかなりいい加減ですので、あんまり信用しないでください…




 
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