GARDEN | ナノ





 特に深い意味はなく『腹へったー』とメールしたら『食べに来るー?』と返ってきて、それを見たゼロコンマ数秒後、俺は立ち上がって玄関に走っていた。


GARDEN5:301号室と303号室


 俺の部屋は角部屋だ。

 前に?と先輩が来たとき、なぜか先輩が「恋次のくせに角部屋なんて生意気だ」とか言い出して、?まで「そうだそうだ。恋次はんたーい、角部屋はんたーい!」とノリノリになって──って、話が逸れた。
 俺の部屋は角部屋の301号室。知らないお隣さんを挟んで303号室が?、そのすぐ隣が305号室、先輩の部屋。乱菊さんは306号室だ。

 何が言いたいのかというと。

 ──?の隣だってことの方が、よっぽど羨ましい、ってこと。


「ごめん、呼んどいて大したもの出せないんだけど」
「いや十分だし!すげー美味そう」

 ジュウジュウ良い音を上げるフライパンに慣れた手つきで野菜を放り込む?──の後ろに、なんとなくじっとしていられない手持ち無沙汰な俺。

 ?が着けてるブラウンのエプロン、先輩んちで最初に会ったときもしてたやつで、あの時は先輩に借りたのかなーなんてちょっと恨めしく思ったりもしたけど、ここにあるってことは違ったわけだ。
 本人のだとしたら大きすぎるそれ。忙しなく行ったり来たりする右肩の紐はもう落ちかけている。気付いた瞬間からうるさいくらいドキドキ言い始めた心臓をねじ伏せて、俺はそれに手をかけた。

「ん?…あ、ありがと」
「これどっか留めとけねぇの?またすぐ下がんだろ」

 触れたくて、でも変に思われるわけにはいかなくて。結局ずり落ちた紐を摘まんでさっさと肩に引き上げることしかできないチキンな俺は、最後にかすめた?の肩の温度にドクンと心臓を跳ねさせた。

「洗濯ばさみとか」
「何かそれアホっぽくねぇか?」
「…、恋次が押さえててくれれば良いじゃん!」

 ?の口から衝撃的な、でもどこかで願ってたような科白が飛び出して頭が沸騰し始める。これくらいで沸くとか小学生かよ、と自嘲するところなんだろうが、相手が?となると話は別だ。


 こいつは俺や先輩を信じきってる。


 それ自体はすごく嬉しい。大学が始まって、それで初めて?が結構人見知りだって気付いて、知らない奴らの中で俺らにしか分からないくらい、微かに表情を強ばらせてた?を見つけてニヤニヤしたりして。
 それだけじゃない。夜中にお笑い番組見て目尻に涙溜めながら大笑いしてるとことか、ゲームで負けてさりげなくムスッとしてるとこ──そういう?を、俺らだけが知ってるってことがガキみたいだけど誇らしかった。

 でも。

 今の俺にとってそれは何より致命的だった。

 こいつは多分、普通に信じてる。俺らがそれ以上にもそれ以下にもならないって。
 だから、例えばここで俺が?を抱き締めたとして、俺に期待できるのは「何すんの変態マユゲ!」とかそれくらい。どれだけ腕に力を込めたって、それが笑顔の下に隠した渦巻く感情のせいだってことにこいつは気付かない。どれだけ「好きだ」と念じたって、ちょっと行き過ぎた、単なるスキンシップに分類されてそれは終わる。

 ──友達、だから。

 俺が腹の底でグツグツ考えてる妄想のような未来のことを、こいつにぶちまけたら何て言うだろう。


 だけどこんな現状に先に音を上げたのは俺じゃなくて先輩だったらしい。


 昨日たまたまエントランスで出くわした先輩は、ゼミ帰りなのかすごくダルそうで「無い頭つかって疲れた」顔だった。オートロックの自動ドアを中から開けてやるまで俺に気付いていなかったらしい先輩は、ウィーンという音ではっと顔を上げた。

「おー…恋次」
「お疲れーッス」

 お前どこ行くのって聞かれてコンビニ、と答えたら俺も行く、とか言ったくせにやっぱりすごくダルそうに付いてきた先輩。その道中、もはや疲れてるからというだけじゃ説明できないくらい先輩は静かで、何かあったんだといくら鈍い俺でも気を遣った。

「…なぁ、恋次」
「なんスか」

 えらく落ち着いた静かな声だった。



「?に言った。好きだって」



 マンションの前まで戻ってきたところでようやく口を開いた先輩のその一言は、死刑宣告より重かった。

「…」


 ──何て、言えば良いんだよ。俺だって?が好きなのに。


 もう目も喉もカラカラに乾いて、心臓だけがすごい勢いで内側から俺を殴りまくった。お互いそのまま、先輩が顔を伏せて俺を素通りしてマンションに入って行くまで、そのやけに据わった目は、ずっと俺を映してた。


「…れんじ…?」


 何て。言えば良かったんだよ。


 きっと俺は空を睨み付けてでもいたんだろう、?が心配そうに遠慮がちな声で俺を呼んだ。

「どしたの恐い顔して、」

 その声にすら、煽られて。不安げに揺れる瞳を視界に入れてしまったら、もう。

「どうし、…っ…ん」


 触れたかった。ずっと。


「?」

 顔を包んでた手のひらを、熱を帯びた肌に滑らせて首をなぞり、肩にたどり着いたところで背に回す。首筋に頬をすり寄せて、逃げないように両腕を伸ばして細い背中をまさぐりながら詰めていた息を吐いたら、今の今まで完全に固まってた?の肩がピクン、と震えた。

「ごめん」



「…?が、好き」



 まだ?の感触が残る唇を、強く噛み締めた。



 





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