GARDEN | ナノ





 久しぶりに先輩の部屋に呼ばれた。と言っても同じマンションの隣の隣の隣だから『今暇か?暇だろ』ってメールが来たら行くしかないだけだ。

 サンダル履いて、一応鍵をかけて数メートル。インターホンも鳴らさずにドアを開けたら、倒れた先輩のでかいスニーカーの横に見慣れない女物の靴があった。それで俺は瞬時に察する。

 ──新しい彼女のお披露目会かよ…


GARDEN2:301号室の災難


「遅え」
「…どうもすいませんね」

 どかどか玄関まで出迎えに来た先輩は、低い声でそう一言だけ発した。いつものことなので気にも留めずに部屋に上がり込んで、未だ仁王立ちの先輩をちょっと睨んでみる。

「…俺呼ぶのやめてもらえませんか」
「は?何でだよ、?の超美味い手料理をお前にも食べさせてやろうってのに」
「だから、…はあ」

 ?ー!恋次来たぞー!と、廊下を戻りながらでかい声出す先輩の後ろをすごすご付いていく俺。すごく行きたくない。帰りたい、今すぐ。

「?!ほら、こいつが恋次ね!」

 ね!って言われても。先輩が俺の後ろに回り込んで両肩をぐいぐい押してくるもんだから、俺は俯いたまま軽く頭を下げた。

「どうも、阿散井です」
「初めまして?です!先週303号室に引っ越してきました、よろしくお願いします」

 ──ん?せ、


「先週?!」


 驚きすぎて、意図せず大きな声が出た。だけど、俺が驚いたのは「ご挨拶が遅くなってすみません」とかそういうことじゃなくてね?ちゃん、

「アンタ…手早すぎですよ」

 先輩の耳元で溜め息混じりに言ってやると、白々しくも目をぱちぱちさせて動きを止めた。

 修兵先輩はこの見てくれに加え、女子には優しいし後輩なんかの面倒見も良いもんだからめちゃくちゃモテる。ただ、周囲の目にはその優しさが女たらしと映ってしまうことが多いってだけ。でも本当はそうじゃない。むしろ逆だ。

 俺は予備校のときから先輩を知ってる。

 前の彼女とは三年続いてたし、遠距離に音を上げたのは相手のほうだ。先輩は、その見てくれの割りにいつも女々しいくらい一途だった。

 ──とは言え、今年の春はお互い一人だな、と嘆き合ったのはつい先日のことではなかったか。

「おま、恋次…ちょっと勘違いしてねぇか?」

 ようやく口を開いた先輩は、俺の脇をすり抜け?ちゃんの横に立つとその手をボスッと遠慮なく彼女の頭に置いた。

「彼女とかじゃないから。な、?」
「彼女?…あ、え、ええっ?違います違います、何で私が修兵の彼女?!」
「地味に笑ってんじゃねぇよ」

 まさか!と顔の前でバサバサ手を振る?ちゃんを、頭の上に置いてた手で叩く先輩。

 何か、拍子抜けした。

 もっとこう、照れるとかあっても良さそうなところなのに、それを?ちゃんは思いっきり笑い飛ばして、挙げ句先輩に殴られて。こんなさっぱりした気持ちの良い子珍しいよなー、って素直に思った。

「あ!コンロ…っ」

 先輩の腕を掴んで放り投げ、くしゃっとなった髪のまま慌てて台所に駆けてく?ちゃん。エプロンの後ろ姿をぼーっと見ていたら、いきなり先輩のがっしりした二の腕に首を絞められた。

「恋次さ、タイプだろ」
「…ニヤニヤしないでくださいよ」

 それは正直図星で、もしも先輩がすぐに離れてくれなかったら完全にバレていたと思う。もうバレてるか。
 当の先輩は、何を思ったか軽い足どりで台所に立つ?ちゃんの後ろに近寄ると、一度俺を振り返り得意気に口の端を持ち上げた。ムカつく、その顔。

「?、紐ねじれてる」
「んー、ありがとー」

 ?ちゃんの背中でクロスしたエプロンの紐。ねじれたほうのそれと背の間に先輩の骨ばった人差し指が差し入れられて、ならすように上下に行き来する。その動きは気のせいじゃなく明らかにヤラシくて、俺は顔を背けてそのままどすんとソファーに座った。

 背後から聴こえる、楽しそうな笑い声。何でか言い様のない焦燥感みたいなものが押し寄せてきて、思わず額に手をやった。


 ──俺、いなくても良いじゃねぇかよ。


「恋次!お前も手伝えって」

 振り向くと、重ねた皿を手に先輩が能天気な顔で俺を呼んでいた。と思ったら甲斐甲斐しくテーブルのセッティングなんか始めるもんだから、俺も座ってるわけにいかなくなる。渋々立ち上がり台所に行けば、旨そうな匂いが鼻をくすぐった。

「何つくってんの?」

 鍋を覗き込もうとしたら、?ちゃんが笑いながら場所を空けてくれた。

「すき焼き。修兵リクエストだから変なもの入ってるけど、食べれなかったら避けちゃって良いからね」
「いや、俺好き嫌いねぇし」 性格なのか、いつの間にか俺に対して敬語じゃなくなってるのに本人は気づいてないようだ。それだけのことで俺の心が跳ねる。
 頬の熱がバレないよう湯気に顔を近付けて匂いを嗅いでいると、?ちゃんがお玉に中身をちょっとだけ掬い上げて俺の鼻先に持ってきた。

「はい!味見どうぞ。修兵あてになんないから」

 一瞬お玉ごと受け取るべきか迷う。でも期待と下心に負けて最終的に俺は薄く口を開けてみた。そうしたら?ちゃんはさも当たり前のようにそれを俺の唇に当てて傾ける。

「…うまい」
「ほんと?」
「マジでうまい、…もっかい」
「え、そんな美味しい?」

 再びお玉を鍋に沈めた?ちゃんは、俺があ、と思う間もなくそれを口に運んだ。


「っつ、…あっつ」


 間接キス、とか甘いことを考えていた俺は、シンクにお玉が落ちる音と、?ちゃんのむせたような声で我に帰った。

「ちょ、大丈夫か?」

 苦しそうなその声は俺をかき乱すのには十分で、俺は考えるより先に口元をさまよう?ちゃんの両手を引き剥がしてその顔を覗き込む。

「っつー…ちょっと熱かっただけ、大丈夫大丈夫」

 眉間に皺寄ってるし口はパカ、と開いてるしでとても大丈夫そうには見えない。戸惑いもせず指先を?ちゃんの顎にあてツイ、と上向かせる。

「見せてみろ」
「…見たって分かんないよ」

 背けようとする顔をしつこく押さえて持ち上げると、観念して薄く口を開いた。ああ、やっぱり。舌の先だけが熟れたみたいに赤くなってる。

「完全に火傷だな…気ぃつけろよ、」
「猫舌なの忘れてただけですー!恋次がペロッと普通に食べちゃうから大丈夫だと思ったの!」

 大事に至らなくてよかった、という俺の安堵の溜め息を、?ちゃんは馬鹿にされたとでも思ったのか悔しそうに呟いて今度こそ顔を背けた。まあ確かに、俺が食えたからって猫舌なのに冷ましもしないで口に入れるなんて──…、


 恋次が、普通に食べちゃうから。


「…?、ちゃん」
「なに」

「?ちゃん」
「だからなに、れん…、あ、」

 顔は背けたまま。でもその耳が赤くなるのを見て俺は思わず頬を緩めた。

「…へぇ」
「修兵が、いっつも恋次恋次言ってるから何か慣れちゃったの!…っ」
「そうかよ」
「何その余裕、なんか腹立つ…」


 ──嬉しすぎて、笑いが止まらないだけだから。


GARDEN2:301号室の災難


「俺も?って呼んでい?」
「どうぞお好きなように!」
「怒んなよ。あ、じゃ猫舌って呼ぶか」
「…恋次ごはん無し!」
「げ」

 





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