GARDEN | ナノ





※選択式

「だァーッ!!クソッ」
「うるさいぞ恋次!」


 はっきり言って、私は目の前の男に非常に迷惑している。

 同じ経済学部のこの男に、来週のマクロ経済学のテストがヤバいだのなんだのと連行され、気付けば大学の図書館に逆戻り。久々に有意義な放課を過ごせるとウキウキワクワクしていたのに、何の義理があって井上とのティータイムをこの変態刺青マユゲに捧げてやらねばならないのか。甚だ、甚だ疑問だ。

「朽木さん、」
「何だ井上」

「声に出てる、よ」

「…」

 知ったことかと目の前の男を冷めた目で見下ろすと、先程までの煩さから一転、テーブルに広げたノートの上へ力なく突っ伏し、握ったボールペンで何やらゾウかウサギのような落書きをズルズルと書き殴っている。

「何だそのゾウは」
「…朽木さん、」
「何だ井上」


「クマだと思うよ」

「…」

 し、知ったことかと、目の前の男の鮮やかな色をした後頭部をちょうど手にしていた分厚い本で殴ってやった。

「──…、ってぇ」
「まったく」

 結構な重さの本だからヤツの目も覚めるだろうと思ったが、この男は相も変わらず重い空気を背負って突っ伏したままだった。
 テスト勉強のために呼ばれたなどとは端から思っていなかったが、女の前で弱った姿を晒すなど普段のこいつでは有り得ないことだ。余程、昨日のことを悔やんでいるらしい。


「女にフラれたくらいでメソメソするな、馬鹿者」


 目一杯呆れを含んだ声音に、男の肩がビク、と揺れる。

「恋次、」
「…フラれてねぇよ」

 わずかに頭が持ち上がり、大きな左手がその額を覆うのを何も言わずに見ていた私の視界に、恋次のひどく傷付いたような瞳が現れて、こちらまで苦しくなった気がした。
 その横では井上が両手を握り締め、きりっと眉をつり上げて懸命に恋次を励まそうとしている。

「そうだよっ…まだ返事もらってないんでしょ?」
「…まぁ」
「?ちゃん、そんな大切なことを中途半端にするような子じゃないと思うよ!」

 井上が息も荒く力説を始めた。

 恋次の想い人である??という人物を、私は知らない。井上と同じ文学部の一年生で、恋次とはなんと住まいが同じらしい。二人に聞いた話では、可愛くてよく気が利き、その一方で男並みにからりとした図太さも持ち人懐っこくて妹のような──

「お姉ちゃんだよ!」

 ──…はて。

「?ちゃんはお姉ちゃんみたいなんだよ。すごく頼りになるんだぁ」

 井上が、いつか第二校舎の教室にうっかり中身入りの大事な弁当箱を置き忘れたとき、?がいかに迅速にそれを取り戻してくれたかを大げさな身振り手振りつきで語りだすその横で、ようやく体を起こした恋次は今度は椅子に背中を預け、首が折れそうなくらい俯いている。

 ──まったくこの男は…


「告白したのは昨日だと言ったな」
「ああ」
「それで、?とやらは『少し待って欲しい』と?」
「…ああ」

 詳しい経緯は知らないが、恋次は昨夜?の家に呼ばれそこで想いを告げたと言う。初めて会ったときから好きだったようだが、どうやら向こうは恋人をつくったことがないらしく、これまでは恋次ともただ邪気のない真っ直ぐな友達付き合いをしていた。恋次が己の気持ちを自覚しても中々言い出せなかったのは、その友達としての信頼を裏切ることができなかったから。

「なら待つしかないではないか」
「…」
「このたわけ!何をウジウジウジウジ悩んでおるのだ」

 この状況が些か面倒臭くもなってきて突き放すように言い放ってやれば、恋次は俯いたまま盛大にため息を洩らした。

「…高校んとき、予備校一緒だった先輩の話したろ」
「ああ、名前は何と言ったか…」
「檜佐木修兵」
「その男がどうした」
「同じマンションなんだよ」
「…」
「しかも?の隣」
「それが、」


「おととい、?に告ったってさ」


 ──どうしたのだ。

 さすがに口をつぐんだ私を見もしないで、恋次はテーブルに腕を乗せその上に突っ伏した。再び聞こえてきた大きなため息は、心なしか先程より震えて泣きそうにも思えた。

「…敵わねぇよ」



 ──?はあの人が好きだ。



 絞り出すようにそう言って、恋次はついに身動きすらしなくなった。幼馴染みの初めて見る姿に、私は何と言ってやれば良いのか分からなかった。


「…れん、」

「そんなこと、ないと思う…っ!」


 突然、びっくりするくらいの音量で沈黙を破った井上の声に、恋次も私も思わず視線を上げた。

「あ、えーっと…うん、」

 だが当の井上はあれだけ大きな声を出しておきながら、何故か困ったように目を泳がせている。そして恋次の顔をチラリと見た後、意を決したように口を開いた。


「?ちゃんは、その…っ、檜佐木さんのこと好きじゃないよ」

「…は、えっ?」


 さも?の気持ちを知っているかのような口ぶりに、恋次の声が裏返った。


「えーっとその、もちろん友達としてなら好き、だけど」


 ──?ちゃんはちゃんと、一番大好きな人のこと見てると思うよ。


 話に付いていけず、ぱちくりと顔を見合わせた恋次と私。井上は気にする様子もなく、そう言って柔らかく微笑んだあとテーブルの上に投げ出されていたケータイに手を伸ばし、それをチラリと一瞥すると、今度は楽しそうに顔をほころばせた。

「ほら、」
「…へ?」


「来るって、?ちゃん」


        *


(恋次…っ、)


 ──クソッ…

 何か知ってるらしい井上と、井上の話を聞いてくわっと顔をしかめたルキアに図書館を追い出され、向かうは第二校舎のロビー。そこに?がいるのかと思うと、情けないが回れ右して帰りたくなるほどの息苦しさに襲われる。


 ──あの日の、あのときの?の顔が目の裏に焼き付いてるみたいに、今も俺を追い立てる。


 無理矢理、と言われても仕方ないような成り行きで?に──キス、してしまったこと。しかも、抱き締めた途端俺の頭は見事に沸騰して止まらなくなって、目に涙浮かべながら恐る恐る見上げてきた?の唇を、何度も塞いでしまった。あの後しばらくは俺も混乱していて、情にほだされて好きになってくれるかもとか、嫌がる素振り見せなかったし、なんて悠長なことを思ったりもしたけど。

 声にならず直接吹き込まれる吐息とか、苦しそうに寄せられた眉とか、何より、


(れん、じ…、やっ…)


 ──俺、最低…


 ?が経験少ないのをいいことに、呼吸を奪って抵抗できないようにしたのは俺だ。強く抱き締めて囁いて、そうすれば優しい?は嫌がらないと頭のどっかで考えてたのも俺。
 驚いて、身動きできないでいる苦しそうな顔を、見て見ぬふりをした。

 だから。

 ?には、俺や先輩よりも大切なヤツがいるんだって知っても、落ち込む資格なんて。


「…無ぇよ、バーカ」


 第二校舎までの渡り廊下。

 両側一面の窓から、これでもかと差し込む真っ赤な夕日にも罪悪感で顔向けできない俺は、窓枠に力無く腰かけて、あと一歩のところで?にはたどり着けない自分を嘲笑ってやった。



「…まっかっかだね」



 くすり、呆れたような笑いとともにかけられた声に勢いよく振り返る。 


「?、っ…」
「恋次遅い。来ちゃった」


 突然現れた?はためらいもなく話しかけてきて、ご覧の通り怖じ気づいて動けなくなった俺は、後ろめたさも最高潮で目を逸らす。
 それを知ってか知らずか、?はいとも簡単に俺の前まで足を進め、あと一歩で俺のスニーカーを踏むってところでピタリと止まった。


「恋次と、話、したくて」


 優しい声が、鼓膜にじんわり染み込んで。
 心臓の音聞こえてるんじゃないかとか、夕日で俺の顔の赤さが隠れてますようにとか、もう訳が分からないくらい緊張しまくってる俺の耳に次に届いたのは、?の、小さく震えた深呼吸。


「…お待たせ、しました」


 小さく微笑んで口にしたそれが、俺の告白への返事を待たせたことに対してだと気付いたときには、──…


「?…、っ?」


 腰に、絡み付いてきた細い腕が、シャツの背をギュッと握ってて、爆音立ててるだろう胸元には、夕日に透けて嘘みたいにキラキラ輝く長い髪。



「好き、恋次」


「──…っ、」



 ブツリ、あっさり切れた俺の理性。散々後悔したはずなのに、?のその一言は一気に俺の悩みを吹っ飛ばした。


「…、んっ…れん、じ」
「?」
「ん?」


 あほみたいに素直な顔で見上げてくる?に、もうせき止めるもののない思いが溢れて体中に広がっていく。


「キス、していいか」


 腰に回した腕で?の体を持ち上げるように引き寄せて、慌てて胸元にしがみついてきた手にも顔を近づけて柔らかく口付けると、?はくすぐったそうに肩を震わせて笑った。


「今、したでしょ」


GARDEN7 side-301:


「好き」
「…聞いたよ」

「愛してる」
「…」


「それは、…初耳かも」




end

→アトガキ?


 





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -