GARDEN | ナノ





※選択式

 夕暮れ時の第二校舎。三年前にできたばかりのここはすっきりした造りで日の光が似合う暖かい感じが私は気に入ってた。最上階まで吹き抜けになっているロビーは、白いタイル張りの床に木目調の壁がおしゃれだと女子の間では人気で、その中央に作品を飾れることになった華道部は、ここができてから部員が増えたらしい。

 ロビーの奥には左右二ヶ所に階段があるけど、二階までしか上がれない。左右対照に伸びる二階の廊下の先に、三階から上への階段がある。もっとも講義のある広い教室は一階と二階にしかないから、奥の階段を利用するのは一部のゼミ生くらいなんだと思う。そもそもこの第二校舎は全国でも一二を争う名門らしい法学部と経済学部、あと最近できた社会ナントカカントカ学部の領域。私は社会学の講義くらいでしかお邪魔できない。

 正直なところ、こんなに予算あるなら文学部の校舎のほうこそどうにかして欲しい。創立したときからある第一校舎だからもうボロいなんてもんじゃない。同時にジャンプするなら十人が限界だと思う、真面目に──て言うかうわ、何ここ。


「テラスなんてあったんだ…」


 三階の廊下、教授の部屋が並ぶ反対側にはウッドバルコニーのようなこれまたおしゃれなスポット。ますます文学部との待遇の差に打ちのめされる。

 ──良いな…学部変えたい。

 この際だからとテラスに出れば、西陽がちょうど校舎に遮られて涼しい。ベンチに腰を下ろしてふと時計を見るとまだ17時を過ぎたばかり。授業が終わる18時まで、ここでまったりしちゃおうかな──うん、決定。


 あんなに悩んでようやく決心したものの、いざとなると勇気なんて一ミリも出なくて、帰りたくなっちゃって駄々こねる私を放り出すみたいにここへ向かわせてくれたのは乱菊さん。大人っぽいし頼りになるし、有名な商社で働いてていつも生き生きと動き回ってる。──かどうかは知らないけどそんなイメージ。
 だから、乱菊さんにしてみれば私の悩みなんて全然お子ちゃまでくだらないに決まってると思ったのに、今日久しぶりに会った乱菊さんは、私を見るなり「どしたの?」なんて心配そうに、ほんとに心配そうに眉を下げてくるものだから、思わず涙腺を崩壊させてしまった。最終的にはバカバカ連呼されたけど。
 でも、そのおかげでようやく決心できた。


 ──もうごまかさない。


 泣くのは卑怯だと思ってた。そして私は、卑怯だった。
 自分の気持ちに気付いていたのに、いざ想像が現実となって目の前に降ってくると、怖くなった。その現実を拾い上げたら、代わりに何か取り落としてしまうんじゃないかとひどい考えを抱いた。そうしたら優しく笑いかけてくれるその顔も言葉も何もかもがフィルターに遮られたみたいになって、分からなくなって疑って、気付けばぼろぼろ泣いていた。なのにまだ優しく私を引き寄せる手が、憎くて仕方なかった。


 こんなに、好きになってしまったんだと、その手に自覚させられた。


 ──ごめんね。


 無知で卑怯で弱いこと、知られたくなかった。初めての本気の恋に、どこまで身を委ねて良いのか不安だった。

 でももう、


 逃げないよ。


        *


「じゃー再来週までに資料集めとく」
「頼むわ…」

 突然課題を出されるのはいつものことだが、二週間かけて準備したプレゼンがやっと終わってほっとしたところに早速次の発表のテーマ出されるとかほんと、ほんとにもう、


「っ、だーッ!マジあのジジイいつかぶっ殺す」

「おー…頑、張れぇ」


 隣で気のない──つか半分死んでる声援をよこすコイツも俺と同じ、あの鬼のような堅物教授へ捧げられた生け贄。そして俺の数倍アホ。

「俺もう帰んぞ。ここで寝るなよ」
「…おー、」
「寝るなっての」

 ギリギリまで課題に手をつけなかったコイツは、結局二日徹夜する羽目になり、その上鬼教授にも無計画さがバレて軽く説教食らった。まぁ分かんなくもねぇけど。

 俺だって、本当ならこんな真面目にやるはずなかった。

 朝から晩までこの教室と図書館を行ったり来たりして、関連資料集めて調べて文章練ってひたすら書いて。ガンガンに脳みそ酷使して、そうまでして頭の中から振り落としたかったのは、あの日の?。


 あの日。ほぼデートだろ、と浮かれながら二人で公園に出かけた日。

 あじさいを見つけてはしゃぐ能天気な?が可愛くて、好きで好きで仕方なくて俺だけ見て欲しかった。お隣さんでも先輩でも友達でもないただ一人の、特別に。そしてそう思ってる奴がもう一人いるのを知っていたから、焦っていたんだ、俺は。

 なのに。

 勢いに任せて抱き締めて、自分勝手に好きだと告げたのに、?は壊れそうなくらい切なげな顔ですがり付いてきた。

(しゅう、へ…あたし、っ)

 答えをくれる代わりにぽろぽろ泣き出した?を見たとき、自分の馬鹿さ加減に脳天を叩き割られたかと思った。笑って返事くれるかも、とか一瞬でも期待した自分を殴り殺したかった。信頼してくれてた?の心を、俺は好き勝手に荒らしてしまった。
 ──本当に、なんて勝手だったんだろう。

 それ以来、?には会っていない。と言うかどのツラ提げて会えば良いのか分からなくて、逃げるように課題に没頭していた。
 マンションにも、できるだけいたくなかった。夜の静寂に溶けてたまに聴こえる微かな音──ドアの閉まる音、電話してるらしい声とか──は苦しいだけで、?の存在を感じてしまえるその場所にいるのが耐えられなかった。


 もう終わったと、思ってたから。


『修兵、まだゼミ?
 少しでいいので会いたいです』


 18時ちょうどに震えたケータイを見て、俺は文字通り飛び上がって椅子を吹っ飛ばした。


「俺マジ帰るぞ!」
「…、うー…っ」
「檜佐木、いーよ先帰って。俺まだいるしコイツ見とくから」
「…わり、じゃあな」

 鬼教授が出ていった途端、怒濤のように資料を片付け足早に教室を出ようとする俺に、察しの良い友人が一言。

「頑張れよ」

 憎々しいその笑顔に口の端だけで応え、すっかり日も落ちて暗くなった廊下に出る。
 俺がケータイ片手に椅子を吹っ飛ばす事件を起こしてしまったせいで鬼教授の説教は延長戦にもつれこみ、廊下の時計は18時どころかもう19時を指そうかというところだった。俺は急いで?の番号を呼び出した。


 ──ッ、プルルルル、プルルルル…


 出ろよ…っ!

 会える、そう思った瞬間から情けないほど焦る自分を、さらに追いたてる心臓の爆音。廊下を何度も行ったり来たりするものの耳元の機械音は止む気配もない。もどかしくて、窓にガン、と額を打ち付けた。
 そのとき。


 ──ん…?


 窓ガラスに映る俺の鼻先がピカピカ光ってる。しかも、結構カラフルに。



「…!?…っ!」



 血の気が引く、つーのはこういうことを言うんだろう。光っていたのは、窓に映った俺の鼻じゃなくて窓の外、テラスで眠りこける?の手のケータイだった。

「…んで、こんなとこいんだよッ…?起きろ!風邪引く、」

 ベンチのひじ掛けに頭を預けて縮こまってる?の体は、風に当たりすぎてすっかり温度をなくしていた。脇の下に手を差し入れて抱き上げると、力の抜けてる頭がガクンと後ろに落ちそうになって、慌てて重心が俺のほうへ来るように引き寄せた。

「…──ふ、ぅン…しゅ、へ?」
「ああ」

 背中に回した腕で体を支え、投げ出されていた足を揃えて座り込んだ俺の膝に乗せてやっていると、ようやく目を覚ましたらしい?がブルリと体を震わせた。

「さむ、い…っ修、」
「ごめん…すげぇ待たせたよな」

 罪悪感でいっぱいなのに、こうして会ってまた触れられたことが嬉しすぎてどうにかなりそうだった。着ていたネルシャツを片手ずつ脱いで?に羽織らせてやりながら、俺はとろんと伏せられた?の瞼を無意識に撫でた。
 コンタクトしたまま眠ってしまったせいか、ゆっくり開かれた瞳はいつもより二重が深くなっていて、自然と流れ出る涙でまつげはしっとりと濡れてて──やばい、何かもう、

「…?ごめ」
「ダメっ、」

 いくらでも謝るからもう一度ちゃんと好きだと言おうと動いた俺の口に、ぺち、と音を立てて?の指先がぶつかってきた。

「?」
「…修兵は謝っちゃ駄目」

 ?の指はするすると俺の首筋を伝い、胸元にたどり着いたところできゅ、とTシャツを握りしめた。冷たいその手を片手で優しく包み込んでやると、今度は本当の涙で真っ赤になった目が俺を見上げた。

「しゅ、…へ」
「なに…?」




 すき。




 ──…え、?


「修兵が好き」
「…?、」
「大好き。だから、」



 嫌いにならないで。



 消えそうな声でそれだけ言うと、?は肩を震わせて本格的に泣き出してしまった。俺は、

「マ、ジで…?」
「…っ」

 しゃくりあげながら何度も頷く?。
じわりと胸に広がる熱い何かに、泣きそうだった。


「?、?こっち見て」
「ん…っ」
「ねぇ、もっかい言って」
「っ、…」
「すげぇ好きだから。?」


 背中を支える片腕を限界まで伸ばして細い腰を俺の腹にぴたりと引き寄せて、全身の細胞が心臓になったんじゃないかってくらいガンガン言う頭を傾けて涙でべたべたの顔を覗き込んで、濡れた頬を指の腹で何度も擦りながら最後に顎を持ち上げて、そして思いの丈を振り絞って好きだと笑顔を見せてやれば、

「、たしも…っ」
「ん」
「すき、──大好き…っ」



 冷たい風が吹く夜空に包まれて。
 俺たちは初めてのキスをした。



GARDEN7 side-305:


「?」
「なに?」

「すげぇ幸せ…死にそう」
「…私も」




 





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