かさをなくした。 正確に言うと、盗られた。 しかも今日の朝から今、この下校時間までの間に。 朝学校来て下駄箱通るときは絶対に傘立て見るし、帰りにだって確認してるし、百パーセント間違いない。 考えるまでもなく、さっき突然降りだしたから持ってなかった誰かが盗っていったんだと思う。あんなどこにでもあるビニールがさ、仕方ない、けど──だけど。 「かさ、ねぇの?」 今日よりひどい雨が降ったあの日、学校終わって電車に乗って最寄り駅に着いて、あたしは途方に暮れた。 かさ、持ってない。 親はまだ仕事だし、呼び出せる彼氏なんていないし、止むまで待つかとしゃがんだあたしに降ってきた、遠慮がちな低い声。 「え、あ…うん」 薄いブルーのシャツ。 半袖なのをさらに肩までまくりあげてるその人は、見た感じ制服だし同じ高校生みたいだった。 けど目付き恐いし声低いしであたしはビビりまくった。 「誰か迎えとか来ねぇの」 「…親、仕事なんで」 ──危ない、なに「うん」とか普通に言っちゃったんだあたし。慌ててこっそり敬語にしてみる。 さっきからしゃがんだまんま目線上げられなくて、失礼なヤツとか思われてたらどうしようとも思うけど、何かやっぱり恐い。必死に小物オーラを発するあたし。 「じゃあコレ、良かったら」 視界に入ってきたのは、透明なビニールがさの先っぽと、大きな靴が一人分。 「へ、?」 「俺はすぐ迎え来るから。待ってんの疲れんだろ」 「あの、でもっ」 「ビニールがさくらいで遠慮されても困るし、な」 「…あ、りがと」 驚いた。 なんてジェントルマン。今時マンガでもこんな場面ないでしょ。 あたしは渡されたビニールがさをただ呆然と見つめてて、ロータリーに入ってきた車に駆け寄ってくブルーの背中に、ちゃんとお礼を言えなかった。名前とか学校とか連絡先とか、聞けなかった。 なくしたのは、つまりそういうかさだった。 いつ雨が降っても良いように、いつあの人に会っても返せるように、あたしはそのビニールがさを学校に置きっぱなしにしていた。その結果がこれだった。 「次会ったら謝ろう…」 雨降ってるわ気分も下がるわで足取り重く帰り着いたいつもの駅。 あの人のことばっかり考えててすっかり忘れてたけど、かさがないからあたしは帰れない。あの日と同じ状況に思わず笑ってしまった。 「…何してんの」 ──で、 「デジャブ…っ!」 ロータリーの屋根の下。 座り込んだあたしと、いつかのブルーのシャツ。 あの日のあの人が、おんなじようにそこに立っていた。 「またかさ持ってねぇの?」 声の低さは相変わらずだけど、目付きはなんだか優しくて「仕方ねぇな」って言ってるみたいだった。 だからあたしはもう恐いとは思えなくて、立ち上がってその優しい目をちゃんと見上げた。 「…この前借りたかさ、今朝まであったんだけど、」 「うん」 「帰りに見たらなくって、あの、なくしちゃいました…ごめんなさい!」 見つめあった状態でほんとの本気で謝ったら、急にすごく申し訳なくなって悲しくて、何か泣けてきた。 何泣いてんのコイツとか引かれたらどうしよう、ととっさに頭を下げて繋がってた視線を断ち切る。 「ビニールがさくらいで、って俺言わなかったっけ」 下げたままの頭に、大きな何かが乗ってきてポンポン叩く。 それが手だと分かったのは、楽しそうに笑う声につられてあたしが顔を上げたから。 「知らない子に貸した時点で、返してもらおうなんて思ってねぇし」 「…そうかもしれないけど、っ」 「気にすんなって」 「…」 「んなことより、かさ持ってないんじゃ帰れなくね?」 「えっ、あ──…ハイ」 ダサすぎる、あたしダサすぎる。 借りたかさなくしておんなじ人に助けられるとか、ダサすぎる。 もうこれ以上お世話になるわけにはいかない、こんなダサい子置いてどうぞお帰りください──と言いかけた、 そのとき。 「よ、っと」 地面に置いてたあたしの鞄を、なぜか肩にかけたブルーのシャツ。 「あの…、え?」 「?ちゃんかさ持つ係」 「ええっ?」 ちょっと待ったあたしの鞄!とか何で名前知ってるんでしょうか…とか色々言ったはずなんだけど、その人はかさをあたしに持たせてさっさと屋根の外に出ていってしまった。 あたしは慌てて追いかけて、ブルーの肩の隣に立ってかさを開く。 そうしたらその人は満足げに笑ってかさの柄を掴んで、ぐいってこっちにずらしてから「嫌じゃなかったら、一緒に帰って」ってあたしを中に招き入れてくれた。 雨の日に 濡れた捨て猫のフリをする 帰り道、あたしと修兵は名前と学校と連絡先を教え合った。 でもその後すぐ名前も学校も実は知ってた、って白状されて、あたしは修兵の腰に抱き着いてやった。 |