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 綺麗な女だった。



 文句のつけようも無い、美しい女だった。










「?のことですけれど」





 ふと思い立ったように顔を上げ音も立てず文机に筆を置き、真っ白い指が皺一つ無い和紙の上から文鎮を退けて、次いで真っ赤な紅の引かれた唇が流れるように発した言葉を、アタシは聞き逃した。





「あの子は、新造にします」





 ──否、聞き逃したのではない。

 信じ難かったのだ。





「お客を取れるように成りますわ。水揚げは浦原様にお願いしようかしら、ね」





 どうして、と。

 話が違うと。





 口約束など、違えたとしても咎められないと知っていて、それでも鈴を責め立てようとする己の口をアタシはただ、無意識に噛み締めた。 






咎無くて死す






 不思議だ。




「?、」 





 此方に背を向け、姐女郎に小言を頂戴しているらしい小さな姿に声を掛ければ、まだ随分と遠くに居る筈の、──其れどころかまだアタシに気付いてすらいなかった筈の彼女は、音がする位勢い良く振り返った。



 その瞬間、花のように笑ったのを見て、


 此れ程心が満たされようとは。





「…っ、と、走っちゃ危ない」





 アタシの姿を見留めるやいなや、姐女郎に暇も告げず一目散に廊下を駆けて来た子を、包み込むようにして抱き留めてやる。
 死覇装でも隊長羽織でも無い、着崩れたアタシの着物の胸元に頬を寄せる可愛らしい様子に、アタシも彼女の首筋に吸い付いた。



「久しぶりっスね、」


「良い子にしてました?」


「…寂しかった?」



 ?はその一つ一つに笑顔で頷いて、柔らかな頬をアタシにすり寄せる。
 子猫のようなその仕草はどうやら彼女の癖で、久しぶりに見るその愛らしさにアタシの機嫌は天井知らずで上がっていく。

 人の感情に敏感な質だからか、?はアタシが気を良くしたことに気付いたようで益々嬉しそうに目を細めた。


「…?」







 この子には親など、最初から居はしなかった。



 流魂街で死にかけていたところを人拐いに遭い、女衒(ぜげん…身売りの仲介業)に売られたとき、?は、女郎に成れる年齢をとうに過ぎていた。


 当然、買い手はつかなかった。


 あの性分であの年齢で、客の相手が務まるものかと、ついに女衒からも捨てられようかという頃、鈴屋の先代の耳に「行き遅れの女が居る」という噂が届いたのだ。



 自らも女衒出だった先代の鈴は、?を女郎としてではなく小間使いとして楼に置いた。
 そのうち、?を見初めた上客が彼女の水揚げを申し出るようになった。申し出るようになった、と言うのは、それが一人や二人では無かったからだ。

 だが?を妹のように可愛がっていた鈴は、?が望まぬ限りは座敷に上げることはしないと言い放った。





 その数か月後、鈴は流行り病で呆気なく逝った。





 客のとれない小間使いの面倒を見る謂われの無くなった楼で、?は一人宙ぶらりんで残された。
 それからは時々、女郎たちが忙しくしている間だけ、上客の相手をさせられていた。


 ――あの日のように。





 新造にすると聞かされたその時に初めて知った?の生い立ちが此れだった。





 まるでしっくり来なかった。


 だってこの子は、こんなにも、










「  」





 こんなにも、柔らかく笑うのに。










 幸せそうに笑うこの子は、本当はもう全部知っている。
 その身が売られることも、売り物にはならないだろうことも、――そうして死ぬまで、何も変わらないことも。

 だのに女郎にされるのは単に、



 羨んだのだ。



 妬んだのだ、誰かが。



 先代の一言だけで、身体を失くさぬまま楼に居ることの出来る?を。男に取り入る術を知る自分より、一つ笑うだけで商売女でも無いのに男を引き寄せる?を。

 綺麗なままで居させるものかと。


 その筆頭が鈴に違いないのだ。


 アタシが其れを信じられないのは、鈴が何処と無く、?に似ているような気がしていたから。
 頭の良い彼女のことだ、其れすら計算づくだったかもしれないが。

 何れにせよ、拾われた時に人としての一切を楼とその主人である鈴に明け渡す、と誓ったはずの?を掬い上げる方法など、アタシは持ち合わせて居ない。










「――…次の、非番に」






 だから、ただその真っ白い頬を手の甲で擦り撫でながら、アタシはいつもと同じ着物に身を包んだ?を、離れて行かぬようにと引き寄せるのだ。






「貴女を買いに来ます」






 壊す事でしか、この少女を守れないなんて。










目覚めた朝に、君が笑っていてくれるように











 嗚呼、貴女とアタシと、どちらが変わらずに居られるだろうか。









あ…あれ、っ…?
何か予想以上にドロドロな展開になってしまいましたが海崎のせいではありません、鈴太夫が実は腹黒だったからいけないんです!

というかそんなことより、すっかり更新が止まっててすみませんでした…
カウンターがまわるのをビクビクしながら土下座で見ていた海崎です←
本当は15000打企画もしたかったんですが、とりあえずこの10000打企画を全力で仕上げます!

咎無くて死す、このシリーズはわたしなりに文体にこだわっているのですが、なにぶんこの文体は書くのに時間がかかる(笑)
しかし、本編がほとんど進んでいないのにも関わらず至上主義の次に多く票を頂き、嬉しくて嬉しくてうっかりダイナミックに本編やっちゃいました。
元々は中編にするくらいの気持ちで書き始めたので、?ちゃんが女郎になっちゃうこのくだりも書くつもりはありませんでした。そういう意味では番外編かも。

世の中は自分を中心に回ってはくれない、そんな虚しさみたいなものが滲んでくれればいいな。



エリカ…孤独、裏切り





 





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