あの日は、前日に異常事態が起きて一睡もしていなかった。 朝になってから一度自室に戻って仮眠をとり、ようやく時間ができたのは太陽が天辺に昇る頃になってからだった。 隊舎内を見回せば、同じように疲れた顔をした隊士たちが忙しなく行き交っている。四番隊で夜を明かしただろう?はもう戻っているだろうか。俺は足早に隊主室へと向かった。 「?隊長、日番谷です」 扉の向こうからは返事が無い。 不思議に思い霊圧を手繰り寄せて、?が今室内にいることを確認してから扉に手をかけた。 「…冬獅郎」 こちらに背を向けて座る?。 一歩足を踏み入れて、部屋を支配する緊張感に気付いた。細い細い糸が、千切れそうなくらい張り詰めているような空気。 「お疲れ様」 振り向く?はいつもと変わらない。眉を下げて、ふわりと微笑む。 でも俺は気付いてしまった。 ?は、俺を見ていない。 その目は静かで真っ直ぐで、何か違うものを見据えていた。俺に向けられているはずの視線は、深く冷たい色をしていた。 「どうしたの」 耳鳴りがする。 肌がぞくりと泡立つ。 恐くなって、俺は椅子をこちらに向けて愛を力任せに引きずり下ろし、それでも反応を示さない?を胸にかき抱いた。 「?」 「…冬獅郎」 「行くな」 意味も分からないまま絞り出すように懇願しても、?はクスリとも笑わなかった。 「?、俺を見ろ…ッ!」 「早かったね」 「?っ」 「冬獅郎が来る前に、出ようと思ったんだけど」 「?…!」 「間に合わなかったね」 「冬獅郎」 「ごめんね」 覗き込んだ?は崩れ落ちそうな瞳で笑った。 それから。 再び異常事態の警報がなって、松本が隊主室に駆け込んでくるまで俺は気を失っていたらしい。 緊急の副官会議に同行し、十一人の隊長格の霊体反応が、尸魂界全土から消失したことを知らされた。 十一人の中に、?の名前があった。 なんて笑えない冗談なのだろうと思った。 それから先の記憶も、最近までおぼろげだった。 松本によれば、隊舎に戻ったところで?の罪状が正式な書面で届き、俺は無表情でそれを破り捨てたらしい。 ようやく自隊の隊長が消えたと知った隊士たちに混じり再び向かった隊主室で、俺はまた、意識を飛ばした。 室内には何も残されていなかった。 ────── はつ恋 ────── ?のしたことは完璧だった。一ミリの隙もなかった。 でも、ひとつだけ。大きな検討違いをしていた。 あなたは俺を見くびった。 俺がどれほどあなたを求めていたか気付かなかった。 こんなにも強く、あなただけのためにあった心は、もう何にも動かされることは無い。 あなたがもうこの空の下にはいないのなら、教えて欲しい。 あなたに恋した心を捨てる方法を。 第一部 完 |