はつ恋 | ナノ








 氷輪丸と対話してから少し経って、俺は十番隊第三席になった。


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はつ恋 9
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 俺の三席昇格が決まった日、それを知らせに来たのは玻空だった。

 いつものように突然姿を見せた玻空は、ニヤニヤ笑いながら俺の机の上に書類を叩きつけた。


「合格だとよ。良かったな」


 大事ってのは、いざ起きてみると意外に冷静でいられたりするものだ。現に俺はまだ特に興奮するわけでも喜んでいるわけでもない。

 喜ぶのは、これからだ。



 複雑な朱印が捺された大層な書類を掴み俺はそのまま隊首室へ向かった。
 焦りすぎだろ、と笑う玻空はそれでも大人しく後ろをついてくる。



「冬獅郎!」



隊首室の扉を開けると、白羽織が勢い良く胸に飛び込んできた。
 玻空は姿を消していた。

「おめでとう」

 今朝から知っていたことだろうに、息を切らして晴れやかな笑顔を見せる?。

「ああ」

 俺は思いっきり?を抱き締めてその肩口に顔をうずめた。この日を待ち望んでいた心臓は破裂しそうなくらい高鳴って、深呼吸しなければ息をすることさえ忘れそうだった。


「?」
「…はい」
「好きだ」
「はい、…っ」
「やっと言えた」


 そう言うと?が耳元でくすりと笑った。

「私も冬獅郎が好き」

 顔を離して見つめ合い、恥ずかしくなって目を逸らす?の瞼に口付けてまた抱き締めて──を馬鹿みたいに何度も繰り返す。
 互いに互いしか見えなくなっていた俺たちは、それでもバタバタと廊下を走ってくる複数の足音に気付いて、見つめ合ったまま苦笑した。


「?ー開けてんか〜!愛しの平子サンが来たで…──ぶフッ!」


 よく知った男の声が扉の向こうから響く。

 どうぞ、と?が答えた瞬間、尋常ではない勢いで開け放たれた扉からこれまた尋常ではない勢いで飛び込んできたのは、やはり五番隊隊長──そして十二番隊の副官、九番隊の二人組だった。

「シロたーん!おめで「ひよ里お前コラァッ!」
「耳元でうっさいわハゲ真子ィ!」
「…せぇな、人ンちだろうが」

「…」

 俺の両手を捕まえてブンブン揺すりまくる久南副隊長にとりあえず礼を言う。大方俺の昇進祝いにかこつけて?に構いに来たってところだろう。
 他隊の、しかも隊主室でよくもまあこんなに騒げたものだと一層苦笑いを深めるが、当の?は気にした風でもなくにこにこ笑っていた。元からこの面々は仲が良い。


「お茶、淹れようか」


 至極楽しそうにそう言って給湯室に向かう?。
 それをじっと目で追う平子隊長は、部屋に入る前に猿柿副隊長に殴られたらしい頬をまだ擦っている。その横では久南副隊長がでかい声で茶菓子を所望し、六車隊長が負けじとでかい声でそれをたしなめる。


 この騒々しさは嫌いではない、と思う。


 現在の隊長格の面々は不思議なほど仲が良い。
 だからこそ今回の昇進がその輪を乱しはしないかと身構えていたのだが、その心配も杞憂に終わったようだ。

 既に猿柿副隊長や久南副隊長がいたことで俺が餓鬼扱いされることもなかったし、仕事をしない副隊長の代わりによく?に同行していたからか、普通ならばあまり馴染みの無い二番隊や三番隊の隊長にも早くから顔を覚えられていたのだ。

 そのおかげか俺の昇進は彼らを少しも驚かせなかった。


「三席かァ…なんやあっという間に追い抜かれそうやわ」
「アホちゃうか。隊長の上があるか」


 感慨深げとも興味なしともとれる遠い目をして平子隊長が呟いた。
 無意識に?を追っていた視線を慌てて戻すと、何のことはない、目の前の二人は頬をギュウギュウつねり合っていた。その様子に思わず気を緩めたところを、斜向かいで腕組みをしていた六車隊長にしっかり見られていて内心ぎょっとする。


 ──どうにも、彼らの前だと下手に気を抜けない。


 そう思ったのを知ってか知らずか、六車隊長はニヤリと笑った。

「こんな強ェって分かってりゃウチに入れたんだがな」
「そーだよぅ!拳西バカじゃーん!」
「…ッせぇぞ白黙ってろ」
「ふーんだ!けんせーのバーカ!あたしもシロたんと一緒が良かった〜!」

 ソファの上でがたんがたんと暴れだした久南副隊長を、というより額に青筋を浮かべつつある六車隊長をやんわりと手で制す。

 この状態になった二人を上手いこと止められるのは?だけだと、これまでを見てきた俺は知っていた。
 首を捻り給湯室に目を向ければ、ちょうど湯気の立つ盆を手に?が出てきたところだった。


「じゃあ白ちゃんが十番隊に来る?」


 ニコリと音が聞こえるほど満面に笑顔を浮かべた?に対し、久南副隊長は何度か瞬いた後難しそうな顔をして視線をさ迷わせた。

「…ううーそれは」
「それは?」

 俺の隣に腰掛け盆を卓の上に置きながらますます笑みを深める?は、間違いなく確信犯だと分かる。
 久南副隊長のために用意したらしい淡い色の砂糖菓子を差し出して、?が先に答えを言った。


「拳西がいないと駄目かな?」


 優しく呟いたその一言に顔を上げたのは六車隊長と久南副隊長、二人同時だった。一瞬遅れて俺が?を見たことは、久南副隊長の喚き声で誰にも気付かれなかったようだ。

「ち、ちがーう!?たん変なこと言わないでよね〜ッ!」
「そうかそうか。照れんな白、お前は俺が大好きだもんな!」
「け、拳西のバカ!うう〜…」
「泣かないで白ちゃん、ごめんね?」
「あっ!ええなーオレも?にヨシヨシされたなってきたァ」
「変態発言すんなやアホ!」

 そう広いとは言えない隊主室で乱闘紛いの言い争いを始めた彼らを余所に、俺は隣でのんきに茶をすすっている?の耳元に顔を近付けた。



「…俺と副隊長だけじゃなかったのかよ」



 思ったより不機嫌な声が出て自分でも驚いたが、突然のことで?はそれ以上にびっくりしたらしく俺の肩やら胸やらを遠慮なしに押し返した。

「ちょ、冬獅郎近い…っ!」
「…なあ、」
「待ってったら、もう…何のこと?冬獅郎と乱菊だけ、って」

 自覚なしかよ、と呟いて、怒ったように眉をしかめてみせる?の眉間を指で弾き再び耳元に唇を寄せた。



「呼び捨て禁止な」



 軽く睨むと、ようやく合点がいったらしい?に仕返しとばかりに眉間をつつかれた。


「しかめっ面しないの、冬獅郎」


 甘い声で囁かれた台詞が嬉しくもあり憎らしくもあり、?の腕を引いて腿が触れ合うくらい近くに引き寄せる。
 驚く?を見返す俺はきっと勝ち誇ったような顔をしていただろう。



「えーっと…」



 だから、気付くのが遅れた。



「…?と冬獅郎って、その…アレや、付き合ってたりします?」



 俺たちの関係は、今の今まで内密だったということに。


 遠慮がちに、そして多分に戸惑いを含んだ平子隊長の声が俺たちに向けられた。
 途端に頬を赤らめてうつ向く?を、俺は目で促す。俺が言うより?に言わせた方が男避けには効果があるだろう、というずるい作戦だ。


「…はい」


 予想通りの小さな声。

 だが予想外だったのは、頬を赤く染めながらも幸せそうに目を細めた、あまりに綺麗なその笑顔だった。

「はーやっぱそうなんかァ…」

 大きな溜め息をこぼす平子隊長。その態度が、?に好意を抱いていたと言ってしまっていることにすら気づいていないらしい。

 その後、いつからだとかどちらからだとか、延々と質問攻めにされた。
 見かねた猿柿副隊長にどやされながら彼らが退散するまで、俺たちは幾度となく顔を見合わせて笑った。

 幸せだと思った。

 ──そして。


 俺がそうだったように、?もただ幸せであってくれたら良い。




 その考えがいかに検討違いで甘ったれたものだったのか──知ることになるのは、この五日後だった。






(俺の前にいたはずのあなたは、本当は何を思っていたのだろう)




 





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