?の稽古は入隊後数年続いた。数十年だったかもしれない。よく思い出せないほど、俺には時間の流れがひどく速く感じられた。 死神のコツというものを掴んだらしい俺は、日を追うごとに?本来のスピードにもついていけるようになっていた。瞬神と呼ばれるあの総司令官とも張り合える?を相手に、本気の鬼事をやったりもした。 上位の席官でも?との鬼事は始まった途端その姿を見失い、追いかけることすら出来ないらしい。松本が呆れたように教えてくれた。 斬魄刀の扱いに至っては、比べ物にならないくらい腕が上がった。 しかし毎日毎日手合わせをこなして疲れが極限まで溜まっていたらしい俺は、ある日の稽古中、鋭く飛び込んできた?の刀を避けきれず鮮やかに峰打ちを食らってしまい、床に叩き付けられ意識を飛ばした。 ────── はつ恋 8 ────── 目を覚ましたのは救護室のベッドの上だった。 四番隊の世話になるのは初めてで、俺はぼんやりと室内を観察した。すると、俺の腕に深々と刺さる点滴の針が視界に入ってぎょっとする。だが何より驚いたのは、傍らで項垂れる愛しい人の姿だった。 ?は指が白くなるほど布団の端を握り締め、声もなくぱらぱらと涙を落としていた。俺がのんきに寝てた間に何かあったんじゃないかってくらい、?は心配を通り越して憔悴してるようにすら見えた。 羽織も着ないで、稽古のときのまま結い上げられた髪が、その細い首筋を余計細くしていて、自分の体のだるさより寒そうなそっちのほうが気になった。 でも、それよりももっと大事なことを俺は?に伝えなきゃならなかった。 「…坡空は、?」 カラカラに渇いた喉から絞り出した声は思ったよりかすれて、悲しげに眉を寄せた?の瞳からはまた涙が落ちた。 「外で待ってる、って──…と、しろ…っ、ごめっ…ね」 何度も何度も「ごめん」を繰り返す?。俺の不調に気が付かなかったというだけでこんなにひどく泣かれるとは思わなくて、俺は狼狽えた。 「?、…?、大丈夫だから…」 ベッドに片肘をついて何とか体を起こし片手を布団から出せば、?がその手をとり、すがり付くように顔を寄せてきた。 「頼むから、もう謝るな」 「…っ、でも」 「あと泣くな」 その方がよっぽど辛い、とこぼすと?は濡れた目を大きく開いて、その拍子にまた涙が頬にぱらりと落ちた。 「…冬獅郎、ごめ」 「謝るなって。あと一回で終わり、な」 こく、と喉を鳴らした?は、少しだけ頷いて俺の手のひらに頬をすり寄せた。 「無理させて、ごめんなさい」 その瞬間わずかに細められた深い紫の瞳に、映る俺を見つけて。 ──俺を心配してくれる?が、こんなにも想ってくれる?が愛しい。 そのまま顔に出ていたらしいこの気持ちは、俺の手をゆっくりと撫でていた?にも容易に伝わってしまう。 驚きにゆっくり瞬いた目から最後の雫がにじんで、それから?は腫らした目を柔らかく細めて、俺の好きな、あの溶けるような笑顔を見せてくれた。 「…その方が良い」 「え?」 笑ってる?の方が好きだ、と囁きながら、少し冷たい頬を包んでいた手を滑らせてなめらかな黒髪をかき混ぜる。そのまま少し力を込めて引き寄せれば、近付く?の赤く染まった顔。 もう一度、今度は直接、好きだとその唇に注いだ。 「──…っ、」 初めて触れた?の唇から、じんわりと伝わる温かさと柔らかな感触。離れた隙に、薄く開いて漏らされた吐息が、胸の奥に火をつける。 「…?」 うなじに手を這わせそのままの距離で名前を呼べば、唇に触れる熱を持った声色に?が体を震わせた。 言葉にならないこの胸の内を、丸ごと取り出して?に見せてやりたいと馬鹿なことを考えながら、もどかしさに耐えられなくなりもう一度深く、深くその唇に吸い付いた。 「…──んっ、ふ…」 目を伏せて苦しそうに息を継ぐ?。その表情に、心臓が跳ねる。 残る理性をかき集め、まるで収まらない愛しさを何とか押さえ付け口を離したときには、?の目には新たな雫が光っていた。 「?、」 「…っ、なに?」 「氷輪丸に会った」 天を覆い、凍りついた雲間を駆ける真っ青な竜。 宝石のようにキラキラ輝く冷たい花びらを連れて、俺の胸に真っ直ぐ降りてきたその名前。疲労で引っくり返ったはずの暗い意識の世界は、待ち構えていた竜の力で、天と地の差も判らないほどに雪で覆い尽くされていた。 ?に近付きたくて、誰よりも側に居たくて、無我夢中で稽古を重ね挙げ句ぶっ倒れた俺に、そいつは何も言わなかった。 「…ッ、良かった、とうしろ…っ!」 涙で濡らしたぐしゃぐしゃの笑顔に何度も唇を押し当てて。そのうち堪らなくなって首に飛び付いてきた?を、ただ強く抱き締めた。 (やっとあなたに近付けた気がした) |