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 果てしなく長い階段をのぼり切り、小さいが調度の豪華な部屋に顔を出すと、いつも通りヒメが微笑んでコウを迎え入れた。
 夜通しはたらいていただろうに、ヒメはそれでもコウを律儀に待っている。この巨大な城の中で権力も金も手中にしているのに、足の自由がきかないスイよりヒメの方が不自由だと、コウには思えた。
 コウはヒメと向かい合い、茶を飲みつつとりとめのない話をした。コウはヒメと体を触れ合わせるより、こうして穏やかに喋っている方が好きだった。
 ヒメの話題はこのところもっぱら「王子」のことだった。王子とは、この地域一帯の城主の息子、イチのことである。ヒメの君臨する下界の城などとは違う、本物の城の殿だ。

――わたし、あの人の前だとうまく声が出なくて歌えなくなっちゃうの。変ね。

 にこにことしながらヒメはイチがどんなに尊い存在かを話す。ヒメは自分の城に通ってくるイチを恋い慕っている。
 コウが辟易するほど、ヒメはイチのことを話す。コウ以外の人にはこういうことを気軽に話せないからだろう。イチがどんなことを話し、どう振る舞ったか。いかに理知的で優しく、見目麗しいか。それが決してヒメの贔屓目ではなく、真実、王子は人格者なのだと、コウも噂に聞いて知っていた。
 てっきりコウは、ヒメとイチは恋仲なのだと思っていたが、その予想はヒメによってあっさり覆された。
 イチには既に婚約者がいるということさえ、ヒメは嬉々として語った。まるで自分のことのように喜んでいたが、もちろんその婚約者はヒメのことではない。イチのことが好きなのに、他の誰かと結ばれるのを当たり前のように受け入れるヒメの気持ちを、コウは測りかねた。
 けれどヒメは分かっていたのだ。遊女である自分と高貴な身分のイチとは釣り合わないと。
 緩慢な動作で、ヒメが手ずから香を焚いた。コウの持ってきた流木香は深く香り、一瞬で部屋の中を海中の世界に変えた。

――あなたの香、とても重宝してる。どんなに疲れていても、海の底にいるみたいによく眠れるの。

 ヒメにとって流木の香は、媚薬ではなく眠り薬であるらしかった。いつも客に夢を見せる立場である彼女自身が、現実を忘れ夢を見るための魔法だった。



 人魚姫が水に飛びこむ姿はまるで、衣をはためかせ空から降りてくる天女のように、尾ひれをたなびかせはかなく舞い踊る金魚のように、この世のものとは思えないほど美しかったと、人々は口々に噂した。
 城へ向かう屋形船の目の前で、城の天辺から裏手の川へ、ヒメは真っ直ぐ飛びこんだ。船の乗客、川原や橋の上にいた人々は皆、ヒメの美しい落下を目の当たりにし、呆然と、また恍惚として見とれ、しばらく固まった。派手な水音で我に返ったそのときには、既にヒメは水底深く沈んでいた。
 ヒメが川へ落ちたとき、城の天辺にはちょうどヒメ以外の人はおらず、したがってヒメは誰かに突き落とされたわけではなく自ら飛びこんだというわけだった。
 ヒメが何を思って入水したのかは分からないが、誤って落ちたとはとても考えられなかった。城の男衆や官吏、市井の者まで総出で川の中をさらったが、奇妙なことに、ヒメの体が上がることはなかった。人魚姫は泡となって消えた。


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