かれこれ一時間近く、同じ絵を見続けている。
 私は今、美術館の監視員の業務に就いている。予想していた通り、退屈な時間だ。たくさんの絵が並べて掛けてある白い壁の隅で、椅子に座って黙って見ている。
 私の椅子の正面にあるのは、この展覧会の目玉の一つである大きな空の絵だ。この画家は特に空の絵が人気らしく、たしかに、見ているとその青に吸い込まれそうになる。
 しかし私が見つめているのはその右にある小さな絵だ。うっそうと茂る緑の森の絵。私は嫌でも視界に入る空の絵からあえて目をそらし、その森の絵に見入っている。どこか、惹かれるのだ。
 小さな森の絵から隣の大きな空に目を移すと、まるで、狭くうすぐらい木々の間をやっと抜けて、急に視界がひらける場所に出たような錯覚を起こす。たぶん、そのことを意図した配置なのだろう。
 真正面を向けば、明るい太陽の下に出られるのに、私はわざと斜めになって、濃い緑の中をさまよいたがっている。
 展覧会に訪れる人には、波がある。来る時は人がかたまりのようになってぞろぞろと部屋を通り過ぎるし、誰も来ない時間帯もある。平日の昼間の今は、たまに一人二人とやって来ては、大きな空の絵の前でしばらく立ち止まる。私が注目している森の絵など、ほとんど素通りだ。
 そしてここ十数分、人の気配がしない。私は椅子から立ち上がらずに、通路の向こう側を見遣った。誰も来る様子はない。
 私は再び森に向き直った。葉がザワザワと、せまいキャンバスの中でひしめいている。しめった植物の吐く息のにおいがする。
 ずっと見つめていると、木々の間に人が立っているのが見えた。男か女かわからない。木のように、すらりと細い人だ。白く長い服を身に纏っている。
 その人は木々の間でさっと走って、隠れたりまた現れたりした。私は部屋の隅の椅子から、絵に語りかけた。
「となりの絵に行きたいの?」
 その人はかすかに首を振ったように見えた。そしてまた、隠れたり現れたりした。
「空を見たくないの?」
 監視員が絵に向かって話す光景というのは、はたから見るとシュールだろうなと思いつつ、私はなおも森に向かい呼び掛けた。その人は木から木へ飛び移りながら、私を手招きしたようだった。すばやく動く彼を目で追っていると、自分が森に迷い込んでいくのがわかった。
 私は白い壁の隅で椅子に座りながら、幾重にもかさなる葉を掻き分け、深い森の奥へと歩を進めた。








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