▼名前 サイケと臨也 「君は、何だ?」 微笑を浮かべる目の前の存在を睨み付けながら訊ねれば、今度はにこりと破顔されて、思わず鳥肌が立った。気持ち悪い。 「ボクはキミであってキミでない、かといってボクとも云えない。曖昧で不特定で、輪郭のないぼやけた存在」 「…つまり?」 「ボクにも解らないってこと!」 あは、とまるで悪びれた風もなく笑うその様子に頭痛を覚えて、思わず手を宛てる。そんな俺を見て小首を傾げるその姿に、吐き気を越えて恐怖すら感じる。 ぞわぞわと背中を這いずり回る悪寒に耐えていると、何を思ったか彼は俺の手を取り、そして名案とばかりに満面の笑みを浮かべて言い放った。 「そうだ、キミが付けてよ!」 「…一応聞いておくよ。何を?」 「ボクの名前!」 決まってるでしょ?そう言いながら楽しげにくるくる回る自分と同じ顔をした男にげんなりしながら――、誠に不本意ながら、自分が他人からうざいと称される理由が解った気がして、少々複雑な心持ちになりつつ――、長い長い溜息を零した。 「…もういいや。先刻君、何て言った?此処が何だって?」 俺の質問にきょとんと惚けた顔をしていた彼は、やがて意味を理解したのか納得したようにああ!と手を叩きながら声を上げた後、顔を綻ばせた。 どうやら顔は同じでも、頭の回転速度は異なるらしい。 「ムーンサイド。とってもたのしい素敵なトコロ!」 「ふうん。こんなサイケデリックな所がねぇ」 言いながら辺りを見回すも、矢張り色彩だけが広がっているばかりで、そこには何の存在も感じられない。 こんな閉鎖的な空間が楽しい所だとは、とてもじゃないが思えなかった。 「…で、君は――、…何?」 再度投げ掛けようとした質問は、彼の訝しげな表情によって阻まれた。あまりにも此方を凝視してくるものだから、途中で訊ねる言葉を変更すれば、うん、と前置きのように小さな声で呟かれた。 「サイケデリックって、なあに?」 「……ああ」 ひどく真剣な顔をしていたものだから、何を言い出すのかと思ったら。何だ、そんなことか。 ほっと溜息を吐いた自分に、どうやら無意識のうちに緊張していたらしいことに気が付いて、らしくないと緩く頭を振った。 「サイケデリックっていうのは、この、ムーンサイドだっけ、こんな感じの色合いのことさ。幻覚とかそういう意味もある」 「へぇ!詳しいんだねぇ」 「まあね」 情報屋だからね。 心中でのみそう呟いて、やたら目を輝かせている目の前の男に向き直る。嗚呼、そうだ。 「…いいよ」 口元に笑みを貼り付けながら唐突に切り出せば、案の定彼は頭に疑問符を浮かべていた。その様子に、より一層笑みを深めて、言った。 「名前。付けてあげるよ」 途端、ほんと!?と目に見えて喜ぶ男にああ、と頷いてやると、わあい、と言いながらいきなり抱き付いてきた。――ぞわぞわと悪寒が全身を駆け回って、思わず身震いしてしまう。 そんな俺の様子にはまるで気付いていないらしい男は、俺が固まって動けないのをいいことにぎゅうぎゅうとひっついてくる。剥がすのも何だか面倒で、駄目元で溜息混じりに声を掛ける。 「離れろ、サイケ」 腕の力を緩め、驚きに目を見開いている様子に薄く笑む。鸚鵡返しのようにサイケ…?と呟きを漏らす彼の頭を撫でながら、頭の回転が遅くとも解るようにはっきりとした言葉を口にする。 「そう、君の名前。サイケデリックじゃ長いしちょっと名前には不向きだからね。でも参考にはなりそうだったから、上三文字をとって、サイケ。まあ、サイケ=デリックでも、ハリウッド俳優みたいで中々素敵じゃないかい?」 冗談混じりに説明すると、彼――サイケは再度強く抱き付いてきた。あまりの勢いに若干体制が崩れてかけたのを、足に力を入れることで何とか耐える。 「ありがとう、イザヤくんっ!」 弾んだ声でそう告げたサイケの口元が、黒く歪んでいたことを、彼は知らない。 -------------- 無駄に長い |