けたたましく響き渡る足音に、イドルフリートは動かしていた手をぴたりと止めて扉を見遣る。彼が眉を潜めて小さく息を吐いたのとほぼ同時に、木製のそれが勢い良く開かれて、船員が室内へと飛び込んできた。

「…礼儀がなっていないな。如何に君が低能であれ、ノックくらいは出来る筈だろうに」

酷く慌てたその姿を呆れ顔で一瞥し、手にしていた羽ペンをペン立てへと戻しながら、肩で息をする船員に向かって「それで?」と言葉を投げ掛ける。
然し、意図が解らなかったらしい。ぽかんとした表情を浮かべる船員を横目で見遣り、今一度溜息を吐き出すと、そのままくるりと体を反転させて彼へと向き直った。
深みを湛えた翡翠に真っ直ぐと射抜かれて、見事に恐縮してしまった船員の様子を頬杖を付いて眺めながら、ゆっくりと瞬きをする。長い睫毛がふるりと震え、凡そ船乗りとは思えぬ程に白い頬に影を落とす。
イドルフリートは身を乗り上げると、ゆっくりと足を組み直して小さく首を傾げた。緩いウェーブのかかった金髪が、白い頬にさらりと落ちては流れていく。

「ノックを忘れる程の用事とはなんだと聞いているんだ。火急なのだろう?」

含ませるように噛み砕いたところで、漸く理解が追い付いたらしい。船員は弾かれたように顔を上げて、イドルフリートに懇願の視線を向けた。

「大変なんですイドさん!甲板に!兎に角甲板に出て下さい!」















薄暗い通路に硬い音が反響するのを、イドルフリートは眉を寄せて聞いていた。それでも甲板に向かうべく、機械的に足を動かして階段を上がっていく。
革製のブーツで木目を踏み付けていると、階上に近付くにつれ、かつん、かつんという悲鳴に混じって微かに声が聞こえてくる。
怪訝に思いながらも足を進め、漸く階段を全て上り切ると、ドアノブを掴もうと手を伸ばす。瞬間、一際大きな声が聞こえてきて、イドルフリートは思わずその手を引っ込めた。

(…これは……コルテス?)

──怒声と罵声、それから悲鳴。
何れも覚えのある声ではあるが、それらが纏う情にはまるで心当たりがない。
特に上司に当たる男については、普段の声色と聞こえてくるものとが全く結び付かなくて、イドルフリートは純粋に珍しいな、と思った。
というのも、船長であるコルテスは、どちらかといえば穏やかな性格をしている。負的な感情を顕にすることがあまりなく、余程のことでなければ怒声は疎か、声を荒げることさえもしないという、そんな温厚な人間である。
然し、甲板から聞こえてくるこの怒声は間違いなくコルテスのもので、イドルフリートは小さく首を傾げつつ、取り敢えず外に出ないことには始まらないと、ドアノブに手を掛けた。

「──消え失せて下さいませんか」

扉を開いた瞬間、光と共に浴びせられた辛辣な言葉に、イドルフリートはぱちりと瞳を瞬かせた。
嫌悪が存分に塗りたくられたその言葉は紛れもなく船長の口から吐き出されたもので、彼らしからぬその物言いと態度にただただ呆然としていると、今度は反対から嘲笑混じりの声が聞こえた。

「──消え失せろ?相変わらず無茶なことを言いますねぇエルナン。大体、人間を容易に消失出来る筈ないでしょうに。本当に粗末な知能ですねぇ」
「ご存知ないので?人間というのは存外簡単に消せるものですよ。…ああ、申し訳ない。悪事にだけ働く狡猾な知能には難しい話でしたか」
「…そうですねぇ。私には少々難しかったようです。ここはひとつ、理解しやすいよう説明して頂けませんかねぇ」
「…では。解りやすく、実証して差し上げますよ」

そう言うが否や、腰に携えていた鞘から剣を抜き出すと、口元だけで笑みを形作ってコルテスはにやりと笑った。見たことのないそのあくどい笑みと毒の吐合に呆気に取られていたイドルフリートだったが、コルテスが剣を振り上げたところで我に返り、慌てて柄に手を掛ける。
ガキン、という鈍い金属音が響いて、誰かが息を呑む音が聞こえた。寸でのところで受け止めた一太刀は、流石一船を纏め上げているというだけあって、重い。びりびりと痺れる腕に顔を歪ませながら、イドルフリートはコルテスを睨み付けた。

「──何を考えているんだ、この低能が」















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詰まったので没


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