蝉(→)←安藤






「兄貴、頼む!エプロン貸してくれ!」

夕食の後片付けをしていると、両手を合掌させた潤也にそう言われた。
何でも学校で調理実習があるらしく、きちんとした格好でなければ大きく減点されてしまうようで、エプロンと三角巾は必要不可欠なのだと。

「貸すのは別に構わないけど、ちゃんと返すんだぞ」

夕飯作るのに使うんだからな、そう釘を刺して愛用の黒いエプロンを手渡すと、それを受け取った潤也が思い切り抱き付いてきた。
よろけそうになりながらも何とかその抱擁を受け止める。

「解ってるって!ありがとう兄貴ーっ」

ぎゅうぎゅうと引っ付いて大袈裟に感謝を述べる弟に苦笑しながら、その色素の薄い髪を優しく撫でた。

それが、昨日のこと。


















さて、ところ変わって現在。時刻にして4時27分。
予定されていた授業も終わり、残るはホームルームのみ。そんな、本来ならば間近に迫った放課という名の解放に喜ぶべき状況で、然しながら俺の気持ちは重く淀んでいた。

原因は、弟からのメールにある。否、正確に云うとその内容にあるのだけど。
相変わらずな乳魔神が下世話な下ネタを繰り広げている横で、携帯片手に頭を抱えた。

(渡した後じゃ忘れるだろうから、わざわざ渡す前に言ったのに…!)

液晶画面に踊っていたのは、エプロンをなくしたという旨の、弟からの謝罪文だった。












(確か、替えのやつって今洗濯に出しちゃってるよな。仕方ない、今日は着けないで作るか…。でもなあ、汚れたらその分洗濯物が増えて水道代が…かといって買うのも…)

「考えろ、考えるんだ…」
「…何ブツブツ言ってんだ、御前?」
「うわあっ!?」

突然聞こえた声に思わず素っ頓狂な声を出して顔を上げると、目の前に見覚えのある仏頂面があった。それに再度叫びそうになるのを何とか踏み止めると、確かめるように小さく彼の名を呼んだ。

「…せ、蝉さん……?」
「ああ」

それにぶっきらぼうに答える様子は相変わらずで、少し安心した。殺されかけた相手にそんなことを思うのも、可笑しな話だけれど。

仕事帰りだろうか、トレードマークとも云えるうさみみフードの付いたコートのポケットに手を突っ込んで、鋭い眼光で此方を覗く殺し屋に、心拍数が加速していくのが解る。
それが一重に恐怖によるものだとは言い切れない気がして、小さく首をひねる。
まあ、だからといって、他の何が起因しているかなんて解らないのだけれど。只一つ解るとすれば、この近距離は心臓に悪い、ということくらいだ。

取り敢えずこのままだと俺の心臓がもたないので、距離を取るべく質問を投げ掛けることにする。

「蝉さんは、その、如何して此処に…?」
「んだよ、俺が居ちゃいけねぇのかよ」
「そ、そうじゃないですけど…。こんな時間にこんな場所で会うなんて思わなくて」

夕飯の材料を買うべく買い出しに出掛けた主婦に会うならまだしも、夕暮れ時の街中で殺し屋に逢うだなんて、一体誰が想像出来よう。少なくとも、俺に出来ないのは確かだ。

「俺だって買い出し位行くっつーの!そういう御前は何してんだよ、こんなとこで」

俺の言葉に拗ねたように答えると、今度は逆に、同じような質問を返されて言い淀んでしまう。そんな俺の様子に表情を一変させて楽しげににやにやと笑う蝉さんに、内心で諦めの溜息を吐く。そうして観念したように口を開いた。









「くっだらねぇ」

説明し終えた後、開口一番に蝉さんはそう言った。
それに若干ショックを受けて目を伏せる。
すると、蝉さんは顎に手を宛てて何やら思案し出しかと思うと、今度は踵を返して足早に何処かへと消えてしまった。俺を指差しながら、いいか、絶対に動くなよ!動いたら殺す、とまるで冗談にならない言葉を残して。

「――ほらよ」

程なくしてひとつの袋を提げて戻ってきた蝉さんは、そう言いながらその袋を俺の目の前に差し出した。

「…あの、えっ、と…?」

意図が解らなくて蝉さんと袋とを交互に見つめていたら、中々受け取ろうとしない俺に焦れたらしい。いきなり手を掴まれたと思うと、無理矢理袋を握らされてしまった。
――突然の接触に、治まりかけていた心臓が再び暴れだしたのには、気付かないふりをする。

「…やる」

そう一言告げると、そのままくるりと背を向けて走り去ってしまった殺し屋を、半ば呆然としながら見送った。








帰宅後、貰ったというか押し付けられたというか、兎に角袋の中を覗いてみると、黒と白の縞柄のエプロンが入っていた。

(下らないって言ってたのに…。わざわざ買ってきてくれた…?)

――俺の、為、に?
途端、どくん、と大きく心臓が跳ねて、自分でも解る位顔が赤くなるのが解った。心臓が、五月蝿い。

如何しよう、如何しよう。
あの人の顔が頭から離れない。触れた手が、まるで熱を持っているかのように、熱くて、熱くて。

「――どうし、よう…!」
















もうきっと、誤魔化せない。






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六巻の安藤くんのエプロンが縞柄だったことに興奮してつい…
黒と白の縞=蝉さんとお揃い!とかいう安直な思考で実にすみません
もうわたしの頭がどうしよう!







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