犯人の男は恐怖がピークに達したのか、意味の分からないことを叫びながら転がるように少女の身体が埋まっているだろう山に向かって駆けて行った。時折何かを振り払うような動作もしている。私の言葉でそうなったとは言え、その姿はまさしく狂人のそれで、傍から見ていると怖いというのが正直な感想だ。
 少女も当然男に憑いて行った。恐らくは身体が無事に家に帰るまではあの男に張り付いていることだろう。あの様子では歩美ちゃんへの興味もなくなったはずだ。歩美ちゃんに関しては、もう大丈夫と言える。

 ふらふらになりながら山へと向かう犯人の男の後を警察が慌てて追いかけて行くのを見送りながら、さてこの後はどうしようと考えてみた。未だ沈黙が続く周囲の様子に、私は今更ながら頭を悩ませる。
 もうこの先会わないとはいっても、よくよく考えたらここにいる人たちとは明日の朝までは嫌でも顔を合わせなくてはならないのだ。その辺あんまり考えていなかったというか、先程は考えつきもしなかった。
 知らない土地で気が大きくでもなったのだろうか。それとも慣れないことをして考えが回らなかったか。どちらにしても、犯人があそこまで大げさに反応してしまった今、やらかした感が否めないのは確かだ。周囲の反応が恐ろしすぎて、そちらの様子を窺うこともできやしない。
 明日ここを出るまで、私の評価は確実に「得体の知れない気味の悪いヤツ」だろうことを考えると気分が憂鬱だった。きっと怖がられるんだろうな。けれど、私だってあの時は幼い命を守ろうと一生懸命だったし、切羽詰まっていたとはいえ自分にできることをしたと自負している。頑張った、のになあ。
 胃は未だにきりきりと痛みを訴えてきている。やはり慣れないことはするものではない。
 自分で選択したとは言え、行動した結果得たのは後悔だけだった。それでも、歩美ちゃんからあの子を引き離すことができただけでも、良かったと思う。そうとでも思わないとやってられない。
 それに行動しなかった時の後悔より行動した時の後悔の方がいいって偉い人も言ってた。私は間違ってない、はずだ。あまり、自信はないが。

 私はふう、と一度ため息を零すと、もういっそ部屋に戻ってしまおうと宿へと踵を向ける。いつまでもここにいる義理はない。これ以上心無い視線で傷付くのはいくら旅先だと言えどごめんだ。
 私が一歩踏み出すと一番近くにいた従業員さんがさっと私から距離をとって道を開けたのが見えたけれど、私は泣かないぞ。泣くもんか。ちくしょう。今夜はふて寝だ、ふて寝してやる。


「ねえ、お姉さん」
「ん?」


 しかし建物内へと引っ込む前に、幼い声に呼び止められて振り返った。まさか呼び止められるとは思っていなかったから、少し驚く。あの少年はおかしなことを口走った私のことが怖くないのだろうか。
 恐る恐る窺ってみた少年の表情に、私に対する負の感情は読めなかった。それにとりあえずはほっとするも、けれどその代りに、どこか不貞腐れたような顔をしているのが気になる。何か気に食わないことでもあったのだろうか。
 少年の目線に合わせるようにかがんで首を傾げる。少年はそんな私に唇を尖らせて、先程私に話しかけてくれた時よりも若干不機嫌そうな声で言葉を放った。


「どうやって調べたの?あの男の犯行」
「調べた?」
「証拠がなかったから脅かすみたいにしたんじゃないの?あの首の痣も、トリックがあるんだよね?」
「そ……、」


 そんなものないけど。
 つい喉から出かかった言葉を寸でのところで飲み込んで、いや待てよと考える。少年が何をどうしてそんな考えに至ったのかはよく分からないけれど、これってもしかして、いやもしかしなくても、めちゃくちゃ都合よくない?
 ちらりと辺りに視線をやって、周囲の人が私たちの会話に聞き耳を立てていることを確認した私は、咄嗟にきりりとした表情を作る。少年が都合のいい勘違いをしてくれている今、それを利用しない手はない。乗るしかない、このビックウェーブに!


「そうなんだよねー!いやあ上手くいってヨカッタ!」
「やっぱりー!おばけなんているわけないもんね!」
「うんうんおばけなんているわけないよね!過去の罪をしらばっくれようとしてたから、少し脅かしてやろうと思って。犯人がちゃんと騙されてくれてよかったよ」


 言外に演技だとアピールしたことと、うふふあははと笑う私と少年の様子が効いたのか、聞き耳を立てていた周囲はあからさまにほっとしたようだった。そうよねえ、まさかねえ、なんて会話も聞こえてくる。そうそう、そうだよ。そんなことがまさかあるはずないよねえ!
 人は自分と同じでないものはそう簡単には認めない。だから自分と同じでないことは否定するし、たとえ目の前で常識とはかけ離れた何かが起こったとしても、気のせいや冗談で済ませてしまえるのだろう。今まではそれに対して思うところがないわけではなかったけれど、今の状況だと死ぬほどありがたかった。

 少年と話し始めてから途端に軽くなる空気に、救われたような気持ちでいっぱいだ。またこの少年に助けられてしまった。彼はもしや私の救世主なのではないだろうか。
 けれど素直に礼を言うと嘘がばれてしまう恐れがあるので、その分感謝の念を込めて少年と目を合わせてにっこり笑う。少年も驚いちゃった〜なんて言いながらにこにこと笑っていた。朗らかな様子の私たちに、もう周りは誰も嫌な目をしていないようだった。引かれた事実は変わらないけれど、少なくとも明日の朝まではきっとこれで安心して過ごすことができるだろう。本当に良かった。心の憂いが一気になくなった気分だ。


「それで」
「え?」
「どうやって、調べたの?」


 子供の好奇心って怖くね?
 私は笑顔を忘れてつい真顔になる。少年の目が鋭く光ったような気がしたのだけれど、気のせいだろうか。

 というか正直どうやってもくそもない。被害者本人に話を聞きましたというだけの話なのだ。阿笠さんの披露した推理のようなあれこれなんぞ欠片もないのだから、説明することなんて何もなかった。言うなれば解答を見ながらテストを受けて100点取ったような状況だ。
 折角おばけなんてないさという空気になったのだから、それを壊すのは憚られる。というか冗談じゃない。でもこの状況で上手いこと躱せるような言い訳なんて思いつかなかった。
 最初から知ってたと言うにしても、じゃあ犯人探ししている時点で言えよという話であるし、彼が犯人だと分かってから調べたにしては時間が短すぎる。難問すぎやしませんかねぇ…。
 さっきは少年のことを救世主だとすら思ったのに、とんだ掌返しを食らった気分だった。しかしだ。相手は小学生だぞ。歩美ちゃんが自分たちは1年生だと言っていた。ひらがなを習い足し算引き算をして、残りの時間は遊び倒して飯食って寝る小学1年生だ。
 つまり。たとえちょっと強引な言い訳でも、ゴリ押せばそのまま押し通せるのでは?


「あー、ウン、ええっとまあその色々あったの」
「色々じゃわかんないよ、僕詳しく知りたいなあ」
「え、ええ…?」


 ダメ?と私を見上げて小首を傾げるその姿は愛らしいけれど、如何せん飛び出す言葉が私にとってまったくもって可愛くない。詳しくってなんだ。何を詳しく話せと言うんだ。いくら開けたところで私の引き出しには何も入ってないぞ。
 私がいくらオブラートに包んでふわっとぬるっと伝えても、少年は僕目が悪くて見えないと言わんばかりにそのオブラートをぶち破り細かいところを突いてくる。一体なんだ。何が少年の心をそんなに駆り立てるというのだ。そこまで考えて、はたと気付く。
 少年はもしかして、阿笠さんのことを、もの凄く尊敬しているのかもしれない。そんな彼が解決した事件に横からちょっと待ったをかけられて、実はとても悔しい思いをしてしまったとしたら、こうしてなんでと言ってくるのも納得だ。
 そりゃあ阿笠さんは理論的に順序立ててきちんと考えたのに、わけの分からないことを言う相手に茶々を入れられたら不快だろう。その上私のは論理的という言葉から程遠いところにあるから、納得できないのも無理はない。
 私はもしかしたら、純粋な少年のまっすぐな尊敬と好意の心を、酷く傷つけてしまったのではないだろうか。


「ご、ごめんね少年…私…なんて酷いことを…」
「え?」
「でも誤解しないでほしいの。私も、一番凄いのは阿笠さんだと思うよ。阿笠さんが解決してなかったらこんな風になってなかったと思う」
「うん?お姉さん、何の話してるの?」
「誠に申し訳ない。でも普段こんなことしないし、ていうかもう2度とする予定もないから、今回だけは許してくれると嬉しいな」
「ええ?」
「本当にごめん!お姉さんもうお部屋帰るね!ごめんね!おやすみ!」
「あ、ちょっと!」
「いつかまた会えたら教えてあげる!」


 いたいけな少年の心を悪戯に傷つけてしまって非常に心が痛むけど仕方ない。私の手を握って引き留めようとする少年にそう言葉を残して、私はとんずらぶっこいた。子供なんて寝て起きたら多分昨日のこととか忘れてるだろうからこう言っておけば大丈夫だろう。
 さよなら阿笠さん思いのいい子の少年。もう二度と会うことはないけど、元気でやるんだよ。健やかにお生き。

 そんなこんなで無事少年を撒いてふて寝することに成功した私の一泊二日の濃い旅行は終了した。ちなみに朝は誰かに捕まる前にと急いで宿を出た。歩美ちゃん達に挨拶の一つもしないで行くことには若干後ろ髪を引かれたものの、私の行動を思えば許されるだろうと勝手に納得したので問題ないと判断する。早く出た分余った時間を観光とお土産探しに充てられたので満足感は十分だ。
 事件に巻き込まれてからはもう旅行嫌いほんと無理と思ったものであるが、全体を通して見れば、やはりそう悪いものではなかったように思う。一時はあわや大惨事かと思いはしたが、結果的にはどうにかなったし。
 長い人生の中で、事件に巻き込まれるのなんて一度あれば多い方だろう。つまり、私の人生においては多分もうないはずである。よってもう旅行に行っても大丈夫。今度こそは友人と一緒にどこかに出掛けたいものだ。

 そういえば、この事件の後日談がある。あれは私が旅行から無事帰ってきてしばらくたったある日のことだ。私の夢にあの少女が出てきたのだ。
 私にとっては見覚えのない家の前に彼女はちょこんと立っていて、私が見ていることに気が付くと頬を紅色に染めてきらきらと光る瞳でありがとうと言ってにっこり笑った。それから弾むような足取りで家へと駆けていく。
 それをきっかけに、その光景はどんどん遠のいていって、最後には光に塗りつぶされるように何も見えなくなったけれど。あの時とは比べ物にならないほど明るい声で少女がただいま、と言ったのを、確かに聞いた。きっと、家族の元へと帰ることができたのだろう。
 犯人へ呼びかけたとはいえ、わざわざお礼を言いに来てくれるとは思っていなかった。やはりあの少女は生前とても愛された良い子だったのだろうなと思う。せめてこれからはその魂が安らかであることを祈るばかりだ。

 それで、この件に関しては全て終わり。けれど反省することは多い。今回のことは色々と運が良かっただけだ。もう二度と同じ失敗はしないよう、今回のダメだったところはきちんと対策を練って、気を付けよう。
 そうして全て過去のことにして、私はまたいつも通りの日常を送る。秘密を隠して、上手に擬態して生きるのだ。
 願わくば、ずっとその日常が続くように。


「あっ」
「あ?……あっ…………」


 続くよう、に……


「こんにちはお姉さん。また会ったね」
「あ、あは、人違い……」
「会えたら教えてくれるんだったよね?」
「えっいや……ええ………」


 世間って、狭いね。くそが。



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