部屋を出ても一向に見当たらない背中に焦って、急いで警察の人達を追いかける。どうやら思ったよりも時間が経ってしまっていたようで、私が彼らに追いついた時には、犯人が車に乗るぎりぎりのところだった。危うく何もできずに終わるところだと内心肝を冷やす。間に合ってよかった。
 パトカーの傍には、数名の従業員さんと、あの眼鏡の少年と阿笠さんも一緒にいる。思ったよりも人が多くて尻込みしそうになるけれど、ええいままよと思い切って声を上げた。


「ま、待ってください!」
「お姉さん。何かあったの?」


 私の声に眼鏡の少年がいち早く振り返る。その丸い瞳がぱちりと瞬いて私を見つめた。彼に続いてこの場にいるほとんど全ての人の目が私に向く。みんなが不思議そうな顔で私を見てきて、必死で呼び止めたくせに咄嗟に言葉が出なくて言いよどんだ。
 けれどこんなところでまごまごとしている時間がないのは明白で、ここで言わなければ犯人の男はそのまま連れていかれてしまう。そうなれば少女を帰してあげられなくなるかもしれない。それが意味するところはつまり、バッドエンドだ。折角勇気を振り絞って重たい腰を上げたのに、冗談じゃない。
 周りの目は怖いけれど、深呼吸して覚悟を決める。所詮二度と会うことのない人たちだ。なんと思われても平気だ。平気。平気。
 何度も何度も自分に言い聞かせるようにして、心を必死で落ち着かせて。犯人の男へと視線をやった。いつの間にか私に付いて来ていた少女は犯人の後ろに移動して、その首に手を絡めている。是非そのまま歩美ちゃんのことは忘れてほしいところだ。
 私はどくんどくんと高鳴る心臓に手を当てて、押さえつける様にしながらも意を決して口を開いた。伝えなければ。彼女の為に。


「あの…その人、もう、ひとり、殺してます」
「は?」


 やっとの思いで吐き出した言葉は、言葉を覚えたての子供の様なそれで、おまけに緊張のせいで少し震えていて、酷くみっともなかった。平気だといくら自分に言い聞かせても、怖いものはやっぱり怖い。そんなに簡単に克服できるものならばトラウマなどとは言わないでしょう。
 それでも、ここでやめたらただ頭のおかしい馬鹿になる。一度やると決めたなら逃げたくはない。ぎゅっと手を握りしめて、下がりそうになる足をぐっと堪えた。平気平気と何十回何百回と心の中で呟きながら、自分を奮い立たせて言葉を続ける。


「10歳くらいの、女の子で…君のこと教えてくれる?名前は?」


 私が少女に話しかけると、ざわりと困惑で周りの空気が揺れた。こいつは何を言っているんだろうという周りの声なき声が聞こえてくるようだ。さあ、と周りが引いていくのを感じる。
 そりゃいい年した女が急に空中に向かって話しかけ始めたらそういう反応になる。知ってる。覚悟は、まあ、してた。でもつらい。胃がきりきりと痛むのを感じた。
 けれどどうにか渾身の力でスルーして、少女の答えをじっと待つ。堂々とここで声をかけてしまったのに答えてくれなかったらどうしようと一抹の不安を覚えたが、少女は私の言葉に僅かに間を置いてからきちんと教えてくれた。
 思いの外すらすらと淀みなく話されるそれは意外と理性的だった。この子こんなに話せたのかと戦慄しつつ、聞いたままのそれを警察の人たちに伝えていく。


「みやざわあやこちゃん。8歳。4年前にここに来て…その人に、首を絞められて殺された」
「な、何を言ってるんだ?」
「手口は今回と同じようです。…道具を使わないで自分の手で首を絞めるのが好きだって言ったの?死んでから、………身体を、あー、好き勝手されて、」
「……」
「裏の山の、一番大きな木の下に、埋められたんですって」


 私の言葉を聞いていくうちに徐々に顔を青くしていく犯人に、周りも段々と何かを察していったのか、しんと静まり返る。誰もが口を閉ざして、私の事を信じられないものを見るような目で見ていた。恐怖と、疑いの目。私の嫌いな目。
 その目を直に見てしまわないよう、誰とも目を合わせないように、少女の事だけを見つめた。濁った瞳も私の事だけをじっと、まっすぐに見ている。そして、何度も聞いた言葉を再び繰り返した。


「……お家に帰りたいって言ってます」
「あ、頭可笑しいんじゃねえの…!?何…なん、脅かそうとしてんだろ!?」
「いいえ。代弁しているだけです。誰の言葉かは、言わなくても分かりますね?」


 帰して帰してと繰り返す少女の手は男の首に絡みついたまま、どんどん力が込められていっているようだった。あのままではそのうち痣くらい浮かび上がってきそうだ。そうなる前に認めた方がいいと思うなあ。否定すればするほど彼女の目に浮かぶ怒りの色が濃くなっているようだから。本当に呪われかねない。
 まあ私は歩美ちゃんが無事ならばそれでいいので、彼がどうなろうと私の知ったことではないけれど。だって彼の場合は自業自得なのだから、それくらい甘んじて受けろと思ってしまうのも仕方がないだろう。こんなことに巻き込みやがってという八つ当たりが含まれていることは否めないが。


「あなたが埋めたんだ。あなたが彼女を家に帰して。あなたにはその義務がある」
「しょう、証拠はあんのかよお!」
「いや、ありませんけど…」
「ならでたらめ言ってんじゃねえぞ!なんだ、お前にはその女の幽霊でも見えるってのか!?馬鹿なんじゃねえの!」


 男は私の言葉に震えあがっているようで、がちがちと歯を鳴らして顔を青ざめさせている。しかし頑なにその罪を認めようとはせず、先程阿笠さんに噛み付いていたように私に向かっても喚き散らした。その様子がもう、自白しているようなものだと思うんだけど。
 一向に認めてくれない男の様子についため息が出る。ああ、嫌になるなあ。私が何をしたというのだろう。やっぱり旅行なんて来なければ良かった。楽しいこともあったけれど、きっとしばらくは旅行に行こうとは思えないだろう。
 向こう1年は近場で大人しくしていようと内心決意する私だったが、困惑しながら私と犯人を窺う周りに気付いて、現実逃避を諦める。胃を押さえながら仕方なしに言葉を続けた。


「あの、それ。辛くないですか?」
「は…」
「随分息苦しそうですけど」
「!?」


 私の問いに何か思い当たる節でもあったのか、男は自分の首元をばっと押さえつけた。ぱくぱくと何かを言いたげに口を動かすも、言葉は出てこない様だ。その間にも少女の手は男の首に、強く強く、絡み付いている。
 男は隣にいる刑事さんを押しのけると、パトカーに飛びつくようにしてサイドミラーを覗き込んだ。そして自分の首に幼い子供の手形が浮かび上がっているのを確認すると、ひいいと情けない悲鳴を上げた。
 悲鳴を上げながら首から何かを引きはがすような動きをして転げまわる男の周りからは、いつの間にか人がいなくなっている。犯人確保してなくていいのとは思うけど、こんな狂ったような様子を見せつけられたら近寄りたくないのも分かるし、何より、自分たちには視えなくとも男のそばにいるかもしれない何かの存在が恐ろしいのだろう。
 同様に、私の周りにも人はいない。


「その子ね。歩美ちゃんが無事にお家に帰れるのに、自分が帰れないこと、すごく怒っています。このままだと多分あなたまずいですよ」
「ひ、ひい、あ、あ、たす、助けて、助けてくれ、頼む、死にたくない、死にたくない!」
「その子も死にたくなかったでしょうねえ」


 涎をまき散らして、泣きわめきながら私に縋ろうとする男から距離を取って、そう呟く。本当、嫌になる。


「早く自分の罪を認めて、彼女を掘り起こしなさい。今夜もそこに埋めるつもりでもう一つ穴を掘ったんでしょう。場所が分からないはずないですね?」




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