よく晴れた、気持ちの良い休日だった。
 その日は起き抜けに二重の虹を見て、珍しいこともあるものだと思いながら買い物に行けばこれまた珍しいことに、視えなくなったのではと思うほどに幽霊のゆの字も視なくて、気まぐれに引いたくじは当たるし、ずっと欲しいと思っていたコートがセールで安く買えた。おまけに帰りがけに買った棒アイスはあたりだし、いつもは私に見向きもしない近所の野良猫が今日は嫌に愛想が良くてたくさん遊んでくれたのだ。
 びっくりするほどにいい日だ。なんてついている日なのだろう。これであとは安室さんにでもばったり会えたら、もう何も言うことはない。
 なんて、そんなことを考えながらご機嫌に家への帰り道を歩いていると、ふと目の前を見覚えのある小さな影が横切った。そのまま薄暗い路地のほうに消えていく後ろ姿に、どうしたのだろうと思って、気まぐれにその後を追いかけてみる。
 普段の私ならば間違いなくそんなことはしないだろう。でも今日の私はとってもついているのである。だから彼の後を追ったところで多分何ともないだろう。ラッキーなことが立て続けに起きたものだから、調子に乗っていたのだ。

 路地に入って少し行ったところに、彼はいた。ひとりかと思いきや、隣には見覚えのないニット帽をかぶった背の高い男性もいる。親子には見えない。友達、という訳でもなさそうだけれど。
 シチュエーションだけ見れば事案もののように思う。しかし二人の間にはお金のやり取りも怪しげな会話はなく、触れ合う事もしていない。それどころか、共通した重たい空気が二人の間には漂っている。何かあったのかなと思うには十分だった。
 そんな二人はとある一点を見つめて、何かを考え込んでいるようだ。私はあまりそこを視たくないので目を逸らすけれど、コナンくんはよく事件に巻き込まれる様だし、ここは何かの現場だったり、手がかりがあったりするのかもしれない。それならば邪魔をするのも気が引ける、と普段の私ならば見なかったことにするだろう。しかし、今日の私は一味違った。


「コナン君、何してるの?」


 再度言いたいが、普段の私ならばこんな重たい空気の中、こんな空気の読めないことは言わないし、そもそも自分から関わろうだなんて思わないだろう。だけど、こちらも再度繰り返すが、私は調子に乗っていたのである。だからこの重苦しい空間で、平然と、軽い口調でそう言った。
 驚いたことに私に気付いていなかったらしい二人は、私の呼びかけにすごい勢いでばっとこちらへと振り返った。そのあまりの勢いに目を瞬かせる。何故そんな反応をされたのか。やはり何かの捜査か、それともまさか怪しげな取引?
 やっぱり事案だったんじゃない、とは思いつつ、しかしふと、その二人の向こうに見えた人影にそんなことはどうでもよくなる。
 私は自分でも分かるほどぱっと顔を明るくすると、コナン君たちの向こうにいた彼に向かって呼びかけた。


「安室さんっ!」


 コナン君たちが目を見開いたのをしり目に、私は安室さんの方へと寄ろうとする。けれど路地は随分と狭く、コナン君はともかくニット帽の彼が横へずれてくれないと向こう側へ行くには少しばかりきつそうだ。
 退いてほしくて彼を見上げる。彼は酷く難しそうな顔で私を見下ろしていて、それにむっとして、私は無理やり彼を押しのけた。安室さんへと小走りで駆け寄ると、こんにちはといつもの様にそう挨拶した。
 いつも通りの筈なのに、安室さんも私を見て随分と驚いていたようだった。私が安室さんの傍にきていつものようににこにこと笑うのを、何か言いたげに見て、しかし何も言わずに苦笑する。それから何故だか、酷く可哀想なものを見るような目で、私のことを見るのだ。
 どうしてそんな顔をされたのか分からなくて首を傾げれば、なんでもないと首を振られた。


「それにしても、お久しぶりですね!最近ポアロで見ないから、寂しかったんです。本職が忙しいんですか?それなら寂しいけれど、喜ぶべきですよね。安室さんがすごい探偵さんなんだってみんなが知ってくれるのは嬉しいですし」


 久しぶりに会えたからか、話したいことが沢山あって止まらない。もしかしたら安室さんもここに用事があって、今は私と話している場合ではないのかもしれないと頭の中では分かっているのに、だけどどうしてかしゃべり続けてしまう。多分久しぶりすぎて、頭のねじが外れてしまっているのだろう。安室さんに迷惑をかけるのは嫌なんだけど、だって、安室さんと話したいのだ。
 安室さんはいつものように微笑んでいる。嫌ならば嫌だという人だから、止められないならば構わないのだろう。あのねあのねとまるで子供が親へとしきりに話しかけるように、私は安室さんへと話しかけた。


「名前さん」


 不意に安室さんが私の名前を呼んだ。そんなことさえ嬉しくて、自然と笑顔になってしまう。なんですかと返すと、優しい笑顔を浮かべたまま、安室さんは続けた。


「コナン君に…彼らに伝えてほしいことがあるんだ。とても大切なこと。君にしか頼めない。頼む」
「え?でも、なら今ご自分で………、……。………え?」


 笑顔を浮かべたまま、私は固まる。何か違和感を感じて、安室さんを見上げると、少し悲しそうな顔をされた。ごめんねと、安室さんの形の良い唇が動く。ごめんね?ごめんねって、何がごめんね?安室さんに謝られるようなことをされた覚えなどこれっぽっちもないのに。おかしなことを言う安室さん。やっぱり忙しかったのだろうか。
 そう思いながら、何気なく後ろにいるだろうコナン君たちを振り返った。彼らはやはり、難しそうな顔をして、そこに立っている。そして、あれ。どうして。
 私のことを、おかしなものでも見るみたいに、見ている?
 ああでも少し、悲しそうでも、あるかもしれない。だけど、何故?どうしてそんな顔をして私を見るの?安室さんも、コナン君も。

 彼らが先ほど見下ろしていた辺りに、自然と視線が落ちる。あそこに不自然につく、何かの痕。赤い、あと。べったりと壁に、地面に、こびり付いているあれは、あれは。
 あれが何かなんて言われなくても分かっている。だって私は、きっと普通の人よりもずっと、あれを見慣れているもの。きっと私にしか視えていないそれ。あれは、ううん。だけど、でも、だって。まさか。そんな。
 あり得ない考えが頭に浮かんで、思わずばっと、先ほどのコナン君たちに負けないくらいの勢いで、安室さんに向き直る。安室さんは何も言わずに私を見ている。
 その微笑みの浮かぶ顔へと、震える手をそっと伸ばした。だってそう、そうよ、ある筈ないの。そんなことある筈がない。
 だって安室さんは神様だ。神様なのだ。

 けれど、私の手は安室さんの頬をすっとすり抜ける。何度やっても、私の手には何も触れない。見た目には確かに触れている筈なのに、安室さんの温度を感じない。何も、感じない。
 それは、どうして?
 思わず安室さんを見上げた。やはり安室さんは、かなしげにわらったまま。わたしを、みて、ほほえんだまま。
 私の顔から、張り付いていた笑みが消える。自然と、絶望に染まった声が出た。ああ、ああ、そんなことがあっていいはずないのに。


「安室さん、死んじゃったの?」





 ぴぴぴぴという目覚ましの大きな音で目を覚ます。ぱちりと目を開けると見慣れた天井が目の前に広がっていた。どくどくと高鳴る心臓に手を当てながら身体を起こす。たったそれだけのことをしただけで、自然と深いため息が零れた。
 なんだか、酷く不快な夢を見ていた気がする。内容は忘れてしまったけれど、楽しくなかったことだけは確かだ。じゃなければこんなに、こんな気分にはならない。気持ちが悪い。
 汗が酷かった。全身まるで雨に降られたかのようにびしょ濡れだ。これは一度シャワーを浴びたほうがいいかもしれない。なんだか今日はろくなことが起きそうにないなと思った。
 憂鬱な気分になりながら立ち上がり、ベットの傍のカーテンを開けた。瞬間、部屋に光が入ってぱっと明るくなる。それに目を細めながら、窓の外へと目をやった。


「あ、虹」


 しかも二重。珍しいこともあるものだ。



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