「犯人はあなたじゃ」


 な、なんだってー!
 私が少年少女たちと一緒に喋って気分を落ち着かせている間に、なんと驚いたことにおじいさんこと阿笠さんが犯人を見つけてしまったらしい。すごい。自信満々に犯人の名を告げるその姿はまるで推理小説に出てくる探偵さんみたいだ。
 華麗に推理を繰り広げる阿笠さんを、私は暫くぽかんと眺めていたのだけど、やがて胸の中に広がる安堵にじわじわ気が緩んでいく。私が犯人だって言われていないことに安心して、ようやく心からほっとした。
 何も悪い事はしていないのだし、大丈夫だと眼鏡の少年に言われはしたものの、やはり真犯人が分かるまでは気が抜けなかったのだ。だってとんでもなく挙動不審になっていた自覚はある。うっかり逮捕されなくて本当に良かった。

 びしっと真っ直ぐに伸ばされた阿笠さんの指の先には、小太りの男がいた。なんでも阿笠さんの推理によると、あの人が今回の事件の犯人らしい。大人しそうな顔をしているのに、人は見かけによらないものだ。
 男は犯人だと言われたことに怒ったのか、さっきまでと態度をがらりと変えて言い掛かりを付けるなと大きな声で喚いていたけれど、阿笠さんの言葉でどんどん口数が少なくなっていった。ぐうの音も出ないほどに論破されていくその姿は無様の一言に尽きる。
 素直に認めてしまえばいいのに、言い逃れようとする男はみっともなくて情けなかった。そんな顔で慌てるくらいならば、最初から罪など侵さなければいいのに。私は男の罪が暴かれていくのを見ながらぼんやりとそう思った。
 しかし、見事な推理を披露した阿笠さんは一体何者なのだろう。只者ではない感じがする。もしかして本当に探偵さんなのではと思いながら阿笠さんの言葉を聞いていれば、極めつけに犯行の証拠を突きつけられて、男がついにがっくり肩を落とした。
 彼は一体何をがっくりしているのか。がっくりしたいのはこちらである。まったく迷惑な人だ。

 けれどこれで事件は解決。歩美ちゃんも結果的には無事だったし、あの人は逮捕されるようだし、もう怖いことはなんにもない。よかったよかったと一息ついた。
 本当に、一時はどうなることかと思ったけれど。もうこういうことに巻き込まれないといいなあ。こんなのに巻き込まれるのは1度っきりで充分だ。
 今回のことで私はこういうのに弱いっていうのがよく分かった。焦るし、怖いし。警察にも益々苦手意識が出来てしまった。街を守ってくれる頼りになる人たちなのは、分かるんだけど。
 だけどそれにしたってさっきまでの自分の慌てようを思い返すと恥ずかしかった。でもまあ、旅の恥はかき捨てだ。むしろああして恥をかいたのが旅先で良かったと思っておくべきなのだろう。


「犯人、捕まってよかったね!」
「ですね!」
「姉ちゃんももう安心だぞ!良かったな!」


 そう言って私の隣できゃっきゃしている子供たちには、随分お世話になってしまったなあ。青い顔をしている私に話を振って気を紛らわせてくれたおかげで、阿笠さんが犯人を見つけるまでの間、事件のことをあまり考えなくて済んだから。
 連れてきてくれた眼鏡の少年にも、1番沢山話してくれた歩美ちゃんにも感謝してもしたりない。あとで売店で何かお礼に買ってあげようと心に決めながら、にこにこしながら私の手を握る歩美ちゃんへと視線を落として、けれど反射的に逸らす。おっと〜今何かとんでもないもんが視えた気が。
 お姉さん?と不思議そうな声を上げられて、不自然を感じさせたことを認識するも、けれどちょっと待ってほしい。ええっと。ごめんね、お姉さん、ちょっと冷静になるから少しだけ待ってね。

 私を見上げる歩美ちゃんの視線。それに混じってもうひとつ。

 状況を把握するにつれてさっきまでとは違う種類の恐怖が私の中へと湧き上がってきた。血の気が引いていって、じわじわと足元から冷たくなっていく感覚がする。折角良くなった体調が、一気にズドンとどん底まで突き落とされたようだった。事件解決で一件落着じゃないのかよ。
 いや、でも、もしかしたら見間違いかもしれないし。気のせいかもしれないし。今疲れてるから、幻覚を見たのかもしれないし。今まで幻覚なんて見たことないけど、可能性はゼロじゃないと思うし。
 自分にそう言い聞かせながら遠のきかける意識をなんとか保って、気付かれないようにもう一度、歩美ちゃんの方を見てみる。視線が交わる前にそっと目を逸らした。

 駄目だわいるわ〜〜〜めっちゃいるわ〜〜〜どう足掻いても幻覚じゃないし気のせいでもなかった。しっかりくっきり、もうこの世のものではない少女の姿が見える。さっきまでは確かに犯人の背中でしくしくと泣いていた筈なのに。

 少女は歩美ちゃんの首に絡みつくようにして、彼女の背後に立っていた。
 今はまだ触れているだけだけれど、その手は今にも歩美ちゃんの細い首をへし折ろうとしているようにも見える。そこにあるのは間違いなく悪意だ。微かに重くなった空気にぞっとした。
 正直逃げたい。こりゃまずいと私の勘と今までの経験が言っている。まだ辛うじて悪霊とは言えない程度だけど、悪意は確かにあるのだ。このままでは歩美ちゃんに危害が及ぶ可能性があるし、そうなると近くにいる私も巻き込まれないとも限らない。
 どくどくと高鳴る心音を無視して、焦る気持ちをどうにか抑える。幸い場数だけは踏んでいるのだ。自分が安全に逃げる術は、知っている。

 私は少女と目を合わせないように注意しながら、こっそりと少女の様子を窺った。濁った目でぶつぶつと呟く少女は死んでいるからか顔色は悪く、首にはくっきりと手形がついている。恐らくあれが死んだ原因だ。だから首に執拗に絡んでいるのだろう。大抵幽霊の悪意ある行動は、その死因に強く影響されるようだから。
 何故歩美ちゃんの後ろにと思うも、嫌でもはっきり聞こえる少女の声が、考える前にそこにいる理由を私に伝えてくる。呼吸を必要としていないためか絶え間なく呟かれるそれは内容も相まって気味が悪かった。
 痛む頭でどうしよう、と再び思った。


「名前お姉さん…?」
『帰りたい。わたしも帰りたい。この子だけ帰るの?ずるい。ずるい。ずるい。わたしも帰して。帰りたい。ずるい。帰りたい』
「……ああ、ごめんね。なんでもないよ」


 心配そうに私の服の裾を軽く引っ張った歩美ちゃんにはっとして、苦笑しながら誤魔化した。相手が子供だとはいえ、様子が可笑しいのはとっくにバレている。これ以上変に思われる前に早くどうにかしなくては。焦る心をぐっと堪えて頭を回転させる。

 今のあの少女の中には恐らく、あの男への憎悪と、助かった歩美ちゃんへの嫉妬が渦巻いている。あれがどんどん大きくなって、やがて本人にもどうしようも出来ないほどになった時、泣いているだけの善良な浮遊霊から禍々しい悪意に満ちた悪霊になるのだ。
 生きている人間と違って魂だけの存在になった幽霊という存在は素直だ。金も名誉も誰かとの繋がりも、何もない彼ら。何も持たない分、まっすぐに感情を伝えてくる。
 壊れたカセットテープのように同じことを何度も呟く少女が、何を求めているのかなど明白だった。少女が悪霊になるのを防ぎたくば、その願いを叶えてやればいい。
 つまり、この状況をどうにかしたいのなら、少女を家へと帰してやるのが手っ取り早いということだ。
 悲しい子だなと思った。憎しみと嫉妬に飲み込まれそうになって、けれど依然その望みは己の身を家へと戻すことにある。
 誰かを害したいわけではないのだろう。相手が犯人だとてそれは恐らく同じなのだ。だから今まで犯人は無事だった。きっと生前は大層心優しい少女だったのだろう。素直に恨んでしまった方がずっと楽だろうに。

 少女を帰してあげること自体は、きっとどうにかすれば無理なことではないはずだ。家に帰すだけなのだからそう難しいことではない。
 けれど、どうしたって躊躇してしまう。
 だって彼女の望みを叶えることは、つまり私が隠したい秘密がばれることにも繋がる。それは私にとって何よりも恐ろしいことだった。
 どうにか幽霊のことを隠して知らせることも可能だろうが、けれどそれだと私が疑われるかもしれない。それだけは本当に何があっても避けたかった。私は私が大切なのだ。私にとって良くないことはできる限りしたくない。
 だが願いを叶えられなければ彼女が悪霊になってしまうことは目に見えて明らか。きっとあの子は歩美ちゃんを害するのだろう。首に絡められた手はどう見たって穏やかじゃない。間違いなく呪うつもりだ。
 どうしよう。……どうしよう。

 私は確かに幽霊を視ることはできるけれど、それだけしかできない。触ることもお祓いすることも、私にはできないのだ。
 話の通じる幽霊ならばともかく、悪霊に会ったら逃げるの一手だ。だって下手なことをすれば被害を被るのは私なのだ。冗談じゃない。
 こんなの普通なら見ないふりする。だって怖いし、できることも少ないし、色々あって疲れたし。そもそも私、関係ないし。
 確かに幽霊の求める事はわかってるよ。でも、それ、私が叶えることなの?

 だけど、歩美ちゃんなのだ。狙われているのは。
 挙動不審になっておろおろする情けない私を心配してくれた、心優しい子供たちのひとり。
 一人で、アリバイがないから犯人になってしまうかもしれなくて、本当に不安だった。それを和らげてくれた、優しい子。今だって会って間もない私を本気で心配してくれている。
 そんな子に向かう悪意を、他でもない私が、見ないふりしていいはずが、なかった。
 だって、私にしか。私にしか、この二人の少女を助けてあげられない。
 それに、そう、今は旅先。この子達だって所詮、もうこの先会うこともない他人。
 なんとかした過程で、例えば幽霊が視えることがバレたとしても、なんにも痛くも痒くもない。だってもう会わないのだから、その先どう思われようと、きっと平気。一時の我慢でみんな幸せならそれでいいじゃない。旅の恥はかき捨て、なんだから。
 大丈夫。大丈夫。できる。…できる。
 ゆっくりと深呼吸する。覚悟を、決めなければ。ぎゅっと拳を握ると、私は歩美ちゃんの手を自分の手からそっと剥がした。


『ずるいずるいずるいずるい。帰りたい』
「……帰してあげる」


 その子の目を見てそう言うと、ぴたりと声が止んだ。濁った眼をした彼女が私をじっと見上げている。言葉はまだ、通じるようだった。素人目だし判定は物凄く微妙だけど、恐らく悪霊にはなっていない。少女は少女のままだ。
 じっと私を注視する少女に聞こえるようにおいでと小さい声で呟くと、少女は歩美ちゃんの背後からすうっと消えていなくなった。


「名前お姉さん、どうしたの?」
「また顔色悪くなってますよ!大丈夫ですか?」
「腹減ったのか?」
「…無理しないでもう休んだ方がいいんじゃない」
「ううん…ちょっと、刑事さんたちに伝えないといけないことがあるから、行ってくるね。みんな本当にありがとう。もう遅いから、みんなも早く寝るんだよ」


 心配そうな顔で私を囲む子供たちの頭をそれぞれ撫でて、それから小走りで部屋を出る。ちらりと後ろを見ると、少女はしっかりと私に憑いてきているようだった。



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