たたたと一気に階段を上る。些か急ではあるものの、そう多くない段数で上り切るのは簡単なはずのそれは、しかし疲れ切った身体にはひたすらきつい。それでも足は止めずに駆け上れば、瞬く間に一番上に着いた。
 乱れた息を軽く整えながら、辺りを見る。どうやらタイミングの良いことに、他に利用している人なんかはいないようだった。
 それに安堵のため息を吐きながら、私は鳥居をくぐって先に進んだ。後ろは振り返らない。ここはもう神様の領域だ。

 今日もまた、私はしつこいのに追われていた。何故だか今日は特に酷くて、それぞれ違うやつに目を付けられて、一日で合計三体から逃げ回る破目になってしまった。おかげで三年分は老けた気がする。先に進む足取りは重い。とても疲れていた。
 どこへ行っても何をしても、見つかってしまうのはどうしてなのだろう。その度にこうして生きるか死ぬかの追いかけっこが始まってしまうのが常で、今日だって例外ではない。
 物心ついた時からこれなのだから、嫌でも慣れてしまっている。ああそうだ、非常に遺憾であるが、こんなのいつものことだ。けれどこう何度も続くと私だって疲れるし、慣れていても落ち込んだ。
 結局私は幽霊から逃げることはできないのだと、思い知らされる。期待も希望ももう何度も打ち砕かれている。今や諦めの気持ちが殆どだった。
 きっと一生続くのだ。このままずっと、私は幽霊から逃げ続けなくてはならないのだろう。生きている限り、ずっと。
 ずしんとお腹の辺りが重くなったような気がした。この憂鬱を少しでも晴らしたくて息を吐きだすが、ちっとも楽になりやしない。未だ腹の中に何かが留まり、身体の内側で燻っているように思えてならなかった。それにまた気分が落ち込む。どうしようもなく、苦しい。

 朝からずっと逃げ回って、今はもう夕方になっていた。辺りは黄昏時の薄暗い空気に包まれている。朝来れば社の傍に堂々と立つ立派な御神木の葉の間から落ちる木漏れ日が境内を優しく照らすそこは、時間帯のせいか今はそこはかとなく妖しげに見えた。
 視えない人にとってはきっと不気味に見えるだろう。ホラー映画や怪談にでも出てきそうな、重い雰囲気を持っていた。
 それでも私はどこよりも清浄なこの場所を怖いとは思わない。私にとってはここより余程、その辺の道や建物の方が恐ろしかった。

 私はへろへろになった足をどうにか動かして参道を進み、御手洗で手を清めてから拝殿の前へ行くと鈴を鳴らした。それから二礼二拍一礼を済ませて神様へとご挨拶する。今日も護ってくださってありがとうございました、と。
 神様が願い事を叶えてくれないことは良く知っている。願いどころか、この感謝の気持ちすら届いているか分からない。私がしていることはひょっとしたら、無駄なことなのかもしれない。
 しかしここを逃げ場所にさせてもらっている以上、信仰も参拝も義務だと私は思っている。人の信仰が神様の力を強めると聞いたこともあった。巡り巡って自分の為になるのならばこのくらいのことは惜しまずやる。
 それ以上に神様への感謝の気持ちが強いから、こうして拝むことが手間だとも思わないのだけれど。
 もう見慣れてしまった拝殿を見上げる。私の逃げ場所。いつだって変わらずにここにあり、私を受け入れてくれるこの場所は、私にとってどこよりも安心できる所だ。


「随分熱心にお参りするんだね」
「え?あ……コナン君」
「こんにちは名前さん」
「…こんにちは」


 どうせ誰もいないからとそのまま拝殿前に立っていたら、ふいに後ろから声を掛けられた。驚いて振り向くと、なんとすぐ近くににこりと微笑むコナン君がいる。疲れてぼんやりしていたとはいえ、気配にまったく気付かなかったことに戦慄しながらも、てこてこ近寄ってくるコナン君と目線を合わせるために屈んだ。
 コナン君は私の前にくるとやはりにこにことご機嫌に笑った。手にはサッカーボールを抱えている。もしかしたらどこかで遊んでいたのかもしれない。時間的に家に帰るところだったのだろうか。寄り道するなんて悪い子だなあと洩らせば、コナン君はえへへと可愛らしくごまかした。これに関してはまったく反省していないようだ。いい性格をしている。


「名前さんが階段上ってくのが見えたから、ついてきちゃった」
「そっかそっか〜」
「この神社、よく来るの?」
「…まあ、わりと来るかな」
「へえ〜」


 コナン君は拝殿を見上げると、私に倣うように手を合わせた。しかし形式だけだったようで、すぐに手を下ろすと私の方へと向き直る。そうして首を傾げながら口を開いた。


「名前さん、ここに来る途中凄い勢いで走ってたけど、また誰かに追いかけられたの?」
「………。ううん。コナン君にはまだ早いかもしれないけど、大人になるとね、無性に大声で叫びたくなったり、突然走り出したくなったりするもんなんだよ」
「……嘘だあ」
「ほんとほんと」


 鋭い子だなと思いながらも適当に答えると、コナン君はじとりと私を睨み付けた。それににっこりと笑顔で答えると、拝殿前の階段に腰かける。コナン君も、私から人一人分空けた位置に腰を下ろした。近いようで遠い、絶妙な距離感である。人との距離のとり方が随分と達者な子だ。


「ねえ、名前さん」
「ん?」


 コナン君は私の名前を呼ぶと、何かを言いたげに口をもごもごと動かした。しかし肝心の言葉は何も出てこないようで、彼にしては珍しく目線を彷徨わせている。なんでもない顔でそれを眺めながらも、私はそんな外面とは裏腹に内心では酷く緊張していた。
 この子は近頃、会う度に何か言いかけては口を閉じることが多い。それが何なのかなんて私にはさっぱり分からない。分からないが、できるならその先の言葉は聞きたくないなと思う。ここまで言い淀むのだから、どうせろくなことではない。少なくとも、楽しい話題であるはずがなかった。
 我ながら日常生活が他の人よりも不審な自覚はあるのだ。もしかしたら。もしかしたら、何か勘付かれているかもしれない。そう考えただけで、背筋に冷たいものが走る。それは私にとって何よりも、恐ろしいことに他ならない。

 分かっているのだ。相手はまだ小学生で、そんな彼が何を言ったところで痛くもかゆくもないことは。分かっている。子供の言う非現実的なことなんて、どうせ話半分に聞かれるのがいいところで、きっと誰も本当の話だとは思わないに違いない。
 彼から私のことについて噂が広がることは、殆どないと思う。恐ろしいものを見る目で見られることも、ひそひそと決して小さくない声で何か言われることも、多分ないだろう。
 けれどそんなことは大した問題ではない。
 知られたくないのだ、誰にも。私以外の誰にも、その事実を知ってほしくない。相手が小学生だろうが、老い先短い老人だろうが変わらない。
 知られたくない。誰かがそれを知っているということ自体が、私にとっての恐怖なのである。

 コナン君が年相応にクソガキならば。もっと馬鹿丸出しの子供だったならば。そう思わずにはいられない。
 きっと普通の子供ならば、変なお姉さん。で終わるのだ。今までの経験上、みんなそうだった。ある程度育ってしまうとそれが恐怖や疑心に変わるけれど、彼くらいの年だとそう多くのことに気づきはしない。結局は自分が蒔いた種ではあるが、それでもコナン君がもっと、子供らしければあるいはこんな風に怯えることもなかっただろうに。
 しかし残念ながらコナン君は、私が会った子供の中で一番、子供らしくなくて頭のいいクソガキだった。彼が関わってきた事件の話を聞いて、実際に彼と接してきて。本当の意味で頭がいい子だと、私は知っている。そんな彼だから、些細なことからでも何かに気付いてしまうのではと、恐怖せずにはいられない。
 そもそもコナン君とはまず出会いがまずかった。旅先だからと軽率な行動をとって、その後も何度か逃げている時に限ってコナン君と遭遇している。嫌に勘の良いこの子に何かを勘付かせてしまうには十分過ぎる気がした。

 きゅうと胃が縮こまって痛みを訴えた。ずきずきと痛むそこにそっと手を当ててやり過ごす。
 そういえば朝軽く食べたっきり何も食べていないし、飲み物も口にしていないことを思い出した。けれど今はとてもじゃないが食べる気にはなれなさそうだ。

 もしも、コナン君が。私の隠したいことに気付いて、それを口に出してしまったならば。その時はもう、ここにはいられないだろうなと思った。いつ爆発するとも知れない爆弾の近くで生活を続けるだなんてまっぴらごめんだ。
 もう二度と会ってしまわないように、逃げなくてはならない。そうしないと、私はきっと生きていけない。
 ここはそれなりに気に入っていたのだけど、残念だ。また引っ越しかあ、と思うと切ない気分になる。
 やはり私は逃げるしかないのだ。幽霊からも、生きている人間からも。


「……。やっぱり何でもない。呼んだだけ〜!」
「なになに、すぐに別れるカップルごっこ?いいよ、私得意」
「何それ」


 コナン君は今日も、何も言わなかった。
 それに心底安堵すると、しかしそれを悟られないように茶化した。コナン君はそれに乗っては来なかったものの、もう先程の話を続けるつもりがないのは明らかで、私にはそれで十分だった。



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