哀ちゃんは読書好きのインテリ系少女だったようです。私が課題に使えそうな文献を必死こいて探している隣で、どこから持ってきたのか分厚くて小難しいことが書かれている本をそれはもう優雅に読んでいらっしゃった。
 え?それ内容ちゃんと理解して読んでるの?ポーズだけじゃなくて?誰だよこんな小さい子に図書館は早いとか言ったの。いやごめんて。
 本当に内容を理解しているのかは定かではないが、少なくとも私の目には哀ちゃんは十分にこの状況を楽しんでいるように見えた。大したものだとつい感心する。子供じゃ図書館は楽しめないという認識は早急に改める必要があるようだ。どうやら私は小学一年生の可能性を侮りすぎていたらしい。子供のポテンシャルはくそ高い、お姉さん覚えた。

 しかし、それにしても。静かに本に視線を落とす哀ちゃんの雰囲気は随分と大人びていて、とてもじゃないが小学一年生の少女には見えなかった。歩美ちゃんと一緒にいる時はそれなりに子供らしいとは思ったものの、それでも同じ年頃の子供だという印象はあまり受けなかった様に思う。
 だけどよくよく考えてみればコナン君もそういう感じだし、過去数度しか見た覚えはないが、一緒にいたコナン君と哀ちゃんは同級生という感じがしていた気がする。やっぱり私が知らないだけで、最近の小学生は昔より色んな面で成長が早いのかもしれない。
 それでもこの落ち着きはやっぱり小学生には見えないし、凄いと思う。私がこれくらいの時はどうだったっけ。あまり覚えてはいないけれど、ここまで落ち着いてはいなかったと思う。というか多分人生で一番不安定だった頃だ。少なくとも傍から見て可愛いと思われるような子供ではなかっただろうな。何もいないところを見て話し、怯え、泣く子供が、可愛いはずがない。

 しんとした図書館に、時折ページを捲る音だけが響いていた。微かに呼吸の音も聞こえる。誰にも脅かされない静かで厳格な空間は、余計なことを考えさせる。
 よくないな、と首を振って頭の中を入れ替えた。課題に集中しなくては。ついでにここでレポートを書き始めてしまおう。

 絶え間なく動かしていた手を止めて、時計を確認する。ここに来て大体三時間程度だろうか。大まかなレポートの下書きは終えたし、後の肉付けは家に帰ってからで十分だろう。下を向き続けて凝り固まった首と肩をぐぐぐと伸ばすと骨が鳴る音がした。
 そういえば哀ちゃんのことをすっかり放っておいてしまったけれど、大丈夫だっただろうか。うっかり忘れかけていた存在のことを思い出して慌てて横を見ると、なんと三時間前と変わらない光景が広がっていた。その手に持つ本だけが変わっている。
 状況から察するに、どうやら彼女もずっと読書に勤しんでいたようだ。それに安堵すると同時にやっぱり関心してしまった。私だったらこんな状況早々に飽きるだろう。一緒にいる相手に話しかけたりするかもしれないし、別のところに行きたいと言うかもしれない。
 なのに哀ちゃんは放っておかれても文句の一つも吐かないし、駄々をこねることもなかった。ただただ一定のペースでページを捲り続けるだけだ。なんて賢い小学生なんだろう。ご両親もこんなご息女で鼻高々だろうな。そんなことを考えながら、私は哀ちゃんへと声を掛けた。


「哀ちゃん」
「何?」
「そろそろ出ようか。お昼食べよう」


 どうやらレポートに集中しすぎてしまったようで、もうすっかり昼を過ぎていた。遅くはなってしまったが、そろそろ昼食をとるべきだろう。私はともかくとして、哀ちゃんの昼を抜くわけにはいかない。仮にも小学生だ。
 そもそも哀ちゃんが親御さんに連絡を入れた時に、お昼ご飯も一緒にとお願いされていたりする。どうやら親御さんも日中は出掛けていて、夕方まで哀ちゃんひとりらしい。だから快諾したのだったけど。失敗したなあと頭をかいた。
 まあでも今からなら昼のピークが丁度終わって人が捌けてくる頃だろうし、丁度よかったかもしれない。手早く荷物をまとめて立ち上がる。哀ちゃんが読み終った本をラックに戻して、忘れものがないことを確認してからその場を後にした。

 二人で入ったカフェでは窓側の席に案内された。相変わらずの曇天ではあるものの、ちらほらと咲いている花が鮮やかに窓の外の景色を彩っている。昼のピークを終えた店内にはゆったりとした空気が流れていて、壁際や入口付近にいる幽霊さえ気にしなければ、落ち着いていて居心地がよかった。哀ちゃんもそう感じているのか、心なしか表情が穏やかに見える。私にもこの数時間で随分と慣れたようで、リラックスしているように思えた。
 店員さんにそれぞれ好きなものを注文し終えると、各々好き勝手にやりはじめた。私はスマホを弄り、哀ちゃんは先程図書館で借りてきた本の続きを読みはじめる。本当は生徒以外が本を持ちだすのは良くないのだが、哀ちゃんなら本を破いたり駄目にしたりすることもないだろうと私の名前で借りたのだ。後日読み終ったら私が返却する予定である。
 食事を終えて店を出るまで、特にこれといった会話はなかった。思えば子供相手に随分雑な対応をしてしまっている気がするが、私としては無駄に気を遣わなかった分楽で、非常に過ごしやすかったと思う。この子の子供らしからぬ雰囲気のせいもあるかもしれない。なんて、言い訳だけど。次の機会があったらもう少し、こう、どうにかしようと心に決めた。

 清算を済ませて、哀ちゃんと並んで歩く。時計の針は16時過ぎを差していた。哀ちゃんの門限は聞いていないが、大抵の小学生の門限に引っ掛からずに家に着くくらいの時間だろう。
 本当ならば家の近くまで送らなくてはならないのだろうが、哀ちゃんの家の隣にはやばい物件がそびえ立っているのでそれはちょっと勘弁願いたい。それとなく伝えると、彼女もわざわざ送らなくていいと言ってくれたので、それに甘えることにする。
 なんというか全体的に不甲斐無いお姉さんでごめんねって感じだ。それでも哀ちゃんはうっすらと微笑みを浮かべて私を見上げた。


「今日はどうもありがとう。楽しかったわ」
「なら良かった。私何もしてないけど」
「また連れて行ってほしいくらい」
「ああ、いいよ。哀ちゃん騒がないでお利口さんにしてられたし」
「……子ども扱いはやめてくれる?」


 別れ際にそう言ってくれたことに内心でほっとしつつ、哀ちゃんの頭を撫でる。しかしやはりそれは気に食わないようで、すぐに手を払われてしまったが。
 それから連絡先を交換するために、お互いスマホを取り出す。今までのことを考えると、本の返却期間内にまたばったり会える確率は低い。歩きながら読み終ったら連絡してくれという話をしていたのだが、タイミングが悪くこんなぎりぎりになってしまった。まあ忘れていないだけましだろう。
 哀ちゃんは図書館にいたからか、律儀にスマホの電源を切っていたようだった。起動が終わるのを手持ち無沙汰に待っていると、立ち上がったと同時にブーブーとスマホが元気に唸りだして、哀ちゃんが一瞬びくりと肩を揺らす。タイミングの悪い着信に驚いたらしい。
 視線でこちらを窺ってくる哀ちゃんにどうぞと一声かけると、哀ちゃんは軽く断りを入れて通話ボタンを押した。いや本当良くできた子である。


「無事か灰原!」


 哀ちゃんにもしもしと言う隙すら与えずにスマホから響いた大声に、驚いてうわと声を漏らす。一体何事だと視線を向ければ、口元を引きつらせている哀ちゃんの姿が目に入った。耳の真横であれだけの大声を出されたせいで、一気に機嫌が降下したようだ。


「ちょっ…と、何よ江戸川君!大きな声出して!」
「お前…っどこ行ってたんだ!?なんともないか!?」


 江戸川、ということはコナン君だろうか。普段コナン君と呼ぶから定かではないが、確か彼はそんな苗字だった気がする。
 もともと彼らは一緒に旅行に行くくらいに仲の良い友達なのだろうし、電話があること自体は珍しいことでもないのだろう。ただ、電話先のコナン君は随分と焦っているようで、その内容もあって哀ちゃんは段々と不安そうな表情になっていった。
 私はと言えば、子供とはいえこうして他人の電話を盗み聞きしていることに居心地の悪さを感じつつ、しかし連絡先の交換が済んでいないためここに留まるしかできずにいた。せめてあまり聞かないようにと少し哀ちゃんから距離をとってはみたが、コナン君の声が馬鹿でかいのであまり意味はないように感じる。しかし向こうも哀ちゃんの無事を確認できたからか、徐々に音量が普通に戻っているようだ。しばらくすれば哀ちゃんの声だけしか聞こえなくなった。
 ところで無事かとは一体どういうことだろう。哀ちゃんが連絡を入れていないならまだしも、彼女は私の目の前でお家の人に連絡を取っていた。きちんと確認したのでそれは間違いないはずなのだが、なんでそれが無事か無事じゃないかみたいな話に繋がるのか。まさか本当に誘拐犯に間違われるはずはない。ないよな…?


「は?強盗?うちに!?」


 一人どきどきしながら哀ちゃんが通話を終えるのを待っていると、哀ちゃんの悲鳴じみた声が聞こえてきてついそちらを見る。哀ちゃんは顔を真っ青にして、震えながら電話先のコナン君の話を聞いているようだった。
 これはどうにも穏やかではない。悠長に連絡先の交換をしている場合でもなさそうだと思った私は、鞄の中からメモとペンを取り出して自分の電話番号とメールアドレスを書きだしていく。
 書き終えたものを適当に折りたたんで、お話し中の哀ちゃんの肩を叩いた。振り返った彼女にメモを握らせて、早く行きなと身振り手振りで伝えると、彼女はそれにはっとして、こくこくと何度か頷くと家に向かって駆けだした。
 あの状態のあの子を一人で帰すのは少し不安だったし、真っ当な人間ならばこの状況で小学一年生の女の子だけで行かせないということは分かっていたが、私は彼女の後を追わなかった。
 何があったのか詳しいことは分からないが、コナン君がいるなら多分平気だろう。部外者が割って入るよりは友達と一緒にいる方が彼女も安心できるはずだし、そもそも私ができることなど何もなさそうだ。何より、自分本位であるが、やっぱりあの家には近寄りたくないのだ。

 あっという間に小さくなっていく背中を見送ってから、私は踵を返す。慣れた道を一人ですたすたと歩きながら、内心では成程なと納得していた。
 多分、だからあの時哀ちゃんを家に帰したくなかったのだ、彼女は。
 いいなあ、と思う。安室さんほどではないけれど、哀ちゃんのそれも十分優秀なセコムだ。いいなあ、再び思う。私にもセコムついてればいいのに。
 そんな無い物ねだりをしながら、私は家路を辿る。何故だか酷く寂しかった。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -