たまになんとなく、特に理由もないのに何かが気になることはないだろうか。
 例えばお風呂に入っている時、後ろが気になったり。例えばトイレの鏡を覗き込んでて、自分が写っているところと関係ない場所に自然と目が行ったり。例えば暗い夜道、視界の端に何か影のようなものがいたような気がしたり。
 多くの人はそれを気のせいで済ませてしまうけれど、人間の第六感というのは案外優れているもので、その気のせいは実は気のせいでないことが多い。彼らはそれを確認する術を持たないから、彼らにとっては結局のところ気のせいになってしまうのだが。
 しかし大抵の場合において、自分でも何故か分からないけど気になるところ、そこには幽霊がいる。何かいる気がする、は気のせいではないのだ。
 いつでもどこにでも存在する幽霊。彼らがいない場所というのは酷く限られていて、どこへ行っても少なくとも一人は必ず近くにいると思ってくれていい。
 墓にも道端にも学校にも会社にも家にも、大体いる。悲しいくらいにいる。売れないホラー映画や小説なんかの最後によく言われる「あなたの隣にも…」は概ね間違っていない。大体の人の隣には誰かしらいる。誰に言っても信じてもらえないだろうから言わないけれど、本気でびっくりするくらいいるのだ。私の目に映る景色の人口密度は大概やばいことになっている。物心ついた時にはすでにこんな有様だったから、今更なんとも思わないけれど。

 しかし、この世で幽霊の様な存在が入れない場所というのが、僅かにだがあるにはある。それが唯一、神のお膝元。神社やお寺なんかといった、神聖な場所である。
 神が祀られている場所には神と神の認めたものしか存在することが出来ないらしいと知ったのは、もう随分と昔のことだ。昔、一度だけ連れて行ってもらった大きな神社の神主さんが言っていた。
 だからその領域内においては、幽霊や妖怪なんかといったものは殆どいない。稀にその領域内でそれらの姿を視ることもあるけれど、それは神様に認められたものだから、幽霊というよりは神様にお仕えしているものだと思った方がいい。つまりは「良いもの」である。
 神様の力が届く場所。そこは世界で唯一幽霊の干渉を受けない場所だ。
 普段何気なく通る神社もお寺も。色んな文化が混ざり合い、科学や技術が進歩し、神様を信仰する人は昔よりも減ってしまった今だけど、それでもずっとそこは清浄な場所なのだ。

 彼は、神様のいるそこと似ていた。
 清浄で、神聖なそれ。怖いことから守ってくれる、この世で唯一安心できるところ。

 神様が祀られている神聖で清浄な場所は、神様の力でか、大抵光で溢れている。それだけで神様の領域なのだと知ることのできるその景色は、地上でありながら天国だか極楽のようだといつも思う。私の知るこの世で一番美しい場所。神の御座す場所。
 神様の姿を直接見たことはない。
 見たいとは、あまり思わない。多分、私みたいな中途半端に見えるだけの人間がそれを見てしまった日には、強すぎるその存在に目を焼かれてしまうから。しかしきっと、その姿はあの光に相応しく美しいものなのだろうと思っていた。

 だから初めて彼の姿を見たあの時、神様なのではないかと思ったのだ。だって彼の周りをあの清浄な光がうっすらと覆っていたから。
 あの光は神様がいる証のようなもので、神様のいる場所でしか見たことがなかったし、彼の姿が私が思う「きっと神様が人の姿をとったらこんな感じなんだろうな」というイメージにぴったり当てはまってしまったことにも原因がある。
 神様を見たことはない。光の向こうにいるそれが私たちが定義している神様と同じものなのかは分からない。けれど、神々しく清浄で美しいそれを、私は神様だと思っていて。
 それと同じように、彼を見た時に、どうしようもなく神様だと、思ってしまったのだ。

 まあ冷静になって考えれば分かるもので、結局のところ彼はただの、どこにでも居るありふれた人間だったんだけど。
 しかし、では何故ただの人間の彼があれほど清浄な空気に覆われているのかという疑問が出てくる。答えは実に単純で、そこには裏も表もないのだが。
 どうやら彼は、どこぞの位の高い神様から酷く気に入られているらしいのだ。気に入られているというか、もうあれは溺愛と言っていい。あれほど神様が目に掛けている人を見たのは初めてだった。
 彼は、神様に守られている。もの凄く守られている。それこそ心霊現象や不可思議なことには一生遭遇しないレベルで守られている。
 仮に、幽霊が彼に何の気なしに近寄れば、恐らく一瞬で消えることになるだろう。それが成仏なのか消滅なのかは私には分かりかねるけど、とにかく問答無用で吹き飛ばす力があった。悪霊だろうが浮遊霊だろうが関係ない。目に入ったものは全員殺すと言わんばかりである。ちょっと過保護が過ぎませんかね。そのセコム強すぎィ!

 一体どれだけ徳を積めばそこまで気に入られることになるのか。私だって昔から神様のことそれなりに信仰している筈なのに、そんな風に愛されたことないんですけど。正直とても羨ましい。顔か?顔なのか?所詮人間顔だというのか?全く世知辛い世の中だ。
 閑話休題。
 つまるところ、彼はいつでも神社や寺なんかにいるのと同じ状態で、心霊現象的な意味でとにかくめちゃくちゃ安全だということだ。恐らくあのセコムに祓えないものはない。
 よく幽霊に追いかけまわされる身としては羨ましくてたまらなかった。できるならばそのおこぼれにあやかりたいと思うほどだ。こちとら日々幽霊に困らされている身である。この辺りは神社も寺も微妙に離れた位置にあって、逃げるのもなかなか大変なのだ。
 しかし悲しいかな。恐らく私がそのおこぼれをもらうことはそうないだろう。
 だって私が彼のところに逃げ込んだところで、それが彼に害がない場合、彼を守るあれは反応しない可能性が高い。あんなの見たことがないから本当のところがどうなのかは分からないけれど、神社やお寺の光と違って、守っているのは領域ではなく人なのだから。
 大体、彼の持つ加護にあやかりたいと思っても、事故現場で一瞬見掛けただけの男性の傍に、一体全体どう近付けばいいというのか。自然にお知り合える方法がこれっぽっちも思いつかない。
 あれほどのイケメンである。下手に声を掛けようものなら逆ナン扱いを受けるに違いない。そんな身の程知らずになるつもりはないし、というか急に知らない女に話しかけられるなんて恐怖でしかないだろう。怖がらせるのは本意ではない。
 彼がどこぞのどなたなのかすらも知らないし、それ以前に、そもそも私にはとても彼には話しかけられそうになかった。

 だって、神様だと思った相手だ。勘違いでもなんでも、一瞬でも神様のようだと思ったんだぞ。神様相手にそんなに気軽に行けるか?答えは否。恐れ多いにも程があるでしょう。
 彼が普通の人だと、分かってはいる。理性は分かっているのだけど、如何せん本能が彼は神様だと言ってくるし、敬い崇め奉れと訴えてくるのだから仕方ない。気を抜けば手を合わせてしまいそうだし、彼のいる方向に足を向けては寝られないなと思う。話したことどころか、視線が合ったことすらない相手だというのに。
 大袈裟だと思うだろうか。たかが一目見て、彼を包むあの光を目にしただけだ。それだけであの人を崇拝でもしそうな程に崇めようとする私を、可笑しいと、思うだろうか。
 私だってこんなの、我ながら狂ってると思う。どこぞの怪しい宗教団体かと言われても強く反論できないかもしれない。口に出せば間違いなく引かれる案件だ。普通に考えて、一目見ただけで相手を拝むのは頭が可笑しいとしか思えない。よく分かっている。
 けれど一目見ただけで十分な程、それ程までに、私にとってあの光は特別なのだ。

 昔から怖いものに追われた時や、ひとりではどうしようもなくなった時、私はいつも神様のところに逃げ込んでいた。
 誰も私と同じものは視えず、誰も助けてくれない。下手なことをすれば冷たい目で見られるという四面楚歌のなかで、神様のいるところだけが心のよりどころだった。優しいあの輝きだけが、私の味方だった。
 その姿を見たことはない。けれど神様はいつもそこにいた。決して願いを叶えてはくれないけれど、しかしずっと、私を怖いものから助けてくれる存在だった。あの光は私の救いで、それだけが私にとって安心できるものだった。それは、今でも変わらず。
 そして、その光に守られる彼の存在は、私のもう一つの救いになった。神様にあれほど愛され守られる姿は、私の希望となったのだ。
 私は恐れ多くも、彼を見て、夢を見てしまった。私もいつか、あんな風に。人が息をするように、親が子を守るように、当然のことのように、神様に愛してもらえるかもしれないと。もしかしたら、幽霊がいる生活からおさらばできるのかもしれない、と。
 それはこの上なく低い確率で、確証もないような夢物語で、けれどこの途方もない人生の中で、間違いなく希望だった。
 誰も、彼すらも認識していないだろう。だけど霊感なんてものがあったせいではじめからぐちゃぐちゃだったこのくそみたいな人生で、漸く私に希望をくれた、初めての存在。
 そんな人を、どうして敬わずにいられよう。


「……コナン君、あの人の名前知ってるかなあ」


 近付きたいとか、傍にいたいとか。そんなのではなくて、ただ。彼の名が知りたかった。どんな音で、どんな響きをしているのだろう。
 保護者さんが話していたし、コナン君と知り合いの可能性もある。あの人の名前を聞いてみても、許されるだろうか。



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