「ほらよ」
イヌカシが脱いだ衣装を紫苑に手渡す。魔女の衣装だ。
すでにイヌカシはネズミの着ていた吸血鬼の仮装をしていた。
たった今脱ぎ終わった紫苑のドレスはネズミの元へ。着慣れないこともあり、脱ぐのに随分かかってしまった。
受け取った魔女の衣装に袖を通そうとしたとき何かが肌をつうっと撫でる感触に、紫苑は「ひゃっ」と声を上げる。
「あっ、わりぃ」
すぐにイヌカシの謝る声が聞こえた。
「驚かすつもりはなかったんだけどよ、おまえが綺麗な肌してるからつい触りたくなっちまって」
頬をかいて照れくさそうに笑うイヌカシを見れば、嫌とは言えない。
紫苑はイヌカシの指が肌を辿っていくのを、ただじっと動かず好きにさせていた。
あっと息を呑む。
くすぐったさとは違う感覚が芽生えたのは、それが首の痣を撫でた時だった。
明らかに自分の奥底にあるものを揺るがす感覚に、紫苑は身体を捻る。じっとしているとそれを認めざるを得なくなってしまう。それは困る。
今日は楽しいハロウィンパーティー。そして相手はイヌカシ。そんなこと、絶対にあってはならない。
自分が我慢すればそれで済むのだ。だったらおとなしく耐えるしかない。
紫苑はふるふると震えそうになる身体をぎゅっと抱き締める。もう限界は近かった。
ぐいっと腕が引っ張られる。甘い感覚が走りそうになり「あっ」と声を上げた紫苑は、すぐに温かなぬくもりに包まれた。
「何してるんだ、イヌカシ」
紫苑を胸に抱いたネズミがイヌカシをギッと睨みつける。
まるで殺してやるとでも言っているような視線で睨みつけてくるネズミに、イヌカシがわたわたと手を振る。
「違う、誤解だ! おれはただっ」
「言い訳はいい。よくもまあ、人のものにベタベタ触ってくれたな」
イヌカシは蛇に睨まれた蛙状態だ。ビクビクとネズミの顔色を伺う。
「一度しか言わないから、よく聞け。こいつは…紫苑はおれのだ。二度と気安く触るな」
次はない、と凄まれては頷くしかない。
イヌカシは何度も大きく頷くと、逃げるように部屋から出て行った。
「さて、と。次はこっちだな」
イヌカシの後ろ姿を見送ったネズミが、腕の中の紫苑に視線を移す。
「紫苑、大丈夫か」
「…うん、ごめん。もう落ち着いた」
ふぅと息を吐いた紫苑がネズミの肩に額を押しつける。
「あんた、おれにプロポーズしたんじゃなかったっけ? なんでイヌカシなんかに好きに触らせてるの」
「別にそんなつもりは…ただ、イヌカシがぼくの肌を綺麗だって言うから」
「はぁ。あんたが天然で無防備だってことは分かってたけど、まさかこれほどとはな」
「そこまで言うほどのことじゃないと思うけど」
「じゃあ、おれがいなかったらあんたどうなってたと思う?」
「……」
確かに、ネズミがいなかったら危なかった。
だが相手はイヌカシ、例えネズミがいなかったとしても何かあったとは思えない。ただ、そういう雰囲気になるのだけは防げた。それだけでも自分にとっては大きい。
「ごめん、ネズミ。これからは気をつけるよ」
「分かればいい。あんたはもっと自分のことを知るべきだ。でないとおれが落ちつかない」
そう言って肩をすくめるネズミがおかしくて、紫苑は「努力するよ」と微笑んだ。
「あら。紫苑、それもすごく似合ってるわよ」
「ありがとう、母さん」
魔女の仮装を褒める火藍に、紫苑はやわらかく微笑んで返した。
火藍はネズミのドレス姿も絶賛し、「カメラ、カメラ」と少女のようにはしゃぐ。
「ごめんね、ネズミ。母さんが」
「別に構わないよ。あんたの母親ならおれの母親も同然だ」
妖艶と微笑まれ、紫苑は頬を染め俯いた。
ドレスを着た今のネズミは何と言うか、いつもよりもすごく綺麗に見える。舞台俳優というだけあって着こなしは完璧だし、なにより素材が良い。
普段のネズミならば決して有り得ないのに、ドレスを着て薄く化粧したネズミは美しい女性にしか見えない。確かにネズミなのに知らない女性にも見える、なんともおかしな感覚だ。
「あれ、イヌカシ?」
イヌカシは紫苑達から離れたところで、こちらをじっと見ている。どうやらさっきのことでまだネズミを警戒しているらしい。まあ、あそこまで脅されたら誰だって警戒するのは仕方ないことだろうが。
呼んでも近寄ってこないイヌカシを見て、紫苑は「なかなか懐かない犬みたいだな」と苦笑した。
カメラを構えた火藍の前に、紫苑とネズミが並ぶ。イヌカシは結局警戒したまま、写真を撮ると言っても来なかった。紫苑達の後ろの方で、やはりこちらをじっと見ている。
ネズミはそんなイヌカシにはお構いなしで紫苑の肩を抱くと、火藍に合図する。
またもや「ハイ、チーズ」という言葉と共にシャッターが切られた。
夜空には淡く輝く月と、星の数々。
暗い夜闇を照らすのは、力河の用意したパーティーグッズの中にあった蝋燭だ。それをネズミがこっそり拝借してきたらしい。
紫苑とネズミがいるのは火藍のパン屋唯一の飲食スペースだ。ここからならば“ハロウィン”という今夜の、特別な夜空を堪能することができる。
写真を撮り終わった後、ハロウィンパーティーはお開きとなった。
料理や飾りの後片付けを済ませ、ゆっくりしたいと二人で外に出て来たのだ。今日はパーティーの準備やら何やらでハードな一日だったから。こうして一息つける時間が落ちつく。
紫苑は持って来たココアを飲んで、ほっと息を吐いた。
「疲れたか、紫苑?」
「うん、少し。でも、それはきみも同じだろ」
隣に座るネズミに笑って返す。
疲れた。大変だったけど、すごく充実した楽しい一日だった。
「あんたと一緒にされちゃ困る。ほら」
差し出されたのはパンプキンパイ。パーティーで余ったものを持って来ていた。
「ありがとう、ネズミ」
嬉しそうに笑って受け取ると、紫苑はパイを一口食べた。甘いかぼちゃの味が広がって、疲れを癒してくれる。
二口、三口とパイを頬張っていると、くすりという笑い声が聞こえた。
「あんた、子どもか?」
ネズミの指が口元に伸び、その端をそっと掠めた。
夢中で食べていたせいで気づかなかったが、口の端にパイの食べかすが付いていたようだ。
ネズミは親切にもそれを取り、そのまま自分の口の中に。
「甘いな」
「食べなくても…」
「たまにはこういうのもいいだろ?」
テーブルの上に手をついたネズミが紫苑の顔を覗き込んでくる。
灰色の瞳に捕らわれたかと思ったら、ネズミの唇が重なっていた。ほんの一瞬のことだったが、感触は確かに残っている。
ぽかーんとネズミを凝視していた紫苑だったが、ようやく自分が何をされたのか理解したらしい。
耳まで真っ赤に染め上げると、えっと、とネズミから視線を逸らす。
そんな紫苑を愉快そうに見つめたネズミが紫苑の頬を、蛇行痕を辿るように撫でる。
「あんた、かぼちゃみたいだぜ?」
恥ずかしさにますます顔を赤くした紫苑は、うっと息を呑んで首を振る。それで赤みが引くと思っているのだからなんとも可愛い。
ネズミはもう一度紫苑に口づけ、最後に自分の唇をぺろりと舐める。
「ごちそうさま」
紫苑の顔がハロウィンのかぼちゃのように赤く染まっているのを見て、ネズミは満足そうに微笑んだ。
『パンプキン・キス』
END
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《あとがき》
ちづれ様妄想イラストに合わせた『パンプキン・キス』でしたー!
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます!!
今回のハロウィンは相互企画ですよ〜♪
私、夕璃のサイト『恋するうさぎ』のハロウィン物語は読んでいただけたでしょうか?まだの方はぜひぜひお越し下さいませ!
今回もなんていうか大変でした。やっぱり長くなりました。
実はリクエスト小説とかって初めてで、(先日“裏”でいただきましたが、話の流れは自分で好き勝手書きましたので)めちゃくちゃ緊張しながら書きました!
というか、実はちゃんとリクエスト通りに書けてないのですよね(>_<)
いつものように暴走しちゃって、気づいたら…
この流れに持っていけないから、じゃあこっちで!みたいな感じで、リクエストからちょっと逸れてしまいました(T_T)
うわーうわーなりながら書いたんできっと私妄想分よりも酷いことになっていたのではないかと。
ほんっとうに、ここまで読んで下さった方に感謝です!ありがとうございました!!
そして今回ちづれ様のイラストに合わせて書くという企画だったのに、ちょろちょろズレてしまいすみません…
これでも今の私の精一杯で書いたつもりだったのですが、長くなりすぎて何が何だか分からないことになってしまいました(^-^;
ちづれ様の素敵なイラストを私の話でもっと輝かせたい!と思って書いたのですが、いかがでしたでしょうか?
でもでも、ちゃんと書き上げることができて満足しています!
原作寄りな感じなのですが、紫苑がちょっと可愛くなりすぎたかな?と思っています。あとイヌカシがおとなしい。火藍ママは私が大好きなので、あんな可愛くなりました。力河は力河クオリティ。
ちっともまとまりませんが、『パンプキン・キス』を読んで下さりありがとうございました!
ハロウィン相互企画、ぜひぜひコンプして下さいね(o^∀^o)