「おまえら、二人だけで何してたんだよ」
眉を寄せたイヌカシがそう聞いてきた。
どうやら今まで火藍と一緒に力河の相手をしていたらしく、あまり機嫌が良いとはいえない。そういう力河は愛しの火藍に酌をされ、すっかりデキ上がっていた。
「何してたんだろうな。なあ、紫苑?」
「……」
したり顔のネズミに振られ、紫苑は黙ったまま顔を背けた。
「おやおや。姫はご機嫌斜めらしい」
一体誰のせいだと思っているのだ。
やれやれと肩をすくめるネズミを見て、紫苑はハァとため息を吐いた。
「あら、お酒が無くなっちゃった」
空になった酒瓶を手に、火藍が16歳の息子がいるとは思えないほど可愛らしく小首を傾げる。
ちょっと取ってくるわね、と言う火藍を制し、力河がガバッと立ち上がった。
「いや、おれが取ってきてやるよ、火藍!」
ちょっとでも火藍に良いところを見せたい力河は家の奥、台所へと向かう。
そもそも酒を飲んでデキ上がった時点で、良いところも何もあったものではないが。
力河の後ろ姿にお礼を言った火藍が、くるりと振り返る。
「そうだ、まだやってなかったわね」
「はい、これ」と言って渡されたのは、“ジャック・オー・ランタン”と様々なお菓子の入った籠。
紫苑達三人は渡されたそれと火藍の顔を交互に見る。
これをどうしろと?
にっこり笑った火藍は人差し指を立てると、まるで魔法の呪文でも唱えるように楽しそうに口を開く。
「“トリック・オア・トリート”」
((あんたが言うのかよ!?))
口元を引きつらせたネズミとイヌカシはそのままに、紫苑は笑顔で籠の中からお菓子を取り、それを火藍の手のひらに乗せた。
「ありがとう、紫苑」
「あげないと母さんにイタズラされちゃうからね」
「ふふっ。母さん、一度これやってみたかったの」
そう言って笑い合う二人を目にし、「こいつらは間違いなく親子だ」とネズミとイヌカシは思ったという。
「ほら、ネズミとイヌカシも。“トリック・オア・トリート”」
嬉しそうに笑う紫苑に促され、結局断れないままネズミとイヌカシもその呪文を暗唱した。
結果、両手がお菓子で埋まったことは言うまでもない。
お菓子から解放されココアを飲んでいたネズミが、ふと視線を落とす。
そこには、力河が今日のためにと用意して来たパーティー道具が入った大きな鞄が無造作に置いてあった。
ゲームにクラッカー、大きな靴下に真っ赤な帽子、それからトナカイの角が付いたカチューシャ。
これはクリスマスと完全に勘違いしている。
役に立たないと顔を背けたネズミだったが、視界の端に映ったものに再び視線を戻す。
そして、これは使えると、にやりと笑みを浮かべた。
「紫苑、ちょっと」
「ん? なんだ、ネズミ」
手招くネズミに、紫苑はゆっくりと近づいた。
そんなに高くないとはいえヒールを履いているため、バランスが取りづらい。すべてはこんな衣装を選んだネズミのせいだが、今さらそれを言っても仕方がない。ネズミが用意してくれなければ、自分は仮装できなかったかもしれないのだから。たとえドレスでも、自分一人だけ仮装できないよりはマシだ。
近くまで行ったところでネズミが手を差し出した。
「写真、撮ろうぜ」
ネズミは高価そうなカメラを手に、そう言って楽しそうに笑った。
そういえば、ネズミと写真を撮ったことはなかったなと考えながら、紫苑は「いいよ」と頷く。
「きみがそんなに立派なカメラを持っているとは知らなかったよ」
「ああ、これ? おれのじゃない、おっさんのだ」
「力河さんの?」
「大方、今日のために奮発して買ったんじゃないの」
ほとんどクリスマスグッズしか入っていなかった鞄に、こんな良いカメラが入っていたのは奇跡としか言いようがない。
力河のことだから、火藍とのツーショット写真を撮ろうと購入したのだろう。少なくとも初心者が使うことはないだろう複雑で高価な代物だ。
「あのおっさんにこれが使いこなせたかどうか、怪しいな」
カメラを上に投げてはキャッチするというのを繰り返すネズミを、紫苑がはらはらと見守る。
「ネズミ、危ないよ。壊れたらどうするんだ」
「あんた、おれがそんなヘマすると思うか?」
「…思わないけど」
「だったらいいだろ」
そういう問題ではないのに、ネズミはにやにや笑ってカメラを乱暴に扱う。
その行為はただ紫苑の慌てる顔が見たいというだけのものだったのだが、それに気づかない紫苑は心配そうにカメラの動きを追い続け、ネズミを喜ばせた。
「でも、ネズミ。力河さんがいないのに勝手に使ったらダメなんじゃ」
「だからいいんだろ。おっさんがいたらうるさくて敵わない」
今のうちに撮るぞ、と言ったネズミが火藍にカメラ撮影を頼む。
簡単に使い方を教えると、さすが紫苑の母親だ。すぐに操作を覚えた火藍が楽しそうに“ジャック・オー・ランタン”を何枚か試しに撮る。
「うん、大丈夫みたいね。じゃあ三人とも、そこに並んで」
「えっ、おれも?」
“三人とも”と言われ、イヌカシが驚いたように自分を指差す。
「特別だ、イヌカシ。おまえも入れてやるよ」
「おまえは何様だっ!!」
偉そうなことを言うネズミにぶつぶつと文句を言いながらも、イヌカシは紫苑の横に並ぶ。反対側にはネズミがいて、紫苑を挟む形だ。
「はーい、じゃあこっち見てね」
たいして離れた距離ではないというのに、カメラを構えた火藍が手を振って「ここですよー」と合図する。まるで幼児扱いだ。
「ハイ、チーズ」
これまた火藍が弾んだ声でお決まりの台詞を言った後、カシャッと音がしてフラッシュが光った。
現像しないと見れないが、後ろの飾りのお化けも入ったはずだから、なかなかハロウィンらしい写真が撮れたのではないだろうか。火藍は満足そうに微笑む。
そこで何かに気づいたイヌカシが「あのさ」と口を開く。
「おっさん、遅くねぇか? 酒を取りに行っただけだよな」
「ほんとだ。力河さん、どうしたんだろ」
紫苑も首を傾げる。
「ほっとけ」とどうでもいいとばかりにネズミが言うと、カメラをテーブルに置いた火藍が「あら、ほんと」と小首を傾げて呟いた。
「わたしが見てくるわ。みんなはパーティーを続けていて」
そう言われても、パーティーもほとんど終わりだろう。一体何をしろというのか。
「はい、ネズミ」
笑顔で紫苑が差し出してきたのは、あのお菓子の入った籠だ。
あんなにネズミとイヌカシに押し付けたというのに、その中身はいつの間にか増えている。火藍が追加していたようだ。
「なに、これ」
「せっかくだし食べようよ。きみはお菓子なんて滅多に食べないだろう」
「必要性を感じないからな」
言い捨てたネズミだったが、紫苑が直接差し出すと素直に受け取った。包みをはがし、甘いお菓子を口に入れる。
「ん、甘い」
「お菓子だからね」
そう言って自分も食べた紫苑がネズミに微笑む。
「ネズミ、もっと食べるか?」
「あんたが食べさせてくれるなら」
甘いお菓子を食べ甘い雰囲気を作り、そんな甘い会話をする二人を見て、イヌカシが呆れたように大きくため息を吐いた。
力河の様子を見に行った火藍が困った顔で戻ってきた。
「母さん、力河さんは?」
「それが眠っちゃって」
どうやら酒を探しに台所に行ったはいいが、探している間に酔いが回り眠ってしまったということらしい。
本当にどうしようもないおっさんだと、ネズミとイヌカシは呆れる。
せっかく火藍に良いところを見せるチャンスだったというのに、力河はそれを自分でダメにしてしまった。力河らしいと言えばらしいが、これでは春がやって来るのはいつになることやら。
「毛布は掛けて来たけど、大丈夫かしら」
「あー、あのおっさんは心配いらねぇよ。ちょっとそっとのことじゃ、風邪なんか引かねぇから」
心配そうな火藍にイヌカシがひらひらと手を振って答えた。魔女の恰好でそうすると、まるでなにかの魔法をかけているようにも見える。
なんだかイヌカシが微笑ましく見えた火藍は「可愛い」と言って笑った。
「さっきの続きしましょうか」と言って、カメラを持った火藍がパシャパシャと紫苑達を撮っていく。写真を撮ることが楽しくなったらしい。紫苑達のためというよりも、どちらかと言うと自分のためにシャッターを切っていく。
そんな火藍を見て、紫苑は嬉しそうに微笑んだ。
ネズミとイヌカシもさすがに紫苑の母親には何も言うことができず、おとなしく撮影を受ける。
一通り撮り終わった火藍がフゥと息をつく。いかにも一仕事終えたという感じだが、ネズミ達のほうがため息を吐きたい気分だ。
初めは乗り気だったネズミも、だんだんそれが薄れてきたようで。紫苑の母親だし仕方ない、付き合ってやるかと完全に大人と子どもが逆転していた。
ネズミが苦笑していると、火藍が良いことを思いついたと笑顔で口を開く。
ネズミにはこの顔に見覚えがあった。忘れもしない、あれは初めて紫苑と出会った台風の夜。
銃創を縫うと言った紫苑が麻酔を打つために注射器を手にした時。嬉しくて堪らないと笑った紫苑の顔を何度も夢に見た。
さすが親子、火藍はその時の紫苑とそっくりな顔をしていた。
「みんなの衣装を取り換えましょう」
にっこり笑った火藍に逆らえる者は、誰もいなかった。
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