お菓子や料理を並べた小さなテーブルを前に、パーティーは開始された。
乾杯する際に配られたドリンクだが、力河のだけは酒だった。本人がどうしてもと言ってきかなかったので、わざわざ力河のためだけに火藍が用意したのだ。
「火藍っ、おれのために酒を…!」
「力河さんには、いつも紫苑がお世話になってますから」
「火藍! おまえのためなら、おれは一生紫苑の世話をしたっていいんだ!」
そんな会話が繰り広げられていた。
火藍は自分から力河の酌を務め、嫌々やっている様子はない。
「おっさん、あんなこと言ってるけど、いいのか…?」
「母さんが決めることだから」
眉をしかめるイヌカシに紫苑が苦笑して返した。
「今までずっと一人でぼくを育ててくれたんだ。これからは母さんの好きなように生きて欲しい、幸せになって欲しいんだ」
「紫苑、おまえ……」
やわらかく微笑んだ紫苑を見てイヌカシが涙ぐむ。
そんなイヌカシの背をぽんぽんと叩いていると、それまで黙っていたネズミが「なあ」と口を開いた。
「なに、ネズミ?」
「あんたの幸せは」
どこにあるんだ、と聞かれ、紫苑は目を大きく見開いた後くしゃっと笑った。
ネズミはわかっていて聞いているのだろうか。
ぼくの幸せ、そんなこと決まっているのに。
「ぼくはいいんだ、もう見つけたから。だから今度は母さんに見つけて欲しい」
大切な。
世界で誰よりも、何よりも大切な存在を。
「ふーん。じゃあおれは、相当あんたを大事にしないとな」
妖艶と笑ったネズミに瞳を覗き込まれ恥ずかしくなり、紫苑は頬をほんのり染めて俯いた。
「おい! 誰もおまえだとは言ってないだろうが!」
「おれ以外に誰がいるんだ?」
食って掛かったイヌカシだったが、ネズミに自信満々に微笑まれてはどうしようもない。ウッと息を呑むと、「勝手にしろ」と舌打ちをし力河達の方へと向かって行った。
機嫌良さそうにイヌカシを見送ったネズミが紫苑の方を振り返る。
「さて、これで邪魔者はいなくなった」
「邪魔者って、その言い方は」
「紫苑」
強く名前を呼ばれて、紫苑は反射的にネズミの灰色の瞳を見た。
一度この綺麗な瞳に捕まると安易に逃げ出すことはできない。それを紫苑は己が身で充分過ぎるほど知っていた。
「それで、本当のとこはどうなの?」
「なにが…」
「あんたの幸せ。あんたが一番大切に想う存在は」
だれ?と耳元で囁かれ、くすくすと笑うその振動までが伝わってくる。
ただそれだけのことで耳まで真っ赤にして、こんな様子を見れば誰だって分かるに違いない。
これでは図星だと、ネズミが大切なのだと言っているようなものだ。
「……きみはいじわるだ」
「今頃気づいた? …そういえば、よく言うよな」
「なにを」
「好きな子ほどいじめたくなるって」
紫苑は赤い顔のまま息を呑んだ。
恥かしいのか嬉しいのかわからないが、胸がぎゅっと苦しくなる。
「ククッ、あんた顔が真っ赤だ」
「…うるさい。きみが悪いんじゃないか」
「で、どうなんだ、紫苑?」
答えは分かっているくせに、わざわざ言わせようとするネズミが憎らしい。
そんなこと、きっとお互いがなにより知っているだろうに。
「……ぼくは、きみに惹かれていると言っただろ」
「それだけじゃ分からないな。おれはもっと直接的な言葉で聞きたいんだ」
あんたの口から、とネズミの手が紫苑の顎を捕らえる。じっと灰色の瞳に見つめ返されて、これでは身が持たない。
固まった紫苑は覚悟を決め、唯一動く口でネズミの望む答えを出す。
「ぼくは、これからもきみと一緒にいたい。できればこの先ずっと、きみと共に生きて行きたい。それくらい、ぼくはきみが大切なんだ」
「さすが天然だな。そこまで恥ずかしいことが言えるとは」
「きみほどじゃない」
つい、と紫苑は視線を逸らす。言った後に恥辱心が湧き起こってきたらしい。
そんな紫苑の様子にネズミがくすくす笑うと、潤んだ瞳がじっと睨みつけてくる。それがちっとも恐くなく、むしろ可愛らしく見えるのは紫苑だからだろうか。
「さっきのはプロポーズか?」
「ぷっ、ぷろ…!?」
「だったらちゃんと答えないとな」
そうだとも違うとも言えず、紫苑はただ口をぱくぱくさせるしかなかった。
にやりと笑ったネズミが紫苑の腰を抱く。ぐいっと引き寄せられ、気づいた時にはネズミに抱き締められる恰好になっていた。
艶やかな笑い声と共に、綺麗な指が首筋をなぞっていく。
ぞくぞくと悪寒とは別の感覚に、紫苑はぎゅっと目を瞑った。
「そんなに怖い?」
「怖いわけじゃない」
「そう、感じるんだ?」
何も答えずにいると、ネズミの指は背中へと移動する。腰の辺りから脇腹を撫で上げられ、紫苑はびくんと身体を震わせた。それを楽しむようにネズミは何度も同じ場所を撫でる。
「ネズミ! もうっ…やめて、くれ」
頬を上気させ、紫苑が弱々しく息を吐く。
すぐ近くにイヌカシ達がいるというのに、ネズミは何を考えているのだ。イタズラにも程がある。
「あんたのそんな顔も見れたし、今はここまでで勘弁しといてやる」
なぜか上から目線で言われ、紫苑はムッとしてネズミの腕の中から逃げ出す。
なんでぼくが勘弁されないといけないんだ、と眉を寄せた。と、腕をネズミに掴まれ、そのまま耳元に顔が近づく。
「おれがあんたに飽きるまでは一緒にいてやる」
だから飽きさせるなよ、と囁かれたら固まってしまうのも仕方がない。これには何と答えるのが一番いいのか。
悩んだ末、紫苑が「うん」と頷くと、ネズミは「あんたってやっぱり天然」と言って大笑いしていた。
どこがそんなにおかしかったのか、紫苑は首を傾げて笑うネズミを困ったように見つめる。
そんな時に「紫苑、あなた達もこっちに来なさい」と火藍に呼ばれ、紫苑は困った顔のまま、ネズミは笑いを堪えるようにして火藍達の待つテーブルへと向かう。
やっぱり紫苑には、ネズミが笑ったわけが分からなかった。
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