「さあ、紫苑」
火藍が紫苑の背をぽんと押した。
おずおずと火藍の部屋から出た紫苑が歩く度、足にまとわり付く布がふわふわと揺れる。
「母さん、ぼくどうしてもこの恰好じゃないとダメ?」
「なに言ってるの、わざわざネズミが用意してくれたんでしょう」
「ネズミが、ね…」
自分の恰好を見下ろした紫苑が大きくため息を吐く。
白く薄い生地は膝下までの長さ。二の腕辺りからは赤い布で覆われ、肩から腕のラインだけがあらわになっている。足には白い清楚な靴。
「……嫌がらせだ」
「よく似合ってるわよ、紫苑」
「母さん…」
紫苑はにこにこ笑う火藍を見てがっくりと肩を落とす。
そして改めて自分の姿を見下ろした。
純白のドレスに包まれた、まるでお姫様のようなその姿を。
今日は10月31日、世間でいう“ハロウィン”の日だ。
せっかくだから皆で“ハロウィンパーティー”をしよう、と言い出したのは誰だったか。火藍かもしれないし、もしかしたら自分だったかもしれない。
気づいたらパーティーの準備が始められていた。
場所はロストタウンの我が家。
パーティーをするからと早めにパン屋を閉め、着々と準備は行われた。
ハロウィンと言えば、お菓子。焼き菓子メインで、これは火藍の担当だ。紫苑はその手伝い。
部屋の飾りつけはネズミとイヌカシと力河が。同時に、衣装の用意もこの三人だ。
ネズミは舞台俳優という職を生かしての舞台衣装を、イヌカシは犬達を使って探し、力河は知り合いの服屋に当たったりとそれぞれのルートで探し出して来た。
その内のネズミが持ってきた衣装、それが今紫苑の着ているドレスだった。
乗り気でない紫苑の背をほらほらと押しながら、火藍は皆が待つ小さなパーティー会場へと向かう。三人もすでに仮装していた。
「火藍、紫苑! 待ってたぞ!」
大きく手を広げた力河がキラキラした笑顔で紫苑たち親子を迎えた。
赤いふちの入った青いベストを着て、腰には剣を差している。もちろんこれはレプリカだ。頭の上に被った大きな帽子には髑髏のマーク。頬には傷のメイクまでして、完全に海賊になりきっている。
「うわっ、紫苑! おまえ何だよ、その恰好…」
頬を引きつらせたイヌカシの役柄は魔女らしい。魔女特有の三角帽子にマントという簡単な仮装をしている。“魔女”だというのに下がズボンというのが腑に落ちない。
「これはネズミが…」
「へぇ、よく似合ってるじゃないか」
にやりと笑ったネズミが口を挟む。
漆黒の長いマントのような衣装を着こなし、笑みを浮かべた口元には鋭い牙が二本。
「ぼくにはこんなの着せておいて、きみは吸血鬼の仮装なんてどういうことだよ」
「あれ、気に食わなかった?」
「当たり前だ! ドレスなんて…ぼくは男だ」
「そんなこと、嫌ってほど知ってるよ」
ネズミの綺麗な指が紫苑の頬を滑った。頬にまで現れた蛇のような痣を辿り、耳をくすぐる。
「ちょっ、ネズミ!」
「フフッ、くすぐったいか。やめて欲しい?」
くすぐったさに耐えながらやめろと口にすると、ネズミが楽しそうに笑う。
「おれの手を払えば済むことなのにな。やらないんだ?」
「っ…!」
「いや、やれないのか。あんたはおれに逆らえない」
違うと言いたいのに否定できない。いつも最後にはネズミの言うことを聞いているのだ、ぼくは。
ネズミのことだからすべて計算ずくなのだろう、ぼくが頷くこともすべて。
「っ…わかったから、ネズミっ! いいよ!もうこの衣装でいいからっ」
「そうか。あんたは物分かり良くて助かるよ」
やっとネズミの手が離れていく。
紫苑は解放され大きく息を吐いた。あれ以上されていたら、なにか別の感覚に変わっていたかもしれない。本当に危機一髪だった。
「まあ正直に言うと、おれがあんたのドレス姿を見たかっただけ」
だから用意したと言われれば、誰だってこうなってしまうはずだ。
紫苑は赤くなった頬を隠すようにそっぽを向く。
「きみはどうしてそんな…」
「恥ずかしいことが言えるのか? 本当のことだからな。舞台じゃ、もっとすごいことも言ってるし」
「舞台……」
「なに、妬いた?」
「…っ!? やっ妬いてなんかっ」
「まあいいけど」
そのままネズミは紫苑の左手を取ると頭を下げ、その甲に唇を押し当てた。ちゅっと軽いリップ音を残し、ゆっくりと離れていく。その間紫苑は固まったまま、ネズミの行為を凝視していた。
「さあ、楽しいパーティーを始めましょうか、姫?」
にやりと妖しげに笑ったネズミにそう言われ、紫苑は耳まで真っ赤に染め上げた。
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